125話 飛び交う言葉
アレクサンダーは楽しそうに戦争の準備を始めた。
この状況で彼がすることはだいたいが煽動だ。
アレクサンダーの手腕は人が多いほどよくなっていった。
集団の規模がふくらむほど人は過剰にアレクサンダーの言うことに反応するようになっていき、あとはもう、熱に浮かされた群れが出来上がるまで、ほとんど一瞬だった。
集団に熱が入ると暴走するというのは、プリズムの街から数個の集落をまわって、カグヤも学んでいた。
こういう時、集団の熱をたもったまま暴走を抑える手際はアレクサンダーにはなかった。
彼は煽るだけ煽って状況を加速させるけれど、それを止める方法を知らない……というか、止める気が、ないようなのだ。
だからそんな時、イーリィが活躍する。
イーリィはまともなことを言って人を冷静にするのがうまかった。
ただしそれは、よくよく考えてみると、ぜんぜんまともなことじゃない。
アレクサンダーが煽る時に集団に植え付けた『前提』……
集団を一つの方向に向かわせる時、アレクサンダーはよく『説明するまでもない』みたいな様子で、説明が必要なことを言葉の裏に忍ばせて、それを承諾を経ずに相手に呑ませてしまう、みたいな話術を使う。
イーリィが人の暴走を止める時、必ずアレクサンダーが仕込んだ『前提』が不動のものであるかのように言葉を連ねるのだ。
この微妙な空気感の察知というのか、アレクサンダーのやりたいことを無意識に汲むというのか、そういうのが抜群にうまい。
たぶんイーリィはこれを狙ってやっているわけではないのだ。
ただ、アレクサンダーの言葉を完璧に信じているだけなのだ。
言ってしまえばイーリィも騙されている状態で、同じく騙されている人に向けて言葉をかけるのだ。
このあたり、カグヤにはできない。
カグヤもイーリィも、アレクサンダーと旅をして、行く先々でアレクサンダーがうまいこと言っていろんなものをめちゃめちゃにしてきたのをわかっている。
だからアレクサンダーの言葉には常になんらかの嘘が仕込まれているのだという前提で見てしまう。
イーリィはその前提を持っていてなお、アレクサンダーの仕掛けた言葉をそのまま受け取ることができる。
カグヤには、それができない。
というよりも、仲間の中では、イーリィと、あともう一人しか、『アレクサンダーの言葉を言葉のままに受け取って、疑いさえ抱かない』なんていうまねは、できないのだった。
「アレクサンダーはどうするんだろうね」
その『もう一人』が声をかけてきて、カグヤはびくっとしてしまった。
集団の前に立って煽動を続けるアレクサンダー。
その横でアレクサンダーを補佐して集団に必要なだけの冷静さを与えるイーリィ。
ダヴィッドはもくもくとくたびれた武器防具を修繕し、その仕掛けや作りを見てなにかを悩んでいる。
シロとウーとサロモンは敵陣営にいてここにはおらず――
つまり、カグヤに話しかけてくる人は、もう、ヘンリエッタ以外にいなかった。
それでなんでびっくりするかと言えば、ヘンリエッタは雑談というものをいっさいしないのだ。
常にアレクサンダーのそばに侍って、アレクサンダーの指示を待つ。
もちろん必要があればにこやかに笑って柔らかい口調で話しかけてもくるけれど、それはやりとりの中身だけ見ればきわめて事務的で、なおかつ、アレクサンダーに言われたこと以外はやらない。
ものぐさというよりもそれは、余計なことをしないようにという配慮のようだった。
ヘンリエッタは自分から行動を起こしたりするのが苦手で、どうにも、自分が自分の意思でなにかをしてしまうと、アレクサンダーの邪魔になるのではないか、とおびえている様子が見てとれた。
『自分は間違っているのだろう』
彼女の行動のすべてには、そんな前提が見てとれた。
ただ一点、アレクサンダーを弟とみなすこと以外において、彼女は自信というものがいっさいないのだ。
カグヤは個人的にその点……もちろん、アレクサンダーを弟として見ているわけではなく、『自信がない』という点において、共感を覚えていた。
なので、カグヤからパーティメンバーに対する好感度において、ヘンリエッタはイーリィの次ぐらいに高い。次点でウーというところだ。
「『アレクサンダーはどうする』とは?」
びっくりして反応が遅れてしまったけれど、カグヤはヘンリエッタの問いかけに対応した。
しかし質問の意図がわからないので、質問を質問で返すかたちになってしまったのは、ちょっと、相手の機嫌を損ねないかなと心配になる。
