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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
十二章 くじらと死の戦場
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134話 炎に映るもの

 人から納得を得ることは難しい。

 それが、人の生活を一変させてしまうようなことを起こしたのならば、なおさらだ。


 アレクサンダーによる事後処理はうまくいったとは言えなかった。


 ただ、現実問題として、『くじら』は死に、たくさんの子供たちの命を喰らって存続していた文化はともに死に絶えるしかなかった。


 アレクサンダーは近場のダンジョンの情報を与え、ダヴィッドによる家屋をこのなにもない……戦争の果てになにもなくなってしまった平原に建てることを約束した。

 食になりうる情報と、住居の無償提供。

 ただし、それはそれとして、『くじら』を崇めていた人たちの気持ちは鎮まるものではなかった。


 差し出されるものは受け取るが、それだけで心がケアされたわけではない。

 貴重なものを奪ったのだ。数多の子供の命が詰まった結晶たる『くじら』様を奪ったのだ。『くじら』様がいればまかなえた食料と衣服と住居と明かりと衛生を奪ったのだ。

 それを補填するのは当然として、このよりどころを失って傷ついた心をどうしてくれるのだ――


『くじら』を崇めていた老人たちの主張は、だいたい、こんなところだった。


 どうしようもなかった。


 価値がわかれば、同じ価値のものを与えることもできる。

 けれど彼らの要求には『際限』の気配がなかった。

 どこまでも被害者となってしまった彼らは無限の償いを要求してくることが明らかで、それは、どのように彼らに寄り添っても、永久に償いを認められないもののように感じられた。


 シロがもう一度「黙らせましょうか?」と提案した。


 それは『一応言ってみる』といういつものやつではなくって、アレクサンダーが少しでも許可をするような気配を発したならば、その瞬間に動き始めるという、実行の決意がみなぎったものだった。


 しかし、この提案をアレクサンダーはきっぱりと断った。


 断って、代案が出るわけではなかった。


 どうにもアレクサンダーは人の死を忌避しているようだった。

 それはたぶん、異なる世界の倫理観なのだろう。

 あるいは、ヘンリエッタが死んだすぐあとだから、その死に姿がよぎって、おそろしさが込み上げてきた――なんて、彼にしては珍しい、わかりやすい理由があったのかもしれない。


 ともあれアレクサンダーは今この場で老人たちを死なせることはしなかった。

 けれど、永遠に保障を求め続け、なにもせずに騒ぎ続けるだけなら、そのまま死んでいくのもいいだろう、ということで、住居と今後の糧の得方の提供以外の補償はしなかった。


 不満は出たが、気に入らないからと襲いかかる人はいない。


 立ち向かっても勝てないことがあきらかだったし、それに、勝てないまでも立ち向かうという気概の人もいなかった。


 ……さまざまな問題の種みたいなものを残して、『くじら』を巡っていた戦争は終わり、ようやく、旅立てるだけの事後処理は終了した。


 ヘンリエッタのなきがらがあるところへと戻るころにはとっくに朝で、これからたくさんの素材を集めてダヴィッドに人々の住居を用意してもらうとなると、旅立ちは早くても夕刻ぐらいになるだろうかと思われた。


「ああ、姉さんは、荼毘(だび)に伏したんだな」


 ヘンリエッタの体は埋葬されるのではなく、焼かれたようだった。

 アレクサンダーの故郷でも、死者が出たらこうしていたらしい。

 もっとも、人を焼くというのは時間がかかるものだから、さすがにここでは焼かないだろうとアレクサンダーは思っていたようだったが……


「サロモンさんにお願いしたら、やってくれまして」


 イーリィがそう言って、サロモンの方を見た。


 サロモンは背中をすっかり隠すぐらい長い金髪をこちらに向けて、どこか、こちらではない方を向いていた。

 長い外套のポケットに手を入れ、決してこちらを見ない。


 その姿に、アレクサンダーは小さくため息をついた。


「ほんと、あいつ、ツンデレなんだよな……」


 ツンデレエルフめ、とつぶやく。

 

 サロモンの炎は特に密閉していない空間でも激しく、熱く燃え盛り、ヘンリエッタの体をその中に溶かしていく。

 焼け爛れていくというような感じではなかった。それは本当に、火に溶け込むような、穏やかで美しい火葬だった。


 たちのぼる煙を見て、独特なにおいをかいで、アレクサンダーは空を見上げる。


「……たしかに、予想だにしないことが起こってほしいとは思ってるけどさあ」


 そうつぶやいて、


「……ああ、これも、願いが叶った結果、だったりするのかね。望んだ覚えはねーんだけどな」


 両手で顔を覆った。

 あとは深くて長い吐息だけが聞こえてくる。


 ――仲間が死んだ。

 不可解に、唐突に、死んだ。


 けれどまだ悲しみはわき起こらない。


 カグヤは自分が悲しんでいないことを悟られないために、あかあかと燃え盛る炎をじっとながめた。


 そこには、ヘンリエッタの満足したような死に顔が浮かんでいる気がした。

 ……彼女はたしかに、アレクサンダーの心に、消えないものとして遺ることに成功したのだろう。


 自分がそうなるはずだったもの。

 割り込みによる予言された未来の変更か、あるいは、『自分が死ぬ』未来はあまりにも詳細なだけの想像だったのか……


 今となっては、もう、わからない。


 受け止めも抱えもできないまま、旅は続く。

 でも、今まで考えなかった『旅をする意味』についての疑問が、少なからず、みんなの心によぎり始めた気配があった。

十二章 くじらと死の戦場 終

次回更新は10月10日10時(再来週土曜日)

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