142話 生誕
いくつかの質疑応答がおこなわれた。
――お前は何者だ?
「何者かは知らんな。たった今生まれたばかりの意識じゃ。だから、貴様らがわらわを『カグヤ』と呼称したくなければ、わらわに名前をつけるがよい」
そいつはカグヤと全然違う饒舌さで、どんどん、言葉を連ねていった。
「さて、貴様らはわらわになにを望む? 死した少女の代わりか? それとも空いた肉体に憑依した空気を読まぬ悪役か? なんでもいいぞ。なにぶん生まれたばかりで目的がないでな。好きなものになってやろう」
望みを叶えるだけのモノだと、ソイツは己を定義する。
死にたくなるほど覚えがある反応だった。
アレクサンダーは思い返す――自分も、こうだった。
唐突に始まった人生。
頭に流れ込む『アレクサンダー』の記憶。
目的を見失っていた。だから、とりあえず、『アレクサンダーの仇打ち』を目的に掲げた。
ただし、アレクサンダーは――アレクサンダーに成り代わった彼は転生前の記憶を保持していたが、この存在はそうではないようだった。
思考が逸りすぎて頭がぼんやりしている。
アレクサンダーは、つい、問いかけた。
「なんでカグヤは、あんな無茶をしたんだ」
そいつは、あっけらかんと答えた。
「それはもちろん貴様に惚れておったからじゃろ」
猛烈な後悔。
つまびらかにされる、故人の秘めていたもの。
そいつは、止める間もなく続ける。
「気付かんものか? こんな不器用な恋心。ああ、思考も思い出も共有しておるでな、つまりわらわにとっても貴様が初恋ということになるかのう」
茶化されたくないものが、茶化されていく。
汚されてはならないものが、汚されたような心地だった。
今すぐ黙らせるべきだ、と人情が判断する。
でも、アレクサンダーは、強烈な疑問を前に、言葉を止めることができなかった。
「ひょっとして、俺をかばおうとしたのか? 死なない、俺を?」
「うむ。アレクサンダーはこの城で死ぬという予言があったからのう」
「なんでカグヤは、その予言を言わなかった?」
「そりゃあ、周囲を己よりはるかに有能な者に囲まれ、その中で活躍できん状況が続けば、活躍したいと思うのは道理じゃろう。力なく、技能なく、知識なく、経験のないこの肉体の元の主が活躍するには、予言を独占するしかないからのう」
「そんなことに、命なんか、懸けなくたって……!」
活躍なんかしなくったってよかった。
周囲と自分を比較なんかしなくてよかった。
カグヤはただ、カグヤとして生きていてくれればそれで充分だった。
けれど、アレクサンダーのその考えに、カグヤの体をもったソイツは、笑いながら、とどめを刺した。
「役立たずの末路は暗い穴蔵じゃからな」
……自分たちが、どんなに、カグヤを認めても。
どんなに、カグヤを大事にしても。
カグヤ自身が、自分を認めていなかった。
活躍なんかしなくっても、大事にしていたけれど――
カグヤを見捨てて逃げた連中のように、彼女を置き去りになんか、しないつもりだったけれど――
カグヤにとってはそうじゃなかったと。そういうこと、なのだろう。
「貴様らの知る『カグヤ』は、思いの外、あの穴蔵を恐れておったようじゃな。だから、イーリィとかいうのよりも活躍したかったと」
「……なんで」
「そりゃあもちろん、嫉妬じゃろう。少女らしい、淡い感情――」
カグヤに対する凌辱がまた始まろうとしていた。
けれど、それを止めた人物がいた。
ダヴィッドが、地面に、大鎚を叩きつけて、その轟音で、言葉を止めたのだ。
「黙れ。それ以上言うな。アレクサンダーも、質問するな。テメェは死者の想いを暴いて、なにが楽しい。カグヤの気持ちを考えやがれ」
その語調は静かだったけれど、形相には未だかつてないほどの憤怒が宿っていた。
なにからなにまで、もっともだった。
ダヴィッドの言葉は圧倒的に人として正しくて、その場の誰も、それ以上言葉を重ねることができなかった。
ただ一人、カグヤの中に入った何者かが、よくわかっていないように首をかしげて、
「それで、わらわはどうすればよいのじゃ? 貴様らは、わらわになにを望む?」
その問いかけはあまりにも無垢で、やっていることの悪辣さのわりに、悪意というものがソイツからは一切感じ取れなかった。
本当にソイツの意識は生まれたばかりなのだ。
カグヤの持っていた記憶も思い出もあっても、コレは赤ん坊に近い。質問されただけ答える。望まれただけ叶える。そこに疑問などない。疑問を挟むほどの自我が、まだない。
本当の、本当に、カグヤではない。
