132話 インターセプト
戦いの中では窮地のようなものに陥ることもある。
けれど、このパーティにおいて窮地は窮地ではない。
イーリィがいる。見ただけで即死以外のすべてを治してしまえる聖女が。
そもそもアレクサンダーは不死身だ。多少体が吹き飛んだところで、死にはしない。
……けれど、カグヤは、アレクサンダーが、跳ね回る『くじら』に体をかすめられるたびに、ぴくりと前に出そうになる衝動と戦っていた。
くじらは両断されればされたぶんだけ分裂した。
そうしてある程度まで分裂すると、『攻撃が通らない』らしい黒い体表で、弱い内側をくるんでしまう。
そうすると頭ぐらいの大きさの、攻撃が通らない球体がいくつもできて、それらすべてをかわしながら、攻撃の通るタイミングを狙うのは、だんだんと難しくなっていった。
というより、アレクサンダーはだいぶ前から回避をしようという意思が感じられなかった。
悪い癖だ。
自分が不死身であることを誰よりも知っているアレクサンダーは、不死身を頼んで突撃することが多い。
戦い方が雑になるというわけでなく、むしろ攻撃の精度を上げるために防御の精度を落としているらしいのだけれど、これが、見ている側からすれば、かなり危うく見えるのだ。
死なないのはわかりつつも、『本当に死なないの?』という疑問を抱いてしまうのが、『普通に死ぬ人類』として自然なことだろう。
ところがアレクサンダーにはこの機微がわからないようだった。
こういう自滅覚悟(本人は自滅しないことを知っているので、ちょっと違うのだろうけれど)の特攻をして、ボロボロになって勝利をおさめるたび、イーリィからお説教が入り、それをきょとんとして聞く――みたいなことが、わりと起こっている。
カグヤもまた、説教をしないだけで、ハラハラはしている。
そうして、ハラハラするたび、死なないとは頭でわかりつつも、かばおうと足が動きかけるのだ。
……それは、例の衝動によるものだと感じられた。
『くじら』の口に迷いなく入ろうとしたあの時に、自分を突き動かしていた衝動だ。
勇気ではなく。
絶対に助けてくれるのだという、仲間への信頼でもない。
もちろんカグヤとて命は惜しい。
死ぬつもりはないし、痛いのも苦しいのも、嫌だと思っている。
けれど、それでも、自分を死に向かわせる謎の衝動が、腹の底にうずまいている。
その衝動を強く感じるたびに、カグヤの頭にはアレクサンダーの顔がよぎる。
自分が死んだあとの、アレクサンダーの顔が――知りようもないその表情が浮かぶのだ。
なぜだかその光景は鮮明で、自分のなきがらを囲む仲間たちの顔まで、ありありと想像できた。
あるいは、これもまた予言なのかもしれないとさえ思う。予言と意識しないままに見た、未来の光景。
自分が当然死んでいるはずの時代の景色が見えるならば、自分の死の直後の光景だって、見えても不自然ではないではないか――
死した自分の気持ちは、ずいぶんと、穏やかだった。
今抱いている、『置いていかれる』とか、『アレクサンダーの中で相対的に自分の存在が小さくなる』とか、そういった杞憂は一切感じていない。
なんの心配もなく、アレクサンダーの中で唯一になれたのだという確信を抱いた、穏やかな最期……
ただの想像と述べるにはあまりにも鮮明に感じられる、死後の自分の気持ち。
この心配と焦燥から逃れ切った自分が、想像の中には、いたのだ。
……ああ、だから、この衝動は、そうなりたいという気持ちなのかもしれない。
楽になりたい。
一切の心配を手放して、一切の不安を放棄して、願いを叶えたい。
もう彼らに置いていかれる恐怖に怯える日々を過ごしたくはない。自分にいつか、ゆるがぬなにかが芽生えるかもしれないだなんていう根拠のない妄想にすがって努力を続けるよりも、よほど楽で、よほど救われている。
だって、人は、努力したから報われるとは限らない。
今、大事なものが、未来永劫大事だなんて、限らない。
目の前の差し迫ったものに集中しているうちに、それまで大事にしていたものは忘れ去られて置き去られるのだ。
忘れ去られたくない。
二度と置き去りにされたくない。大事な人たちと思えば思うほど、それに比例して、『もしも、置き去りにされたら?』という不安がふくらんでいく。
その不安と戦う日々に、早く、終わってほしい。
だけれど安易に衝動に身を任せることもできなかった。
