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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
十三章 建国の物語
143/171

141話 死/空いた体に入り込んだもの

 その化け物は、『たゆたう黒き影』と名付けられた。


 サロモンによる名付けだった。

「まあ、長いので『影』と呼ぶがな」とかふざけたことを平気で抜かしやがるサロモン先生につっこんでみたりしているうちに、『影』との戦いは始まった。


 あまりにも巨大な、ヒトガタの化け物。


 とはいえ、でかい敵の相手もそろそろ慣れ始めている。

 ステータスで言えば、強いは強いが、強敵というほどでもない。


 問題はそいつのHPがいくら殴っても全然減らないことだった。


 これは防御力の問題じゃない。

 以前に戦った例の『くじら』と同じような感じだ。

 ダメージを与えられる部位があり、その部位は条件を満たすまで露出しない。


 アレクサンダーは、手を変え品を変え、『影』を刺激する必要にかられた。


 攻略法を探しながら戦うというのはなかなか楽しいものだ。

 この世界には娯楽はないから、戦いがほとんど唯一の娯楽だった。

 楽しいことがなにもないわけじゃあない。けれど、世界全体が、どうにも、娯楽や芸術などの文化が生まれるほど、土壌として恵まれていないのだった。


 だからアレクサンダーはモンスター退治という娯楽に夢中になった。

 それ以外に夢中になれるものがなかったから、必死に夢中になった。


 なにかに集中している瞬間だけは、様々なものを忘れる――意識の外側におくことができたから。


『様々なもの』


 望むと望まざるとにかかわらず背負ってしまった様々なものがある。

 気楽に、なにも背負わず、なにも抱えない旅をしているつもりだった。

 色々な土地で発生していた問題に首を突っ込むのは望んだ通りだった。しかし、その結果として様々なつながりができてしまい、最近では、背負うべき新しい信者も増えてしまった。


 これをすっかり無視して、『知るか!』という態度で、気楽なままに旅を続けることもできただろう。

 というよりも、アレクサンダーは、自分をそのぐらい無責任でテキトーな性質の持ち主だと思っていた。


 でも、違ったようだ。


 責任感なんか感じるのは嫌いだった。

 ――それは、つい、感じてしまうから、嫌いなのだということで。


 誰かを救うつもりはなかった。常に傍観者として、おいしいところだけかかわろうとしてきた。

 ――それは、誰かの問題に必要以上に感じ入って、気づけば当事者のような心情でかかわってしまうから、自分をいさめていたということで。


 そうして背負ったものが知らないあいだに彼をさいなんでいた。


 もしも眠ることができるなら、そのあいだだけは思考を止められたのだろう。


 けれど彼は眠れなかった。

 食事も睡眠も必要のない完全無欠の不死身の男だ。いくら運動したところで肉体は疲労を訴えることはなく、いくら思考したところで頭が疲れるということもない。


 そうして彼は、つい、考えてしまうタイプなのだった。


 色んなことを考えてしまう。起きているあいだじゅう、つい、想像してしまう。

 世の中には考えたって無意味なことが山ほどあって、そういったことに対し思考リソースを割かないことこそ大事なのだと思っている。

 ……できないから、大事なのだろうな、と思っている。


 故郷の宗教の行く末。

 増やしすぎた信者たちの行動。

 自分が神の名のもとに救った、あるいは救えなかった人々のこと。


 サロモンの村のジルベールと、西で再会する約束をした。

 ドワーフたちはあれからどうしただろう。ドラゴンの火炎を奪ってしまったことは、彼らにどんな影響を与えただろう?

 シロのいた港町の問題はあれからどういう推移をしたのか。真白なる種族はうまくやれているのか。ダリウスは潰れてはいないだろうか。

 ウーの故郷はどうなったのか? あの気楽でかわいらしい連中は幸せにやっているだろうか?


