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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
十二章 くじらと死の戦場
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133話 彼女の果て

 戦いはアレクサンダーの勝利に終わった。


 ……もっと言うと、アレクサンダーと敵の討伐数で競っていたサロモンの勝利に終わったのだけれど、その勝敗について言及する者は、その場にいなかった。


「……なんでだ?」


 戦闘が終わって、ヘンリエッタのなきがら(・・・・)のそばに寄って、アレクサンダーは、困惑していた。


 だって、ヘンリエッタの行動には、いくつもの意味不明なポイントがある。


 カグヤでさえ気付くのだ――あそこで、わざわざ前に立って、かばう必要など、なかった。


 むしろ、カグヤが尻もちをつくのが間に合ったからいいようなものの、あのかばいかたでは、かばったはずのカグヤまで、ついでのように『くじら』に貫かれていた可能性が高い。


 割り込む暇があるなら、後ろに引き倒すとか、横から押すとか、あるいはもっと乱暴に、カグヤの膝の後ろでも蹴って倒してしまった方が、確実だった。


 必死で、そこまで頭が回らなかった、ということもないだろう。


 カグヤの目から見ても、あきらかに、ヘンリエッタはあの瞬間に備えていた。

 一瞬、カグヤを振り返って笑うぐらいの余裕はたしかにあったのだ。


 確実に備えていた――だから問題は、『どうして備えることが出来たのか?』というところにも発生している。

 姿をくらませてから、ずっとこの時のために控えていた? アレクサンダーのステータス閲覧というこの上ない索敵の目さえかいくぐって?


 そもそも『くじら』が目覚めたところからして、予定外であり、予想材料はなかった……はずだ。

 アレクサンダーは予想の一つにふくめていたようだが、それだって『根拠がある』というものではなく、『可能性がある』程度のもののように思われた。

 ヘンリエッタにはいったい何が見えて、どういう想定で行動できたというのか?


 それに、なにより。

 自分が命懸けでヘンリエッタにかばわれる理由がわからない。


 だって、ヘンリエッタにとって、アレクサンダー以外には、そこまでの価値はないものと、思えた。

 それは旅の中でみんなを後ろから観察し続けたカグヤにとって、ほとんど確実と言えるぐらいにたしかな見立てだった。

 ヘンリエッタはアレクサンダー以外のためには動かない。弟と看做(みな)したアレクサンダー以外のためには……


 数々の不可解があって、アレクサンダーもシロも、その疑問の処理に忙しいようだった。

 この結果につながる材料を頭の中で探して、それがどこにもなくって、また、頭の中で探して――ということを繰り返しているようだった。


 サロモンはわからない。

 彼はやっぱり、顔を背けていた。

 普段からアレクサンダーとシロ以外の顔を見ようとしない彼は、いつもの通りそうしているようにも見えた。

 けれど、その不機嫌そうな顔にはわずかな動揺が、カグヤからは見えた。


 仲間の死。


 しかも、不可解で、疑問だらけの、死。


 カグヤをかばって死んだのだ――というのは、あきらかだった。

 あきらかだったのだけれど、その方法や、そこにいたる経緯について謎だらけの、死。


 けれど。

 カグヤには、ヘンリエッタがなぜ、こうしたのかだけは、わかった。


 だってヘンリエッタの穏やかな死に顔は、想像の中で自分が浮かべていた顔だった。

 ヘンリエッタはカグヤに比べればずいぶんいろいろなことができたけれど、彼女には自信がなくって、そこにはカグヤも共感していた。


 だから、こうしたのだろう。


 爆発的にかかわる相手を増やすアレクサンダーの中で、相対的に小さくなっていく自分を感じて、それをどうにかする手段を探して――

 目の前で死んでみせるのが一番簡単なのだと、理解したのだろう。


「……違うだろ」


 不意にアレクサンダーがつぶやいて、カグヤはつい、びくりと体を震わせた。


 その声は、今までに一度だって聞いたことのないほど低くて、それから、とてつもない怒気に満ちていた。


「『どうして』『なんで』よりも先に、ずっとずっと先に、抱くべきモンがあるはずだろ。なんで俺は――真っ先に、なにかを考える前に、悲しむことができねーんだよ」


 自分に対する、激しい怒りだった。


 そうだ、悲しまなければいけない。――いや、悲しむべきだ。

 だって旅の仲間だったから。

 まずは悲しいという気持ちが押し寄せてくるべきだ。それが、普通の、あるべき姿だ。カグヤだって、そうだろうと思う。


 でも、違和感と不可解さと唐突感が、それを許してくれない。


 カグヤはヘンリエッタの心情がなんとなくわかるだけに、さらにもう一つ、浮かび上がるべきではない感情が、自分の中にわきあがっているのを感じた。


 ――割り込まれた。


 この穏やかな死に顔は、自分が浮かべるはずのものだった。

 もはや想像だったのか予言だったのかも判然としない。それがなにか確かめる機会を失われた未来予想図の中で、こうやって、すべての不安から解放されて穏やかに眠るのは、自分のはずだった。

