147話 職人として
国家がようやく安定したと思われたころに起こった戦争は、城壁と兵隊に守られてモンスターという脅威を忘れかけた人々に、再び緊張を強いた。
とはいえその戦争は、終わってみれば死傷者ゼロという、意味のわからない結果を残すことになる。
『ダリウスの乱』とのちに呼ばれる、港町を治める地方豪族と国家との戦いは、アレクサンダーに気に入られてよりよい暮らしをしたい者や、これを機にアレクサンダーを打ち倒して彼の作り上げた国家をかっさらおうという野望を持つ者などを集め、たいそう大規模な戦乱となった。
最終的に王都南東部の平原を舞台にしておこなわれたアレクサンダー軍とダリウス軍との戦闘は、死者ゼロ名、ケガ人ゼロ名、アレクサンダーの胴体を左右に真っ二つにすること七回という結末で終結した。
そして誰しもが、アレクサンダーの不死身と、イーリィ妃のついた軍勢の不死身さ、そしてそのお妃様の敵味方を問わぬ慈悲深さを思い知らされ、反乱の火種は一気に鎮静化する。
それはもっとも激しく敵対し、何度もアレクサンダーの体を両断したダリウスが許され、それどころか『大公』という『王に継ぐ地位』を得たことも大きかっただろう。
『不死身の王は敗北を認めて降る者には寛容だ』。
その噂が流れるとダリウス軍――この時にはもはやダリウスは旗手ではなかったので、『反アレクサンダー軍』とか、ダリウスの次の指導者の名前とかで呼ばれたのだが――は次々と降伏者が出て、もはや軍の体裁を維持できなくなっていった。
アレクサンダー大王は降るのが遅かった者の土地を没収し、降るのが早かった者や味方として大いに働いた者に与えた。
この戦争で名を挙げた者を『貴族』と呼び習わし、与えた土地や任せた職務に応じて『東方貴族』『中央貴族』『西方貴族』の地位を与えた。
これら三貴種にアレクサンダー大王は上下を定めなかった。
が、国政にかかわる中央貴族はなんだか偉く――
アレクサンダー大王の未踏の地である西方開拓を任された(ようするにアレクサンダーに敵対したために既存の土地を与えられなかった)西方貴族はなんだか勇敢そうで――
すでに拓かれていた土地を得ただけの東方貴族は、なんだか情けないように民衆には認識されたようだった。
かくして国の身分は王、大公、中央貴族、西方貴族、東方貴族、民の順番で分かれた。
こうして身分制度が出来上がってくると、民の関心事があるものへと向けられる。
それは、『アレクサンダー大王と旅をした仲間たちの地位』だった。
奇しくも大王の仲間の人種は多種多様だった。
イーリィがお妃として迎えられているのはみな知っているだけに、王都南ですごす物作り集団の棟梁であるダヴィッドや、最近王とともにいる姿がよく見かけられるあるエルフ枝族たちの酋長ジルベール――
そしてアレクサンダー大王の知恵袋として名高いが、実際にどんな知恵を貸しているのかわからないウー・フー。
それに、真っ白い男と、獣人の少女。
この者らの待遇が、民の関心事となったのだ。
この噂と前後して、真っ白い男の姿が消えた。
それは人々の頭の中からさえ消えてしまったかのような完璧な退散だった。
表舞台から消え去ったその人物は『はいいろ』として暗躍しているのだが、それを民が知ることはなかった。
ダヴィッドには貴族の位が与えられるという話が持ち上がったのだが、
「アタシはいい」
ということで、辞退したようだ。
……辞退した、という噂が広まってしまったせいで、ダヴィッドはずいぶんまずい立場に立たされた。
戦争が終わってようやく国が一つになってきたタイミングだったのも悪かったのだろう。
アレクサンダー大王より下賜されるものを『いらない』と言う行為は、さまざまな憶測を呼び、ダヴィッドのみならず、ドワーフ全体に厳しい目が向けられる結果を生んでしまった。
反乱を考えて武器をためこんでいるのだ――だなんていう嘘さえ錯綜し、ドワーフが襲われたりする事件が起こったタイミングで、ダヴィッドはアレクサンダーのもとへと出向いた。
そこであった会話の記録は残っていない。
だが、二人はこのような言葉を交わし合った。
「アタシは、剣を作れりゃァなんだっていんだ。剣だけじゃねェ。いろんなモンを作りてェ。……王都は素材やら道具やらが黙ってても流れ込んでくるし、魔石だって増えてきた。いい場所だ。けどなァ……最近は雑音がひどすぎる」
ダヴィッドが招かれたアレクサンダーの私室には、ダヴィッド、アレクサンダーのほかにイーリィがいた。