 明るい未来を想像しようとしている。


 でも、誰にでも、経験があるだろう。

 考えれば考えるほど、悪い想像ばかりがふくらんでしまって、そこに囚われてしまって、気になってたまらなくなる。


 ガスの元栓。


 閉め忘れたような気がする。いや、勘違いかもしれない。確認に戻るには家から離れすぎていて、閉めたかどうか確認をとれるような人も家にいない。


 こういう『どうしようもない不安』は、忘れるに限る。


 多くの人には忘れることができる。『まあ、不安だけど、いったんおいておいて』ということをして、人は心を守りながら生きている。

 だいたい、こんなものは帰ってみたら案外閉まっているものなのだ――なんて気楽にとりあえずの結論を出して、そのことをすっかり忘れてしまうことが、人にはできる。


 一部の人を除けば、誰でも持っている『忘却』という機能。


 アレクサンダーには、これがなかった。


 だから、戦いだけが彼を癒した。


 すべての思考を一つのことだけに向けられる、戦いという濃密な時間だけが救いだった。


 ……今はもう、それも、完全なる救いではない。


 戦いのたびにヘンリエッタの姿がよぎる。


 彼女の死はアレクサンダーの頭と心に強い負荷をかけた。

 理由もはっきりしない死に様だ。不可解なタイミングでの飛び出しだ。裏でどう暗躍してあの場面で飛び出したのかさえわからない経緯不明の自殺だ。


 あまりにも情報量が多すぎる。

 あれを思い出すたび、アレクサンダーは戦いの中でも『思考』を始めてしまう。


 そうして、彼は導き出すのだ。


『この旅路で起こったあらゆることは、自分が望んだからそうなったのかもしれない』


 うまくいきすぎた旅立ち。

 出会う仲間は、みな、特異な能力を持っていた。

 様々な場所を巡って、すべてを自分にとって快い結末に持っていった。


 閉塞から解放へ。

 壁をぶち壊し続けた旅路。


 でも、居心地のいい場所を守る壁をぶち壊して、一回もおとがめなしというのは、いくらなんでも都合が(・・・)よすぎ(・・・)なのではないか?


 そういう思いが次第に強くなって――


 快い結末が、おとずれなくなった。


 そうだよな、と思う。それでこそだ、と思う。

 だって自分はよそもの(・・・・)だ。そんな自分がちょっと情報を集めてちょっと顔色をうかがってやったことが、必ずいい結果につながるはずなんかないだろう。


 こういう不都合があってこそだ、と思った。


 だからきっと、その『不都合(・・・)であれ(・・・)という願い』が叶ったのではないか? と疑うまで、少ししかかからなかった。


 願いが叶うのはいいことだ。

 無双でチートで英雄だ。なにも悪いことはない。すべての人が夢見るストレスフリーな冒険譚。その主人公が自分だ。こんなに幸せな転生、歓迎する以外にどうしたらいいというのか?


 でも。

 アレクサンダーは、根本的なところで、このご都合主義を受け入れられなかった。


 自分という主役に巻き込まれて、他者の人生がねじまげられているという想像。

 その重圧に、耐えきれなかった。


 そんなどうしようもないこと、いったんおいておいて、忘れてしまって、今は、願いの叶うまま楽しめばいい。

 たまたまうまくいっていただけで、偶然にも願いが叶っているかのように推移していっただけで、振り返ってみれば、『願ったことが必ず叶ってしまうだなんて、とんだ思い込みをしていたものだ』と恥ずかしさに身悶えするような勘違いだったということが判明するかもしれない。