 そこに、割り込まれた。


「兄さん! ヘンリエッタさんが!」


 イーリィが慌てて駆けて来て、そこに少し遅れて、ダヴィッドやウー・フーも続いた。

 イーリィは近づいてくるとヘンリエッタのなきがらの横にへたり込み、その体をきれいに修復して、それでも目覚めないのを確かめると、ヘンリエッタを抱きしめて、その胸に耳を当てた。


「……」


 そうして、鼓動がないことを、知ったのだろう。

 イーリィは「どうして」とこぼしながら、涙を流し、ヘンリエッタの体を抱きしめた。


 ――なんて、理想的な、悲しみ方なのだろう。


 カグヤは心に重苦しいものがのしかかるのを感じた。


 イーリィの行動は、いちいち、『こうすべきだ』という手本を自分に示してくれる。


 これだけ『はみだし者』の多い中にあって。

 自身も『はみだし者』のはずなのに。

 異能を持っていて、その異能を前提にした行動をして、さんざんアレクサンダーたちのおかしな行動に巻き込まれているはずなのに――


 どうしてこんなに、普通の人みたいな行動が、できるのか。

 演じている様子もなく、ごく自然に、誰もがその悲しみの深さを感じ取れるようなことが、できるのか。


 ヘンリエッタの死を悲しむより先に、違和感と不可解と『割り込まれた』という悔しさを感じていた自分を恥じるしかなかった。

 イーリィの姿はいちいちまばゆくて、そこには、異常にもなりきれず、さりとて普通の人にも混じれない自分の中途半端さをあからさまにしてしまう、輝きみたいなものがあった。


 ヘンリエッタのなきがらを静かに、丁寧に横たえて、イーリィは祈り始めた。


 神なんか信じていないくせに、その祈り姿はカグヤでさえも感じいるほどに神々しかった。


 ようやく追いついたダヴィッドとウーも、なにかを言う前に、イーリィの姿に見入っているようだった。

 ……アレクサンダーと、シロと、サロモンすらが、祈るイーリィの姿に視線を釘付けにされ、それから、目を伏せた。


 正しい死者の悼み方。

 正しい悲しみ方。


 そのあまりにも断固とした、人として正しい姿に、カグヤは――いや、このパーティに同行したほとんど全員が、自分の『正しくなさ』を意識させられ、恥じ入ったようにさえ、感じられた。


「……私がもう少し近くにいれば、助けられたかもしれないのに」


 イーリィの発言は、アレクサンダーの分析の通りに、目の前で起こるあらゆる『死』の責任が自分にあるかのようなものだった。


 けれど、納得させられてしまう。

 彼女は聖女だった。


 どうしようもなく正しくて、彼女がただ普通に行動するだけで多くの人は自分のおかしさを意識させられ、そしてなにより、生命を差配するという点において、サロモンさえしのぐほどの力を持った、『人』を正しく強くしたような、そんな存在だった。


「……いや、助けられねーよ」アレクサンダーがようやく口を開いた。「ありゃあ、どうしようもなかった。胸の真ん中がごっそり消えたんだ。それで即死しねーのは、俺ぐらいなもんだろ。……お前が責任を感じることはねーんだよ」


「世界の果てにたどり着くまでに、あと何度、こんなことがあるんでしょう」


 何気なく浮かんだ想いが漏れただけ、という様子だった。


 けれどそれは、アレクサンダーの心に突き刺さったようだった。

 少なくともカグヤにはそう見えた。


 だって、この旅路には、人の生命を懸けていいほどの理由がないのだから。


 興味本位で始まって、ノリで続いている、布教という大義を掲げた旅で――言ってしまえば、アレクサンダーの趣味にすぎない紀行なのだから。


「さて」シロが手を叩き、微笑みを浮かべて、発言する。「『くじら』は倒し終えました。戦争の動機は消えました。あとはこの話をどうまとめるか、といったところが残っていますね」


 そうやって話題を転換するシロを、ダヴィッドがにらんでいた。


 ヘンリエッタとの付き合いがもっとも長いのはシロだ。

 だというのに悲しむ様子をまったく見せないどころか、気にしたそぶりもないあたりが、ダヴィッドの怒りを刺激したのだろう。


 けれど、シロはめざとくダヴィッドの様子に気づいて、


「わかっています」


「……なにがだ。テメェ()は、なにが見えて、どういう気持ちで行動してやがる」


「僕がもっとも悲しむべきなのは、わかっています」


「……『べき』とか、『べきじゃない』とかじゃ、ねェだろ。必要だからそうするってェ話なのかよ」


「あっはっは。あなたはそういう人だ。けれどねダヴィッド、死者の悼み方は人それぞれだ。あなたには、あなたの悼み方がある。僕には、僕の悼み方がある。そしてね、僕は自分より若い仲間に死なれるのが初めてではない」