ヘンリエッタはいつもの微笑みを浮かべたまま、
「たくさんの人を巻き込んで、どうするのかなあ、って。……ああやって人を巻き込んで行動するのは、ちょっと心配。だってアレクサンダーは、前に、ああいう人に影響されて、死んじゃったから」
「……?」
「でも、今は巻き込む側だから大丈夫だよね。……最近は特に、いろんな人たちを巻き込んで、いろんな人たちに影響を与えて、目立ってしまってるの、あんまりよくない感じがするんだけど……でも、アレクサンダーにはきっと、アレクサンダーの考えがあるんだよね」
それは最初こそカグヤに話しかける体裁をとっていたが、言葉が重なるにつれ、どんどん独り言になっていった。
カグヤも人のことは言えないが、アレクサンダーのパーティには会話が苦手な人が多い。
アレクサンダー自身からして、不特定多数の集団に話しかけることは得意そうだが、こと会話となるとへたくそだ。
シロまで含めて、このパーティは『他者に話しかける』ということを苦手としている者が多いような気がする。
カグヤは全員の事情を詳しく知っているわけではないからなんとも言えないが、自分のように、話し相手がいない人生を送ってきたのかもしれないなと思った。
自分は実際に、というのか、物理的に、というのか、日常的な会話をする相手そのものがいなかったが……
他の多くの人たちは、『言葉は交わせても会話になる相手がいなかった』という感じだろうか。
なににせよ『はみ出し者』の多いこのパーティにはそういう傾向があって、返すがえす、イーリィがいなかったり、アレクサンダーが唐突に『前世の話』などのネタを提供しなかったりしたら、道中の空気はもっと悪かっただろうと思えた。
「アレクサンダーのこと、たくさんの人が知っちゃったよね」
ヘンリエッタが同意を求めるように言葉を止めたので、カグヤはちょっと考えてからうなずいた。
たしかに、アレクサンダーのことを知る人は爆発的に増えた。
それは彼が今もしているように、ああやって大勢の前で言葉を発するからだ。
布教という言い訳を得てよその土地の問題への介入をためらわなくなったアレクサンダーは特にいきいきとしていて、ああやって大勢を煽って煽って、時にはあからさまに騙して、自分の奉じる神をついでのように勧めるのだ。
そのおかげでアレクサンダーと『聖女イーリィ』、それから彼らが奉じる名前のない神様は、広く認知され始めている。
「アレクサンダーってば、ああやってなにかに夢中になると、お姉ちゃんのこと忘れちゃう傾向があるんだよね。……やだなあ。また忘れられるの。ああやってね、私のことを忘れたようになにかに熱中しちゃうの、よくない傾向だよ」
ヘンリエッタは自分のことをアレクサンダーの姉だと思い込んでいる。
それはサロモンが決して女性の目を見て会話をしなかったり、シロが言葉の途中に『あっはっは』という笑い声によく似た鳴き声(という表現が一番しっくりくる)をあげたりといったことと同様に、『触れてやらないほうがいい個性』というようにパーティ内では認知されていた。
パーティの代表たるアレクサンダーからして『人は人、自分は自分』を掲げながら『俺の神を信じろ!』といろんな集団に布教活動をしている。
なので、許容し難いようなことでも『まあ、あの人はそうなんだろう』と思いながら放置する空気がパーティ内にはあった。
「今度は、間違えないようにしないとね」
ヘンリエッタがそう言って笑った。
同意も否定もできない、よくわからない言葉だったのでカグヤは首をかしげたが、ヘンリエッタは気にしたそぶりもなかった。
これは果たして『会話』だったのだろうか?
カグヤは終始わけがわからず、ヘンリエッタは勝手になにかに納得して、そうこうしている間に、アレクサンダーの煽動活動は終わったようだった。
いろんな言葉の飛び交う時間はこうして終わった。
こちらに戻ってきたアレクサンダーは、カグヤの頭……三角耳のあいだに手をおいて、
「七日後、決戦。カグヤはお留守番。危ねーからな」
「……わらわは、役に立たんからな」
「おいおいスネるなって。いいじゃねーかよ。こういうのは『役立たず』じゃなくて『適材適所』っていうんだ。戦闘要員じゃねーのはまあ認めるけど、お前には他にできる役割があるだろ?」
「なにがある?」
カグヤが問いかけると、アレクサンダーは「うーん」と唸ってから、
「……マスコット?」
首をかしげつつ、カグヤの銀色の髪をちょっとだけ乱暴にかき混ぜた。