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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
十二章 くじらと死の戦場
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124話 『くじら』

 ずっとずっとはるか昔から、彼らは『くじら』とともにあった。


 それは黒光りする巨大な球形の生物だ。


 なにも食べず、なにも飲まず、ただひたすら眠っている、生き物だ。


 本当に本当に大きくって、そばに立つとてっぺんが見えないほどで、歩いてまわりをまわろうと思ったら、大人の足で半日もかかるほどだった。


 その『くじら』はあらゆる恩恵を与えてくれた。


 剥いだ皮は服をはじめとした生活用品となった。

 加工の仕方次第で金属のように硬くなり、熱にも強くなり、貼り合わせれば水も漏らさないその素材は、街のあらゆるものを形成する材料になった。


 皮の下には分厚い脂肪がある。

 それは夜を照らす(ともしび)を燃やすために使われた。

 あるいは石鹸となって街の人たちの衛生状態を高めたし、もちろん食用として料理にも用いられた。


 分厚い脂肪をかきわけていくと、ようやく肉にたどり着く。

 その赤みの強い肉には独特なクセがあり、基本的には硬くて何度も何度も噛まないと噛みちぎれない。


 けれどここらの人たちはこの肉との付き合い方を心得ている。

 それを柔らかく、うまみたっぷりに仕上げる方法を編み出した。

 カチカチに乾かして保存食にする方法も、塩漬けしてある程度の長持ちをさせる方法も生み出していた。


 なにせ『くじら』の肉は、厚くて硬い皮の向こう、さらに分厚い脂肪の向こうにあるのだ。

 肉をとるのは一大事業で、『足りなくなったな、ちょっと、とってこよう』という気軽さでできることではない。

 だから、保存方法もあみだされた。


 しかも、それだけ膨大な資源を提供しながら、『くじら』はしばらくすると再生する。

 無限に皮と(あぶら)と肉を提供し続けてくれるそれが崇められるのは、もはや必然だった。


 この街には神がいる。

『くじら』と呼ばれる、あまりにも巨大な神が。


 ただし。

 ……それは荒ぶる神だった。


 生贄を求めるのだ。


 数年に一度、『くじら』が目を開ける時期がある。


 そうなると大変で、街は大急ぎで『くじら』様に捧げる生贄を選出しなければならなかった。


 生贄を捧げないと、『くじら』は()()()のだ。


 その、そばに立てばてっぺんが見えないほどの、外周をまわろうと思ったら大人でも半日はかかるほどの巨体で、ぴょんと跳ねる。


 しかも、一回や二回ではない。

 ぴょんぴょん跳ねて、新しい寝床を探して、移動を開始する。


 その際に起こる震動はすさまじいものだ。

 ただの揺れで建物が倒壊し、作り上げたすべてはめちゃくちゃになる。


 すべてが無に還されるのだ――もちろん、この、超重量、超巨大、分厚く硬い皮に包まれた、黒光りする球体であるところの『くじら』に踏まれればどうなるかなど、言うまでもない。


 だから、このあたりの人たちは、『くじら』様が目を開けるたび、生贄を捧げてご機嫌をうかがってきた。


 そうすれば平和に、豊かに暮らせるのだ。そうしない理由もなかろう。


 ただし。


『くじら』様には好みがあった。

 子供好きな神様なのだった。


 そして、『くじら』様は大喰らいだった。

 すべて平らげて、ようやく、またまどろみ始めるのだった。


 それでもこのあたりの人たちは、百年以上、それを受け入れてきた。


 未来のためだと自分たちに言い聞かせて、『くじら』様の生贄に選ばれることは光栄なのだと子供に言い含めて、目を開ける瞬間に立ちあえた人たちはずっと幸せになれるのだとみんなで信じ込もうとした。