「……」


「どうにも僕は、問題が残っているのに、死者を悼んで足を止めるのを好ましく思えない。死者一人のためにそれまでやっていたことを止めるのは、それこそ死者に対する冒涜だ。彼ら(・・)の命の意味を考える前に、彼らの死のせいで問題の解決を遅らせてはならない――と、僕は考えますが」


「……テメェは正しいよ。ああ、テメェらは正しいともさ。結果だけ見りゃァ、全部を最初っからわかってたみたいに、まるく収めちまう。わかってンだよ、アタシよりよっぽど先を見据えて行動してるってェことはよォ」


「納得はしていただけていないようで」


「正しいかどうか以前に湧き上がるモンはねェのかよ。行動を続けることが正しいとわかりつつも、どうしようもなく足を止める気持ちは、ちっとも湧き上がらねェのかよ!」


「率直に申し上げれば、ありませんね」


「そうかよ!」


「それはおそらく『人の心』とでも呼ぶべきものなのでしょう。けれどね、僕はそこがどうにもうまく(・・・)ない。悲しんでいるフリはできます。悼んでいるフリもね。けれど、そうやって演技をしてしまうのは、あまりにも不誠実だ」


「……」


「ダヴィッド、あなたはまだ若い。だから、あなたは知らないだけだ。あなたのようにすぐに自分の気持ちを知ることができる才能は、誰しもにあるわけではない。自分の様子をじっくり観察する時間を経て、初めて自分の心情を理解できる者もいる。素直に申し上げてしまえばね、悲しみ方を押し付けられるのは不愉快です」


「……悪かった」


「いえいえ。僕はね、あなたとイーリィさんこそが、このパーティの良心だと思っているんですよ。あなたたちは、正しく、人らしい。僕はそんなあなたたちを好ましく、そして、ちょっとだけ、おそろしく思っていますよ」


「おそろしい?」


「あなたたちが当たり前のように持っているものは、僕には欠如しているものなので。ほら、同じ姿で違う中身の生き物はこわいでしょう?」


「……そうみてェだな」


 シロは笑顔で、ダヴィッドは苦々しく、視線を交わした。


 それから、


「というわけで、事後処理をやってしまいましょう。あるいは、やらずに立ち去ることもできますが、どうしますか、アレクサンダー」


「立ち去りはしねーよ」


 アレクサンダーはじっとヘンリエッタを見下ろしたままだった。

 黒い前髪がその目元を隠し、サロモンのうちあげた光が照らす中で、顔には深い影がかかっていた。


「俺たちはあくまでも布教が目的だ。それさえこなさずに立ち去るのは、ねーよ」


「君はもう少し欲望に素直になれた方がいいのではないかと、僕には思えますけどねえ。やりたいことをやるのに、理由なんかいらないでしょうに」


「『好き放題やって責任をとらない』ってのは素敵だな。俺の心が強いか、自分のしでかした影響についてもっと考えないですむ記憶力してりゃあ、是非とも採用したい」


「……やはり君の人生はひどいことになりそうだ。死にたくなったら言ってください。引き受けますよ。できるかはわかりませんが」


「ああ、そん時は頼む。……ウーばあさんとダヴィッド……とサロモン……と、イーリィは、このへんにいろ。シロとカグヤはついてきてくれ。『くじら』を失った連中に、新しいすがり先を用意しにいく。……ただなあ」


「物質的支柱?」


「うん。今回は精神的支柱じゃなくて、『くじら』ってのが皮と肉と脂で物質的に貢献してたってのが問題だ。『くじら』撤廃派の連中はまあ、覚悟があったんだろうが、俺がついてた方のじいさんどもの説得は骨が折れそうだ」


「黙らせましょうか? 夜陰に乗じれば声をあげる暇さえ与えずに一人残らず口を閉ざせますよ」


「過激な提案は議論の中で出て、否定されることに意味があるんだったよな。お前の趣味でしてるわけじゃねーんだよな?」


「もちろんですよ。僕は縁もゆかりもない人たちを皆殺しにしてあげたいほど優しくないのでね」


 シロは肩をすくめた。


 アレクサンダーも同じようにして、


「いつものやりとりで安心するよ。……ああ、ほんとに……いつも通り、だな」


 幸せそうに横たわるヘンリエッタを見る。


 一足先に『果て』にたどり着いた、二度と目覚めない彼女。

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