豪奢な丸いテーブルがそこにはあり、気持ちのいいクッションの敷かれた一点ものの椅子がそこにはあった。
アレクサンダー用にあつらえられた椅子は献上品として時おり持ち込まれるものだから、数がある。
そしてドワーフであるダヴィッドには、十二歳相当(の中でも小柄な)まま、いまだに成長しないアレクサンダー用の椅子が、ちょうどいい高さだった。
「……アレクサンダー、悪ィが、アタシも、ここまでだ」
「……そうか」
「だいたいよォ、なんでアタシに『貴族の位』なんつうモンをよこした? そんなモンもらったところで、剣を作る足しにもならねェだろ」
「……貴族制がちょいとうまくいきすぎてな。旅の仲間とはいえ、貴族でもないお前を王宮に上げるのが、だんだん、面倒になってきてる」
「クソくだらねェ」
「お前はそう言うだろうけどな、国王ってのも面倒くせーんだよ。っていうか位ぐらい素直に受け取ってくれてもよかったじゃねーかよ。人の見てる前で伝令に向けて『いらねェ』って堂々と宣言すんなよ」
「それについては、まあ、なんだ。……思慮が足らなかったとは思ってる。悪かった」
「……いや、謝ることはないんだ。謝るべきは、俺の方だよな。俺が直接行けばよかった。ちっとでも面倒くさがったのが、お前んとこに直接出向かなかった理由にないとは言えねーんだ」
「……お前、変わったって言われてるみてェだな。うちの長老も、お前は変わったって言ってる」
「……」
「でもよォ、変わったのは、お前じゃねェんだよ。お前が変わったんなら、アタシはここでお前にとやかく言える。けど、変わったのは、お前じゃなくって、環境のほうだ。いろんなモンが、お前をがんじがらめにしてるのが見える」
「ダヴィッドがそこまで言うほどか」
「もう、どれぐらい、剣を振ってねェんだ?」
「……戦争以来だな。王都そばのモンスターは兵隊に対処させてる。戦争で構成した軍はそのまま治安維持のための部隊として残した。『冒険者』も出来上がってる。こいつは探索者だった連中が発端みてーだけど、ダンジョンに入ったり、雑用を引き受けたりっていう、日雇い労働者集団だ。危険に立ち向かう連中が、組織を作ってる。……もうな、王が剣を握ってどこかに突っ込むことは、システムの面からありえなくなってきてるんだよ」
「そうか。ま、剣を見せてみろよ」
「……」
「最後に調整していってやる」
「……聖剣は、どうした? あきらめたのか?」
「アタシは飾り物にするための剣は作らねェよ」
「……」
「いいことじゃねェか。安全な人生が始まった。剣の作り手としちゃア残念だがよ。人として、そいつを祝福しねェわけにはいかねェ。だいたいにして、死ぬかもしれない毎日を送り続ける人生は、幸福じゃアねェわな」
「……まさか、俺の人生がこうなるとはな」
アレクサンダーは私室にあるベッドに寄り、その枕の下から剣を取り出した。
ダヴィッドは笑う。
「おいおい、寝てる間に刃が飛び出したらどうすンだよ」
「戦争の最後の方でな、もう、刃が出なくなった」
「そいつァ魔石の魔力切れだな。……ま、使わねェんなら、その方がいいだろ。当たり前だが刃こぼれもねェ。グリップも歪んでねェ。いじるところはもうねェな」
「……なあ、これさ、シロにくれてやろうかと思ってるんだ」
「あア? いいんじゃねェか? あいつなら刃が伸びねェ方がうまく使うだろうよ」
ダヴィッドはあっけらかんと言った。
それは、アレクサンダーにとって、とどめとなった。
「ダヴィッド、いいのかよ」
「かまわねェっつってンだろ。テメェにくれてやった剣をテメェがどうしようと――」
「そうじゃねーよ! 聖剣を作るのはお前の夢だろ!? でも、俺が剣を振らなくなったから、お前は夢を追えなくなったんだろ!? だっていうのに、なんでそんな、平気そうにしてんだよ!」
ダヴィッドは――
テーブルに肘をついて、アレクサンダーをじっと見た。
それから、
「バーカ」
「……」
「アタシの夢を勝手に抱え込んでんじゃねェよ」
「でも」
「『でも』じゃねェんだ。そりゃア、アタシは、テメェがどんだけクソみてェな扱いをしても壊れねェし、なんだって斬れる、そういう剣を作るために、ここまで来た。けどな、そいつァ、テメェが剣を振らなくなってもできる」
「じゃあ、なんでやめるんだ」
「イメージがわかねェからだよ」
「……」
「テメェが戦わなくなってから、テメェの剣のイメージがわかねェ。そいつァたしかに、テメェのせいかもしれねェなァ? けどよ、職人が、完成図を思い描けないのを人のせいにして責めちまったら、終わりだろうがよ」