その事実にアレクサンダーが打ちのめされていると、口を開く者があった。
シロだ。
「あの、僕、今から空気読まない発言しますけど」
いつもの微笑を浮かべてそう前置きしてから、
「さっさとモンスターを掃討して人を呼びこみませんか?」
それはこの根拠地を得ようと思った目的そのものだった。
カグヤは死んだ。
死んでも、このパーティの目的が変わるわけではない。
アレクサンダーたちが助けてしまった人たちがいた。もしも彼らをここに集めるのならば、行動は早い方がいいだろう。
世にはモンスターに殺されている人たちがいる――だなんて大義っぽいことまで付け加えて、シロは全員の本来とるべき行動を明確にした。
もちろんアレクサンダーにはその発言にこめられた裏の意味もわかった。
だから、アレクサンダーは、二度息を吐いてから、
「……嫌な提案をさせちまったな。悪い。……俺が言うべきことだった」
「いえいえ。我が偉大なるアレクサンダーのためならば、この体も心も、傷つくこと厭いませんよ。……なーんちゃって」
「最後におどけるんじゃねーよ」
アレクサンダーは笑みを取り戻した。
でもそれは、凶悪に歯を剥き出して笑おうとして失敗したみたいな、毒気のない、少年のような笑顔だった。
そして、アレクサンダーはカグヤの体にいるモノに向き合って、
「俺はお前になにも望まない」
「ほう」
反応するソイツは、意外そうというほどでもなく、納得しているという様子でもなかった。
応答として感嘆してみせたけれど、ソイツが発した声には感情が乏しかった。
「……お前のことを受け入れるのは、正直まだ難しい。でも……とりあえず、生まれたなら、それはいいことだ。お前みたいなヤツもいる。俺の世界はまた広がった。……そして俺は、広がった自分の世界に、初めて戸惑いを覚えてるよ」
「ならば、わらわはどうすればいい?」
「お前はカグヤじゃない」
「そうでもあり、そうでもない」
「俺はお前をカグヤと思いたくない」
「なぜじゃ? カグヤが死して、貴様らは悲しんでおるではないか。記憶も思い出も容姿もカグヤと共有しておるわらわが、カグヤとして復活してやってもいいのじゃぞ?」
「お前にカグヤを塗りつぶす資格はない」
「……うむ? ようわからんのう」
ソイツは首をかしげた。
アレクサンダーは、解説する気はないという態度で言葉を続けた。
「だからお前は、お前として生きろ。名前が必要なら、『カグヤ』以外を名乗れ」
「そうは言われてものう。カグヤという名前も貴様がつけたものじゃろ? わらわにもなんぞ名付けてくれんか?」
アレクサンダーは目を閉じた。
よぎるのは、あの日、穴蔵で出会った時のことだ。
打ち捨てられた預言者。
穴蔵の中の少女。
空けた天井から差し込む光にきらきらと輝いていた、銀の少女。
「……あの日見た光が、どうしてもちらつくな」
「うん?」
「『月光』」
「……カグヤの知識を参照するに、人名ではなさそうじゃが」
「悪いけど、俺はお前を、人と思うことができない」
死体に降りた魂を、そう、思えない。
それは、自分自身をそう定義していないという告白でもあった。
「……でも、カグヤじゃないと割り切ることもできない」
塗りつぶされる、とはそういうことだ。
コイツがもしもカグヤを名乗り、カグヤとして生きたならば、絶対、カグヤにしてしまう。
記憶の中の違うフォルダに、こいつとカグヤを分けて入れられる自信がなかった。
混ざってしまう、ではなく、混ぜてしまう。
……だって、『少女は死んだけれど、奇跡で復活し、幸せに過ごしました』という方が、物語として幸せだから。
幸せになってほしかったから。
だから、なぐさめに、こいつの行動一つ一つを見て、こいつが幸せそうにするたびに、『カグヤもきっと、生きていれば、こんな顔で笑っただろうな』だなんて、思ってしまわない自信がない。
そうしていくうちに、こいつはカグヤそのものと見なされるようになっていく。
アレクサンダーが、アレクサンダーそのものと見なされているように。
肉体を、魂が塗りつぶしてしまう。
魂が、他の人の記憶を、塗りつぶしてしまう。
……それだけは、許せなかった。
アレクサンダーの表情から、なにを察したのか……
そいつはニヤリと笑った。
「ほう。なるほど、それもよい。曖昧な者と望むのであれば、わらわは『月光』と名乗ろう」
たぶん、アレクサンダーがカグヤの死を認めたのは、この瞬間だった。
カグヤはこうして死に――
同じ体で、月光という者が、生まれた。