 だから、まあ、その考えはどこかにやってしまって、今は、うまくいく人生を甘受すればいい。


 それができれば、とても、よかった。


 アレクサンダーは戦う。


 無心になるようにつとめて戦う。


『影』にもだんだんダメージが入り始め、そいつの体はだんだんと細切れにされていった。


 頭部だけになって浮遊しながら攻撃してくる『影』。


 そこに表出した黒い球体――核のようなものを見て、シロが「ああ、アレが弱点みたいですね」と述べた。

 彼の弱点看破の目には、絶大な信頼がよせられている。なにせチートスキルだ。

 だから、彼が弱点と申告した場所に、攻撃が集中された。


 主に戦っているのは、アレクサンダー、サロモン、シロ、ダヴィッドだ。


 ウーは謁見の間の外に逃がされ、イーリィも視界が通る場所に離れて立っている。そのあたりにカグヤもいて、戦う人たちをじっと見ていた。


 戦いは長かった。

 全員が疲れ果てている。


 バラバラに寸断された『影』の肉体だったものが、あちこちに散らばっている。

 モンスターは死ねば消えるが、死ぬまでに切り落とした部位などは残る。


 アレクサンダーは、なるべく、ものを考えないようにつとめていた。


 考えてしまえばきっと、その通りに推移するだろうという恐怖が、彼に無思考を維持させていた。

 けれどそれは決壊を間近に控えた堤防のようなもので、こうして戦いが終幕に近づくと、今にも破れて、あらゆる思考が吹き出しそうになる。


 ちらつくヘンリエッタの影。


 行動が不可解であればあるほど、アレクサンダーは『自分が無意識で望んでいたことが叶ったんじゃないか』と考えてしまうのだった。

 ヘンリエッタのあのわけのわからなさに恐怖したことはあったのだ。なんでついてくるんだろう、と疑問に抱かない瞬間はなかったのだ。

 優しい人だったけれど、あくまでも姉として振る舞う彼女に不可解さを覚えたものだった。

 独占欲というか、管理欲みたいなものがある人だった。何気なくイーリィなど――特に女性と会話をした日、みなが寝静まった夜には、なぜか、色々問い詰められることもあった。

 そうして――そうして、わずかに、冗談のようにだけれど、彼女にいなくなってほしいと一瞬思うことだって、たしかに、『なかった』とは言えない。


 だから、それが、叶ったのではないか。

 でなければ、あんな、意味のわからない、唐突な死など――


 ――思考があふれだしていた。

 慌てて壊れかけた堤を補修する。


 けれど思考は瀑布のようだった。

 なにも考えないということが、こんなにも難しい。


 だからこの一瞬、アレクサンダーの意識は、自分の内側にあった。


「おい!?」


「カグヤちゃん!?」


 ほとんど悲鳴のように、ウー・フーとイーリィの声が響いた。


 アレクサンダーは振り返る。


 視界の中では、カグヤがこちらに向けて走ってくるところだった。


 いや、『こちら』ではなく――カグヤには、なにか、明確な目標があって、そこにまっすぐ走っていた。


 視線を動かす。


 カグヤの目指す先には『手』があった。『影』から切り落としたパーツの一つ。ドロップし素材となったはずの部位。


 その『手』の指がわずかに動いたのを、アレクサンダーは捉えた。


 捉えたとほとんど同時、カグヤが、その『手』をお腹に抱え込むようにして、抱きしめた。


 そして、弾けた。


『手』はその五指を伸ばし、うねらせ、カグヤの体に、五つの大きすぎる穴を空けた。


 そもそも、『手』の目的はアレクサンダーたちを背後から奇襲することにあったらしい。

 しかしその試みは失敗した。イーリィたちの悲鳴のような声がアレクサンダーたちの注意をカグヤに――その目標である『手』に向けさせ、カグヤの小さく薄い体が、攻撃の初速をにぶらせた。


 胸。みぞおち。腹に三つ。拳大の――それも大人の男の拳大の大穴。

 穴が空いた胴体はすっかり『なくなって』いる。

 間違いなく即死――


「なにしてるイーリィ! カグヤを治せ!」


 あふれ出そうとする思考を堤の向こうにおしやって叫んだ。


 ――イーリィの力でも間に合わないことは、もう、とっくに、わかっていた。


 でも、ここで少しでも理性的な判断を下してしまえば、もう、思考が止まらなくなって、頭の中の動きで手一杯になって、体が動かなくなることもわかった。


 だからこの瞬間だけは完全に考えることをやめられた。


 渇望した通り。

 思考を止めるという安息を得た。


「…………この! 悪あがきしないで、おとなしくやられとけ!」


 建物の天井を切り裂くほどに長く伸ばした剣で、飛び回る『影』の核を両断する。


 核はカッと光を放ち、砕け、塵になった。


 風が吹く。


 屋内であるはずのその場所に吹き抜けた風は、ダンジョンマスターを倒した時に起こる波動だった。

 モンスターの生成が止まる前兆というのか。ダンジョン内に広くマスターが倒されたことを告げるものだった。


 こうしてアレクサンダーは、根拠地となりうる場所のダンジョンマスターを倒したのだった。


 でも、そんなことは、どうだってよかった。


 アレクサンダーはカグヤに駆け寄る。


 とっくに冷たくなった小さな体。傷はもう一つもなかった。けれど、目覚める気配も全然なかった。

 その死に顔は、なぜだか満足そうに、穏やかな笑みを浮かべていて――


 ――どうして?