「だったら、俺をせっついて、旅に出そうとしないのか?」
「ハッ! テメェが人の意見で行動を変えるかバーカ。テメェはな、わがままで、向こう見ずで、頑固で――そんでもって、アタシより色々考えてる」
「……」
「そのテメェが旅をやめる判断をしたんなら、そいつァ、くつがえせねェんだろうよ。……なんだ、それとも、アタシに手を引いて旅に連れ出してほしかったのか? そこでイーリィが見てるぜ」
「そうじゃねーけどさ」
「おおかた、サロモンのバカあたりにめちゃくちゃ言われたんだろ。あいつの姿も長いこと見てねェしな」
「……」
「サロモンを基準にされちゃあ、たまらねェよ。たいていのやつァ、あいつより人ができてる。理性的で社会的だ。あいつみたいに振る舞えねェんだよ」
「うらやましがってるようにも聞こえるな」
「クソヤローだっていう評価はゆるぎねェが、サロモンのバカは、行き過ぎてて、見てるぶんにはまあ、嫌いじゃねェよ。……ま、そんなわけだ。アタシの旅も、ここらで終わり。あとはそうだな……カグヤを問い詰めて聞いた、『未来の聖剣の打ち手』のために、色々するかってところだな」
「カグヤを?」
「ああ、生前な。……そうだ。こいつはテメェにとっていい知らせかどうかわからねェけどよ、カグヤと月光は、やっぱ、別人だ。月光は、予言がどうやって降りてくるのか、予言の光景の細かい情報やらなんやらを、知らねェ。カグヤの思い出の中でも、でっかい見出しがつくようなことしか、記憶してねェよ」
「それは、なんとなく、わかってた。……すぐ忘れちまうような心に一瞬浮かんだこととか、言葉にならない感覚とかは、たぶん、共有してない」
「言うまでもなかったか」
「まあ、俺も……いや。とにかく……王都を出るんだな」
「居心地が悪ィからな。おんなじように感じてる連中を集めて、集中できるしずかな山奥でも目指すわ」
「……なあ、ダヴィッド……政治的に、お前らを追い出したことにはしたくねーんだ。出ていく時には、お題目をつけて、盛大に見送らせてくれよ」
「そういうのが雑音だって言ってんだ」
「……」
「必要なのはわかるが、巻き込まれるのはつまらねェ。そうしないと色んな問題が発生するのもわかるけどよ、そいつァ、クソなんだよ。アタシはな、お前に惚れ込んで、お前の剣を打とうとしてただけの、職人だ。それだけなんだ。それ以上を期待するな」
これを、権力や、未来のドワーフのためだという大義や、あるいはダヴィッド自身の安全のために必要な措置だというなだめすかしを背景にして、説得することは、不可能だった。
ダヴィッドは、アレクサンダーの言動の背後に見え隠れする政治を嫌って離れていくのだ。
ならば、政治的、国家的、民意的に大事であればあるほど、この頑固な職人を意固地にさせるのは想像にかたくなかった。
そして、その『クソくらえ』という態度は――
とてもまばゆいもののように、今のアレクサンダーには、思えた。
だから、もう、そのまばゆさを翳らせるようなことは、言えなくて。
「……じゃあなダヴィッド。本当に、世話になった」
「全部ほっぽり出すンならたずねてこい。そん時ァ、剣ぐらい作ってやる。ただ一人の剣士なら大歓迎だ」
ダヴィッドは未練を見せずに去っていった。
アレクサンダーはため息をついて、
「……イーリィは、別れの言葉はよかったのか?」
ずっと黙って、二人の話に割り込まないようにしていた彼女へと問いかける。
イーリィは桃色の瞳を細めて優しく笑い、
「ダヴィッドさんは、やっぱり、アレクサンダーの同行者であって、私と旅をしていたわけでは、ないんだと思います。……だって、ちらりとも、こちらを見ませんでしたから」
「……」
「きっと、そのように……あくまでも職人以上でも以下でもないと振る舞うことで、色々、踏ん切りをつけてるんだと、思えたんです。だから、私は、声をかけるべきではなかった。彼女を旅の仲間として扱うべきではなかったと、思っています」
「……お前は、本当に、すごいな。よく、読み取れるよ。読み取った上で、こらえきれるよ。今生の別れかもしれないのに。一言ぐらい交わしたいだろうに」
「それは、ダヴィッドさんのためにならないと思ったから」
アレクサンダーはそれ以上言葉を重ねることはできなかった。
『ダヴィッドのためを思うなら、そうだろう。でも、お前の気持ちは?』という質問が頭をよぎったが――
それを口に出すことはなかった。
どういう答えが返ってきても、イーリィとの隔絶を思い知らされる結果になりそうだと、そんなふうに、予感したのだ。