145話 会議場外にて
その会議はまだまだ続く気配があったが、アレクサンダー以外の人員には体力の限界がある。
用意した寝床に会議参加者たちを向かわせて、アレクサンダーは最後に会議場を出た。
そこは例の『影』が鎮座していた王城にあった広い部屋で、そこに大きなテーブルを置いて会議場としていたのだった。
部屋を出てもまだ屋内で、殺風景な石の床を踏みながら、アレクサンダーは大きくのびをする。
その油断しきっていたアレクサンダーの喉元に、鋭いものが突きつけられた。
それは――
緑色の、非実体の、矢だった。
「……サロモンか。なんだよ」
矢を手でどかしつつ、アレクサンダーは問いかける。
サロモンは普段以上のつまらなさそうな顔で、するどく細めた青い瞳でアレクサンダーをにらみつけ、
「いつ、再開するつもりだ?」
主語のない問いかけ。
けれどそれは、アレクサンダーにとって、もう、主語をはぶいても通じるぐらい、繰り返された問答だった。
「……状況が落ち着くまでだよ」
「アレクサンダー。はっきりと、言え。貴様は、旅を続けるのだな?」
「それはまあ……そのつもりではいる」
「つもりかどうかなど、聞いてはいない。続けるか、続けないか、続けるならば、いつ再開するのか、それを、聞いている」
「お前、話の詰め方が離婚間際の奥さんみてーだな」
「あまり茶化すなら、すべてをめちゃくちゃにしてやっても構わんのだぞ」
その金髪を長く伸ばした男から発せられる殺気は、これまでにないほどの圧力を醸し出していた。
さすがにこれには、アレクサンダーも真剣に応対せざるを得ない。
……いや。
最初から、サロモンの問いかけは、茶化したり、ごまかしたりしていいものではなかった。
それでも、アレクサンダーがまともに答えるのを避けるのを許されていたが、とうとう、サロモンの我慢にも、限度が来た、ということなのだろう。
「現実問題、旅を続けるのは、難しそうだ」
「現実など、問題になるものか。貴様は、自由だろう。貴様は、強者だろう。望むならば、すべてを放り出して、また、あの旅を続けることだって、できる」
「……」
「アレクサンダー、貴様が抱えているものは、しょせん、弱者の重さにしかすぎぬ。貴様は……我らは、そんなものなど振り切って、どこまでも行ける強さを持っているはずだ。そんなものに潰される前に、いかようにも跳ね除けることができるはずだ」
「……それは」
「貴様の望みを聞いているのだ、アレクサンダー」
「……俺はさあ、もう、俺の望みが、わかんねーんだよ」
「……」
「国の体裁が整ったら、正式にイーリィを妻に迎えるつもりだ。結婚式とかやってさ……あいつは、どうにも、俺が一箇所に落ち着くのを望んでるフシがある。世界を見ることはあいつの本意じゃなかった。俺と同じ世界を見ることが、あいつの本意だった。だからあいつの望みは、必ずしも、旅暮らしじゃなくってさ」
「あんな女の話など聞いていない。貴様の話をしろ、アレクサンダー」
「それが、もう、俺の話なんだよ」
「……」
「もう、俺の人生は、あいつと同じものなんだ。俺の望みなんていうものは、もう、なくって、あとには、俺たちの望みがあるんだよ」
サロモンは、アレクサンダーの顔を、じっと見ていた。
それは感情の読めない顔だった。
怒っているようにも見えるけれど、この男の表情は、いつだって、怒っているように見えた。
悲しんでいるようにも見えたけれど、この男の唇は、いつだって嗚咽をこらえるみたいに引き結ばれていた。
サロモンはたっぷり黙り込んで、そして、ようやく、口を開いた。
「弱者の重さに負けたな、強敵」
「……」
「いや、元強敵よ。今の貴様はつまらん。殺す価値を感じぬ」
「……」
「貴様だけは、違うと思っていた」
「サロモン、俺は……」
「もはや交わす言葉などない」
サロモンは長い髪と外套を翻して背を向け――
しばし、その場で立ち止まってから、吐き捨てるように、
「これまでの旅路は心躍るものだった」
そう述べて、去って行った。
……きっと、二度と顔を合わせないのだろうな、とアレクサンダーは予感した。
これまでは、楽しかった。
これからは、もう、そうではないだろう。
だから、サロモンは去っていったのだ。
「……ああ、クソ。どうしてかな」
アレクサンダーは、顔を覆った。
もう二度と元には戻らない別離。
それはなぜだか、ヘンリエッタが死んだ時より――
カグヤが死んだ時より、即効性を持って、アレクサンダーの胸に、つぶれそうなほどの苦しさを覚えさせた。