129話 自分だけの役割
その人たちはずっと昔から子供好きな『かみさま』の恩恵を受けてきた。
『かみさま』が、低い音で鳴く。
地面全部をふるわすような、低い低い声で鳴く。
すると『かみさま』に肉や皮や脂をもらっている人たちは大慌てて、恩返しの準備をするのだ。
子供好きな『かみさま』に、捧げる子供を、探すのだ。
「もう、一人もいなくなってしまった」
槍を持った老人は、悲しげにつぶやく。
夕暮れの赤い光を横から受けた老人の顔は、半分が影になっていた。
吠え続ける『かみさま』の声もあいまって、それは昨日まで味方として一緒に動いていた人ではなく、まったく知らない、人でさえない、ナニモノかに思えた。
「忌々しい『煽動者』のせいで、子供はみーんな、あっちに持っていかれてしまった。妊婦はいるが、まだ子供はおらん。そこに来た、二人の子供。……やはり、我らが正しかった。『くじら』様は我らに勝てと仰せだ。『くじら』様が……そこに贈られた子供たちの命が、我らの背を押しておる」
カグヤは、この老人をじっと見た。
昨日までとは別な生き物になってしまったかのような老人。
それは疲れ果てていて、覇気がなくて、なんだか、生きているのに、死んでいるかのようだった。
「我が子が『くじら』様の中で、新しい友達を求めている。君には、我が子らの新しい遊び相手となってもらいたい」
老人たちは武器を構える。
じりじりと迫ってくる彼らに――
苛立ったように、カグヤのすぐ横のダヴィッドが、大きな鎚を地面に叩きつけた。
「そいつァ、武器の切っ先をこっちに向けて言うことじゃねェよなァ? まだるっこしいンだよテメェらはよォ! 言葉に余計な装飾つけてンじゃねェ! 『大人しくぶち殺されろ』って言やァ、一言で済むんじゃねェのか!? あァ!?」
「死ぬのではない。命が循環するのだ」
「ああ、あァ、そうかよ。よぉくわかったぜ。テメェらとは会話ができねェってことがな!」
『最初っから叩き潰したかったんだ』とダヴィッドは大鎚を振りかぶった。
……そうだ。
ダヴィッドもアレクサンダーも、こちらの軍の理念を好むような性格をしていない。
それでもアレクサンダーは『とりあえず協力する』という道を選んだ。
こちらの理念が気に食わなくても、それは彼の計画からすればどうでもいいことにしかすぎなかったからだし……
ダヴィッドはその性質から、アレクサンダーの行動方針には基本的に逆らわない。
自分をあくまでも『旅に同行している武器職人』と位置付けていて、パーティ全体の行動方針に意見する立場にないと考えているから、ある程度は我慢する。
だけれど、ここらがさすがに、我慢の限界だったようだ。
カグヤは……
今まさに生贄として捧げられようとして、多くの老人が武器を持って自分を取り囲んでいる状況で、意外なほど、冷静だった。
もちろんカグヤにはこの人数を散らすだけの武力はない。
アレクサンダーやサロモンも、結構な時間が経っているというのに駆けつけてこない。
ダヴィッドはどうにもこの状況が起こりうるかもしれないとアレクサンダーから言われていた様子ではあったが、起こったあとにどう対応するかまでは言われていなかった様子だ。
イーリィもいないし、ヘンリエッタもどこに行ったか不明。
シロはいるのかもしれないが、カグヤからは観測できない。
ウーはまあ、なんだろう。この状況で現れても……という感じではある。
そんなふうに『助けが来ない』状況を冷静に分析できるぐらいに、余裕がある。
勇気だろうか。
信頼だろうか。
……そのどちらでもない気がする。
とにかく、カグヤは言う。
「わかった。捧げられよう」
「馬鹿かテメェは!?」
これには助けようとしていたダヴィッドがおどろきの声をあげた。
それはそうだろう、とカグヤは少しだけ、面白く感じた。
「ダヴィッド、アレクサンダーはなにをしている?」
「あァ!? なにって、サロモンと――おいィ!? いねェぞ、あの馬鹿! どこ行きやがった!?」
「だから、たぶん、わらわが捧げられることこそ、アレクサンダーの望みなのじゃろう」
ここに来て老人たちを蹴散らさないことが、その証拠だ。
ダヴィッドは舌打ちをした。
「……あいつもなァ、なにを考えてるかわかりゃしねェ。いや、色々見えちゃいるんだろうよ。きっとでっかいことを考えて、それをもとに行動してるんだろうよ。最近のあいつは特に、なにが見えてンのかわからねェ。なにもかもが見えてるような、そんなふうにさえ思っちまう」
「そうだ。アレクサンダーはきっと、ここまで見ている」
「けどなァ」
「……?」
「たとえ、あとで救い出す算段だったとして、ここで見捨てるのは、違うだろ」
「……」
「こんなちっちぇガキをよォ、『いけにえ』たらいうモンに、一人で行かせるのは、違うだろうが。……そいつァ、なんつうかよォ……やっちゃならねェことじゃねェのかよ」
ダヴィッドは、懸命に言葉を探しているようだった。
彼女は声が大きくて、乱暴で、人をよく叩く。
剣のことになるととたんに面倒くさい人になり、悩んでいる最中に声をかけると怒鳴ってくるから、黙っている時に声をかけるのはためらわれる。
でも。
色々考えて、先の先まで見て、論理的に行動する人たちの中で――
心細さも、恐怖も、嫌な気持ちも、『最終的に解決できれば問題にならない』と考えるような人たちの中にあって――
一番、瞬間瞬間の『気持ち』に配慮してくれるのが、ダヴィッドだった。
だからカグヤは、気持ちをぶつける。
「わらわの『役割』を、奪わないでほしい」
「……役割だァ?」
「アレクサンダーが、わらわに捧げた役割を、遂行させてくれ。わらわだからこそできる、わらわだけのものを、すでにたくさん持っているダヴィッドが、奪わないでほしい」
「……」
ダヴィッドは、愕然とした顔になった。
浅黒い肌がわななき、赤い瞳が揺れた。
身長の低さに比して太い腕の先で拳を握りしめ、それから、クセの強い赤毛をぎゅっと握って、
「そいつァ……どうして、お前は、そんなに追い詰められちまってンだよ」
泣きそうな顔で、言った。
カグヤは表情に乏しい顔に、かすかな微笑みを浮かべる。
「特別な者には、わからん」
「……そうかよ。……クソが!」
ダヴィッドは大鎚を地面に叩きつけてめりこませると、その場にどかっと座り込んだ。
「本人がこう言ってンだ。アタシは抵抗しねェよ。好きにしろクソが!」
極めて不服そうに、あからさまに不満そうに、カグヤを生贄に送り出すと述べた。
老人たちはそれでも警戒をゆるめず、武器を向けたままじりじりと包囲をせばめてきたが……
ついに槍の穂先がとどくという位置で、ようやく『本当に抵抗しない』ということを認めたのだろう。
武器をおろして、カグヤに手を伸ばした。
それは『押さえつけよう』とか、『捕まえよう』とかいう、強いてつきとは程遠い。
もっと、優しい――
カグヤには知りようもないことだが、『親が、子に、危ないから手をつなごうと差し出す』かのような、柔らかい手つきだった。
だから、カグヤはうっかり、その手をとってしまった。
「さあ、行こう。お友達が待っている」
老人は心からそう信じているように笑った。
これから化け物に少女を差し出すなどという現実はまったく認識していないかのように、優しく、笑ったのだった。




