118話 目もくらむほどのもの
どうしてだろう。
そこから、激闘は、一昼夜続いてしまったのだった。
死ななかった。
死ねなかった。
ルカはあらゆる痛みを覚えたと思う。
服をボロボロにしながら、武器を砕かれながら、最後の方は素手で、立ち向かったと思う。
「いやあ、負けたわ」
アレクサンダーからそんな発言を引き出したころには、夜が去り、朝が来ていた。
長すぎる戦いだった。
だというのに、この戦いを見ている者は、減ることはなく、増え続けた。
その、みんなの中で。
あおむけに倒れ込んだルカは、目を細めて、言う。
「いいえ、僕の負けです。このありさまで『勝った』などと言うのは、あまりにも卑怯だ」
「……クソまじめだよなあ、あんた! いいじゃねーかよ! こっちが負けたって言ってんだから、ありがたく受けとれよ!」
「僕を殺さなかったでしょう?」
その声は自然と、自分たちを遠巻きに見ている周囲にはとどかない大きさになった。
アレクサンダーも、内緒話のような声量で応じる。
「さすがに気付いたか」
「それはもちろん、そうです。君がなんらかの不思議なことをして、僕を殺さなかった。それはもう、最初の段階で明らかでした」
「でも、ここまで殴り合った」
「僕はくじけるわけにはいかなかった」
ルカは目を閉じて、思い返す。
そうして浮かぶままに、言葉をつむぐ。
「……僕はね、本当にあの街のことが好きだった。誇っていました。あの街の素晴らしさを。あの街がきっと、あのまま、永遠に続くだろうと確信し、その明るい未来に希望を抱いていたのです」
「そこまで『街』に入れ込むのは、俺にはわからねーな」
アレクサンダーは言いながら、ルカの横に寝転がった。
ルカは笑う。
「でしょうね。君たちは街ではなく、そこにいる『人』を救おうとした」
「……」
「僕はね、街を救いたかった。その方法はわからなかったから、きっとどうにかしてもらえると願って、自分にできることをするしかなかったけれど……僕はねアレクサンダー。あのまま街が滅びるなら、そのまま人々も街に殉じるべきだと思っていたのかもしれない」
「そいつはひでー話だな。人はどこにでも行けるっていうのに」
「ええ、まったく、ひどい話です。……僕にとって、人は街の付属物だった」
「……」
「……あの街はもう、本当に、おしまいなんですね。ここが、もう、『あの街』になってしまったんだ」
長い長い殺し合いで、わかったことがあった。
アレクサンダーとの激闘は……いや、一方的な殺戮は、どちらも死なないことがなんとなく知れ渡り始めてから、人々が楽しんで観戦するようになった。
最初はそのふまじめさにたいそう腹を立てた。
けれど次第に、気付いてしまった。
自分たちの戦いを見守る人たちは、楽しそうだった。
あの地下街では消えてしまったものが、この地上にはあったのだ。
あの街にあった大事なものは、もう一片残らず、この地上に移動していた。
「教えてください、アレクサンダー。あの街で獲物がとれなくなったのは、どういう理由なんですか?」
「誰かがダンジョンマスターを倒しちまった」
「……ええと」
「あそこはな、ダンジョンと呼ばれる建造物……自然物……まあ、とにかくそんな、説明不能な地形なんだよ」
ウーばあさんがマッピングしたからな、と付け加えて、
「そこには『ダンジョンマスター』っていう、いっとう強いモンスターがいる。そいつを倒すと少なくともモンスターはわかなくなる。素材や道具はわからねーな。それは単純に採り尽くしたんじゃねーか?」
「……」
「どうした、黙り込んで」
「ああ、ああ、そうか。いや、すみません。まったく笑い事ではないのに、なぜか、笑いがあふれそうです」
「おもしろいこと言ったか?」
「僕のせいです」
「は?」
「おそらく、そのダンジョンマスターを殺したのは、僕です」
「…………マジかよ」
「あの街を滅ぼしたのは、僕だったんですね」
ルカは閉じていた目を開ける。
あまりにもまばゆい、朝の輝き。
地上を照らす明かりの強さは知っているつもりだった。