 どうしてこの子が死ななければならなかった。

 なんのために、あんな、命を捨てるようなマネをした。


 莫大な量の思考が、堤を壊してあふれ出した。


 あらゆる理由を検討した。あらゆる原因を模索した。

 でも、なにもわからなかった。カグヤの考えが、カグヤの行動原理が、なにも、なにひとつ、わからない。


 彼女を失いたいなどと望んだことがあったはずがないのに。


 彼女だけは、自分が最後まで責任をとりたいものだった。

 あの地下空洞で出会って、旅に連れ出してから、こいつの先行きにだけは絶対に責任をとるのだと、それだけは誓ってここまで来たのに。


 ああ、でも、でも――絶対にないと言い切れるほどに望んでないことが起こったことで、自分は『自分の望みが叶っていたわけではない』という確信を得るための材料を獲得した。

 望みなんか叶わない。これまでの旅路で起こった奇跡は本当にただの奇跡で、その原因も責任も自分にはないのだと確信する材料を、獲得したのだ。切望していたものを、手に入れたのだ。

 望んだことが、叶ったのだ。


 もう、なにも、わからない。


 アレクサンダーの思考はもはや迷宮に囚われていた。


 光差さぬ、分厚い壁に包まれた迷宮だ。


 あらゆることを望みたくなかった。

 あらゆる願いに叶って欲しくなかった。


 でも、もしも、本当に、願いが叶うというなら――


 ――かみさま。

 ――もしも、本当にいるなら。

 ――もしも、転生させた俺のことを見ているなら。

 ――どうか、この子の命を、取り戻してほしい。


 願いは叶わないでほしかった。

 願いに叶ってほしかった。


 もう、わからない。

 けれど、ただ一つ、たしかなことは、カグヤの人生はこんなところで終わるべきものではなくって、まだまだ、もっと、楽しいことを経験してほしかったということだけだった。


 だからアレクサンダーは、自分の体温を与えるように、カグヤの亡骸を抱き締め続け――


 ぴくり、という、動きを感じた。


 完全に死んだはずの彼女が、指先を動かす。


 呼吸さえ忘れて、その幼い顔を見る。


 銀色の毛に包まれた狐のような耳がわずかに揺れ、ふさふさの大きなしっぽが、少しだけ、床をなでた。


 まぶたがピクリと動き、それから、ゆったりと、開いていく。


 ああ、願いは、叶う。

 彼女は、生きている。


 アレクサンダーの思考迷宮に一筋の光が差した。


 自分の願いは人の人生を歪めたけれど、それだけではなく、人を救うこともできるのだと――


「……うん? なんじゃ、どういう状況じゃ?」


 カグヤの声。


 けれど、それを聞いた瞬間、アレクサンダーは戸惑った。


 その声はカグヤの口から発せられたもので、カグヤの声だ。

 でも、その言葉はぜんぜん、カグヤのものじゃなかった。


 うまく言えないけれど、彼女らしからぬイントネーションというか、トーンというか、そういうものが、宿っていた。


 笑顔のまま固まるアレクサンダー。

 その顔を見て、カグヤの口で、そいつは言った。


「悪いが、わらわは『カグヤ』とかいう存在ではないぞ」


 ……わかっていた。


 アレクサンダーは、これを知っている。


 この現象を知っている――どころか、経験したことがある。


 ――転生。


 それは、死した幼い子供の体に新しい魂が入るもので。


 ようするに、目の前にいるのは、自分と同じ。


 カグヤの肉体とカグヤの記憶を持った、カグヤではない、誰かだった。

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