11話 素晴らしきもの/異常性
育児は面倒だったけれど、それは村人の義務だった。
ロゼは厳格な性格だった。また、物事をよく理解しようとする性質を持っていた。
だから村の決まり事なんかも『なんで、そんなものがあるのだろう?』と考えた。考えた結果必要だと信じたことはやるし、必要だと思えないことは、長老衆とケンカしない程度に避ける。
子供を作るのは必要だ。その決まりをみんなが無視しては、いずれ村が滅ぶ。
同じ理由で育児が必要だ。教育をしなければ村にとって重しにしかならない子が育ち、そういった子はいずれ『神様』に捧げられて、村を将来につないでいけない。
基本的に育児は村で仕事をする女と老人たちの仕事ではあったけれど、ロゼは自分の相手があまり能力の高くない者であることをじゅうぶんにわかっていた。だから自分も育児には深めに介入せねばならないだろうな、と思っていた。
ところがロゼの相手となった女は、育児の方面ですばらしい才能を発揮した。
のちに思えば、それは娘のイーリィの天才性が主な要因だったのだろうとは思う。
イーリィは同年代の誰よりも早く立って歩き、言葉を話した。女の子だから将来は針子になるものだけれど、立派な針子になるだろうと誰もが期待をした。
加えて、あり得ない能力を持っていた。
ある日のことだ。ロゼが帰ると、相手となった女が興奮気味に語る。
「ねぇロゼ、聞いて! わたし、いつものように針で指を刺してしまったのだけれど、この子がじっと見るだけで、その傷がすっかり治ってしまったの!」
ロゼはこの女の強さを好んでいたけれど、彼女の要領を得ないというか、なにを伝えたいのかわかりにくい話運びは、いつもどうかと思っていた。
だから今回もそういう話なのだろうと考え、彼女が語りたいが語れていない部分を想像する。
「……それは、イーリィが立派に治療を施したということか? たしかに、まだ立って歩いたばかりの子が、治療までするとなると、すさまじいことだな」
「治療なのだけれど、血を止めたとか、傷に布をかぶせたとか、そういうことじゃあないのよ。本当に、見つめるだけで、傷が治ってしまったの」
ロゼの眉間には深いシワが刻まれた。
『見つめるだけで傷が治った』。
意味がわからない。どういう言い間違いだろうか?
ロゼは首をかしげる。そうして理解できないと言外で示すたびに、女の声は高くなっていった。
「本当の本当に、ながめただけで傷を癒やしたの! ……そうだわ、ねえ、あなた、見ていて!」
そう言って唐突に針で指先を突き刺すものだから、ロゼはぎょっとして固まってしまう。
能力は低いが気高い女だと思っていた。しかしまさか、気高いのではなく、気が狂っていたのだろうか?
心を病む者は村の歴史の中でまったくいなかったわけではないらしい。
そういった者の行く先は『神様のみもと』だ。つまり川の下流に生きたまま沈められ、氾濫や干ばつを防ぐための人柱とされる。
ロゼは自分のつがいの心が病んでいることを村に知らせようかどうしようか、真剣に悩んだ。
けれどその心配は無駄で、つがいの女が嬉しそうにイーリィに傷を見せると、ロゼの見ている前で、ついたばかりの刺し傷が見るまにふさがっていったのだ。
女の語った言葉のとおり。
見つめるだけで、傷が治った。
「……」
その超常現象を見てロゼの心に去来したのは、強い戸惑いだった。
『なんで、こんなことが起こるのか?』
自問する癖を持ち、理由を考えることをライフワークとする彼は、完全に理由のわからないものを目の前にして固まってしまったのだ。
しかし停止は長くなかった。ロゼはものの理由を考える。そして、考えた結果、理由がけっきょくわからないような物事もあるのだと、すでに知っていた。
理由がわからないと判明したならば、次に考えるのは『有用かどうか』だ。
間違いなく有用に決まっていた。
見ただけで傷を治せるならば、それは、ロゼが大好きな狩りにだっておおいに役立つことだろう。
どの程度まで傷を治せるのか、いくらでも治せるのか、そのあたりは確認の必要があるけれど、イーリィの力は『村の存続』という観点から考えてすばらしいものだった。
指を刺した針子の傷をふさげる程度でも、相当に便利だろう。
ロゼは小さな我が子を抱き上げる。
きっとこの子は村を守ってくれる。
狩りよりも針子よりも強い力で守ってくれるのだと、そう思った。