生存本能みたいなものが自分にもあって、それが、自分の『出て行こう』という足を止める。
それに……それに、想像の、あるいは気付かぬうちに降りていた予言の中にある『死した自分』は穏やかですべての不安から解放されていたけれど、まわりの人は、そうではなかった。
死した自分を悼んでくれていた。悲しんでくれていた。
だから、悲しませるわけにはいかないと、思っている。
あと――
もしも予言だとしたら、自分がどう思おうが、そうなる。
だからなにも決意せず、こうしているだけで成就する。
そうやって足を止めているあいだにも、状況はどんどん進んでいった。
頭ぐらいの大きさのいくつもの球体となった『くじら』は、高速で飛び回り、アレクサンダーやサロモン、シロを襲っている。
その黒い体表は一切の『攻撃』を通さない――だけれど、攻撃は無意味ではなく、十回ほど叩けば、『くじら』は苦しげに体を開いて、赤い、弱点部分を露出するのだ。
そこを狙い打てば、いよいよ『くじら』の分裂にも限度がきているのだろう、地面にべしゃりと落ちて、うごめいて、それから、停止する。
モンスターは倒すと消えるものだが、倒し切る前にはぎとった部位は保持される。
どうやら複数体に分裂した『くじら』も『一体』と勘定されているようで、落ちたそれらは消えることはなかった。
その数がとうとう十体を切ったころ――
不意に、生き残っている『くじら』たちの動きが加速した。
「やべっ! シロ!」
アレクサンダーの短い呼びかけの意図に、シロはすぐさま気付いた――というか、言われる前には、すでに行動を開始していた。
一方で、戦闘をアレクサンダーたちの後方の離れたところで見ていて、全体を見渡せたはずのカグヤは、一瞬遅れて気付いた。
『くじら』のうち一体が、自分の方に飛来している。
それは偶然そうなったのか、あるいは『くじら』が子供を狙ったのかは、わからない。
不意の加速、不意のカグヤ狙い。
それにはアレクサンダーだけではなく、シロだけでもなく、そして、あのサロモンでさえも、対応ができなかった。
サロモンの矢がカグヤに迫る『くじら』を狙って放たれたけれど、それは急加速した『くじら』の通り過ぎたあとに突き立つだけだった。
その様子を見て、カグヤは、『サロモンにもパーティのメンバーを守る意思はあったのか』と、なんだかおかしく思った。
落ち着いている。
むしろ、納得している。
やはり、この、頭に鮮明によぎる想像は、想像ではなく、予言だったのかもしれない。
自分は死んで、あらゆる不安から解放されて、悼まれる。
死が恐ろしくないわけではないけれど。
痛みをいとわないわけがないけれど。
積極的に死にに行こうとは思わないけれど――
この死は、避けられない。
迫り来る『くじら』は、カグヤの回避を許さない速度だった。
ただ、思考時間だけが大量にあった。
景色がゆっくりと流れ、回避動作をとろうとする自分の動きも、ギリギリまで狙いを定めているサロモンの動きも、駆け出しているシロの動きも、刃を伸ばし振りかぶるアレクサンダーの動きも、なにもかもが、遅かった。
その遅い時間の中で、唯一、素早い動きをしているものは、こちらに飛来する『くじら』だけで――
いや。
自分と『くじら』とのあいだに、あらかじめ準備していたかのような速度で、割り込む者が、あった。
その真っ白い髪の女性は、肩越しにカグヤを振り返り、青い方の目で見た。
魅惑的な口元には笑みが浮かんでいた。
でも、その視線も、その微笑みも、どこか、カグヤに向けられていない感じがあった。
いつもこうだ。
ヘンリエッタが人を見るとき、その意識の中には『相手』がいない。
カグヤの頭をぶち抜くであろう高度で飛来した『くじら』は、ヘンリエッタの胸にぶつかったらしかった。
そうして、その胸を貫いて、人の頭部大の穴を空けた。
どう見ても、即死だった。
イーリィの蘇生さえも絶対に間に合わない、断固たる即死。
だというのに、尻もちをついて倒れ込むカグヤは、自分の頭上をうなりをあげて通り過ぎる『くじら』の風切り音にまじって、死んだはずのヘンリエッタの声を、聞いた気がした。
「これでもう、お姉ちゃんのことを、忘れないよね」
……それは現実に音として発せられたのか、それとも、そういうようなことを述べるだろうとカグヤが観察から導き出して聞いた幻聴なのかは、わからなかった。