あのプリズムを通して地下にも光が流れ込んでくる。すべてが輝ける地下街、オールブライトの街。
本当に誇っていた。
街の提唱する『正しい探索者』であり続けようとした。
けれど、他に同志が誰もいなかった。
独りきりだった。
自分は正しいのだと信じ込むことで自分を救っていた人生。
街という絶対的に強いものに忠実であることで、孤独もあやまちも見ないようにしていた人生。
自分を正しいと信じさせてくれる、あの街が好きだった。
でも。
街を滅ぼした事実は、どうしたって自己弁護のしようもない。
……そうだ。いつだって、自分こそが正しいからとしてきたごまかしは、もう、通じないのだ。
街の命脈を絶ってしまった自分は、街の提唱する正しさを言い訳にして逃げることさえできない。
「僕はどうしたら責任をとれますか?」
「……」
「責任をとることから逃げ続けてきた人生だったのです。常に相手が悪いと思い込み続けてきた人生だったのです。卑怯を嫌い、正義を信奉し、そうして自分以外を悪と断じることで自分を救うことに精一杯だったのです。僕には責任のとりかたさえわかりません。それさえ、人にたずねるしかないのです。……いえ、ずっと、人にたずねるということを避け続けただけで、最初から、そうすべきだったのです」
「いやあ、俺はあんたのまっすぐさを肯定した身だからな。あんたの人生を間違いだと言われると、そいつは違うと言いたくなる」
「しかし」
「いいじゃねーかよ。逃避だの責任の押し付けだの、大なり小なり誰もがやってることさ。そうしてたいてい、そのまま人生が終わるもんさ。あんたは途中で責任をとる側に回った。こいつはなかなか、できることじゃねーよ」
「……」
「連れて行きたいぐらいだ。でも、そいつは逃避行動だから、せっかくあんたが決意したのに、無駄にしちまう。よし。――姉さん! 持ってきてくれ! 宝箱だ」
ヘンリエッタは「アレクサンダーはよく箱を運ばせるよね」と言いながら、彼女がどうにか抱えられるぐらいの大きな木箱を持ってきた。
それをアレクサンダーの横におくと、寝転がったアレクサンダーを楽しげに見下ろして、その場にとどまる。
アレクサンダーは居心地悪そうな顔をして、
「ぶっちゃけな、俺、部外者じゃん。責任の取り方を俺に聞くのは間違いなんだよ」
「……そういえば、そうでしたね」
「けどな、あんたがとるべき責任は、実のところ、俺が代わりにとっちまったんだ。地上での生き方を教えた。住居はみんなダヴィッド製。ここを拠点にすれば、ちょっと歩く位置にいくつかのダンジョンがあるのも明かした。場所が地上になっただけで、今までとそう変わらない暮らしができるようにしちまったんだよ」
「……」
「そこで、あんたの責任を肩代わりした俺から、あんたに仕事を与えよう」
「それが、そこの箱ですか? 中身は」
「宝の地図。ただしくは、ダンジョンの詳細なマップ」
「……」
「ねずみ講って知らねーよな。今回これを俺が仕掛けたのは、地下に思い入れが特に強い探索者を地上に引きずり出すためなんだよ。地上の金脈を示して、経済基盤をそっちに移させて、がんばるほどご褒美を与えて、上納制度を提示して、そんでもって抜けにくいようにシステムを作った」
「……」
「こんなこと言ったら歴史研究してるやつにぶっ殺されそうだけど、いわゆる『貴族社会』を作ったわけだ。……この社会はな、まったく爽やかじゃねーんだわ。えらいやつに傅いて取り入ろうとする連中を見たろ? 自分のノルマ達成のためにあんたをカモにしようとする『古い知り合い』を見たんだろ? ここにのしあがるためならどんな手でも使う、人の醜さたっぷりの世界ができあがった」
「……」
「管理、任すわ」
「……は?」
「綺麗なまま、トップをつとめあげてみろよ。期待してるぜ。あんたのその染まらなさに。それから、俺とやりあった不死身の強さに」
「僕は不死身などでは……」
「もう一つ教えてやる」
「……?」
「正義を成すには、ハッタリが必要だ。力のないやつが正義を語っても蹂躙されるだけだぜ」