 けれど、その幸せな物語を完全に信じ込めるわけがなかった。


 (くち)――


『くじら』様の目の前に生贄を並べて、『それ』が満足そうに()()()()()と吠えたあと、大口を開ける光景を目にしてしまうと、もう、ダメなのだった。


 その球形の体がぱかり(・・・)と開いて、やけに歯並びのいい、明らかに()()()()用途の歯が見えてしまうと――

 真っ赤な真っ赤な、目がくらむほど鮮やかに赤い口内の肉が見えてしまうと――

 そして大口を開けたそいつの、とんでもない、名状しがたい、腐ったような、すえたようなニオイを嗅いでしまうと――


『アレに喰われることが幸福などと、そんなことがありうるか?』


 誰もが、そう思ってしまう。


 どれほど信じ込もうとしたって、アレは、幸福な世界への入り口には思えなかった。あの中に囚われたら永遠に苦しみ続けるようにしか思えなかった。

 あの、すり潰す歯のついた顎がゴリゴリと横に動く光景と音は、どうしたって遺された者たちの正気を削るのだった。


 見たくないけれど、その巨大さゆえに目を開けていれば、どうしたって見えてしまう。

 顔を背けても、目を閉じても、そいつの咀嚼(そしゃく)音はどうしたって耳にとどいてしまう。

 耳をつぶした者がいた。しかし、そいつのとんでもない口臭は、どうしたって嗅ぎとれてしまうのだった。


 なにより。


 そんなモノからとれた素材が、自分たちの家や衣服や灯りや、食料になっているなんていうことを、一度意識してしまうと、もう、なにもかもが、ダメなのだった。


 それでも、アレに頼るしかなかった。


 アレのそばから離れて生きられる保証などどこにもない。

 不毛の荒野(・・・・・)で野垂れ死ぬことに誰もが怯え切っていた。なにより、これまで捧げられた命が、『あの子たちの死を無駄にしてはいけない』という決意となって、遺された者たちを縛り付けた。


 耐えて過ごすよりも不毛の荒野に旅立つことを選んだ者たちももちろんいて、そいつらはとりあえず大きな森が見える東方面へと旅立って行って、無事でいられたのかどうか、わからない。


 旅立たなかった者たちは、生贄を捧げることを受け入れて、この場所で暮らし続けた。


 しかし。

 しかしだ。ある日、愚かな煽動者(・・・)が現れたのだった。


『くじら』様に生かされていることを忘れて、暮らしを維持するために捧げられたたくさんの幼い命の重さを忘れて、あの『くじら』を討つべしと立ち上がった者が現れた。


 賛同できないなら出ていけばいいだけではないか。

 この安泰な暮らしを、今まで捧げられた命の結晶を奪っていい道理などあるはずがない。

 なにより、あの『くじら』様を討つなどと、そのようなこと、考えるだけでも恐れ多い!


 あの巨体がみじろぎしただけで、いったいどれほどの規模の破壊が起こるのか、わからないのか?

 機嫌を損ねて跳ねただけで、どれほどの人が死ぬかが想像もできないのか?


 なにより、あれが跳ねてどこかへ行ってしまった時に、そのあまりに長大な移動距離に再発見が難しくなり、先祖は旅暮らしを余儀なくされ、その過程でたくさんの命が散っていったということを、まさか、知らないわけがあるまい!


 だから、


「だから、ワシらは戦う」


 西軍の中心人物たる老人は、手近な石に腰掛け、くたびれた槍を杖のようにつきながら、眉毛で隠れた目に焚き火を映し、語る。


「ワシらの暮らしを奪おうとする愚か者ども――『くじら討伐派』の連中と、戦い、勝たねばならん。みなを不毛の荒野に投げ出すわけにはいかんのだ。ワシの子も、あの『くじら』様を形成する一粒の結晶となっている。その命に報いるためにも、決して、『くじら』様を殺させるわけにはいかん。だが……討伐派の連中には若い者が多く、ワシらはいずれ、寿命というどうしようもないものにより戦力を減らし、負けてしまうじゃろう」


 しかし、と老人は顔を上げた。


 その視線の先には、イーリィがいる。


「『くじら』様は、御身を守るために、癒し手を遣わしてくださった」


 イーリィは困ったように眉根を寄せて、アレクサンダーを見る。

 アレクサンダーは肩をすくめて、


「『御身を守るための癒し手』ねえ」


「その少女の癒しの力がある限り、討伐派がどれだけ『くじら』様を傷つけようが、決して、殺すまでには至らない。連中が地道に皮を剥ぎ、脂肪を掘り進み、肉を抉ったとて、連中の数十日、数百日の破壊活動は、一瞬にして無に還るであろう!」


 老人は興奮した様子で叫んだ。


 アレクサンダーは笑ったまま小さくため息をついて、


「なるほど、こっちはこういうの(・・・・・)か。……まずいなあ。敵対してる側が不毛の荒野に踏み出そうとしてる側じゃん。サロモンくん、めっちゃノリノリになりそう」


 アレクサンダーはそうつぶやいてから、今度こそ本当に、そばにいるカグヤさえもギリギリ聞こえる程度の声で、


「おもしれーことになってきたな」


 そう述べて、笑った。

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