「……」
「いいじゃねーかよ、不死身で。あんたが弱いと思われたら、あんたに渡した宝箱をめぐって血みどろの争いが起こる。醜い争いさ。あんたはそれを望むか?」
「いや、しかし」
「あなたもどうやら、神に選ばれた者のようだ!」
アレクサンダーが寝転がったまま叫んだ。
「私たちが神から授かった『恵み』は、あなたにあずけるべきだと、神は仰せです。代行者の名のもとに、『不死身のルカ』を、この地で神の教えを広げる者と認めましょう!」
「か、神?」
「そういや言ってなかったな。俺、布教の旅をしてるんだわ」
「いえしかし、僕はそんなものなど」
「いいんだよテキトーで。俺らも信じてねーから」
「……」
「でも、新しい暮らしで不安になった人たちには、神様が必要だ」
「……」
「かわいそうにな。あんたは神様っていうものを信じる特権を奪われちまった。俺が舞台裏に引きずりこんじまったからな。『いざって時に祈るだけで助けてくれる、偉大なる、人知及ばぬ、とびっきり都合のいい超存在』を、あんたはもう信じることができない。しかも、そういうモノが存在するふうに人々を錯覚させる側になった」
「……それが、僕のとるべき責任だと?」
「俺の示す責任だよ。果たすかどうかは好きにしろ。他の責任を見つけたっていい。あんたが納得できるんならな」
「……君は、僕の新しい『街』になってくれるつもりですか? 君の指針を守ることで、僕はまた、正しいものに従う安心を得るでしょう。そうなってしまうぐらい、僕は弱い。それは、君もわかっているはずだ」
「あんた、いくつ?」
「……十三歳になりました」
「うん。だと思った。この世界で生きた年数だけでも、俺がマジで年上なんだわ。そんでもってな、俺の価値観から言えば、十三歳なんざガキなんだよ。でさあ、このへんが自立心のわりと高いこの世界の連中には通じないところなんだが……」
「?」
「ガキには親か年上のきょうだいがいた方がいいって、俺は思ってる」
「……」
「ようするに自立するまでの庇護者だな。俺はカグヤの――」
アレクサンダーが視線を向ける。
その先には、例の、人見知りがちの、銀の体毛を持った幼い獣人の少女がいる。
じっとこっちを見る、青みがかった銀色の瞳が印象的だった。
「――カグヤの兄貴か、親のつもりでいる。……ばらすなよ。こんなん、恥ずかしくて面と向かって言えねーから」
「はあ」
「お前がいつか、すがり先がいらないぐらい自立できる心の強さを手に入れるまで、俺がお前の兄貴か、オヤジだ」
「……」
「丸投げしていく。でも、本気でイヤになったら全部投げ出して追いかけてこい。俺の任せたことでストレスたまったら、いくらでも俺を責めろ。次に会う時にお前がノイローゼで俺を殺しにくるぐらいの責任をおっかぶせていくんだよ、俺は」
「なぜ、そこまで?」
「……俺は責任をとりたくねーんだが、責任感を覚えないわけでもない。まあ、だから、色々と責任をとるようなことを言うのは、防衛機制だ」
「……ええと」
「困ったら『神の決めたことです』って言うようにしてる。全部神。いやあ神様は便利だなあ。ありがとう神様」
「ようするにあなたは、いい人なんですね」
「その定義だけはやめろ。俺はどう考えても悪い人だよ」
「そうかな。僕はあなたの不自由なところを、好ましく思いますよ」
「これだけ自由に生きてるのにな」
アレクサンダーが肩をすくめた。
ルカは手でひさしを作って、空にのぼりはじめた輝きを見ながら――
「責任を果たします。神の名のもとに。僕が壊し、あなたが蘇生したこの街を、任されました」
「……まずは、お前より偉かった連中を納得させるところからだな。そこまではまあ、付き合う。宗教的権威を暴力をちらつかせながら押し付けるだけだから、アフターケアを考えなきゃ楽だろ」
よっこらせ、とアレクサンダーは起き上がり、
「あーあ。殴り合って和解とか昭和の不良漫画かよ」
わけのわからないことを、述べた。
十一章 ルカが壊したオールブライト 終
次回更新来週土曜日(9月26日)朝10時




