116話 『うまい儲け話』
ルカは時間ができると、ふと物思いにふけることが増えた。
『この街は好きか?』
好きだと思う。人々は活気にあふれて気立てがいい。
雰囲気は少しばかりのんびりしたところがあるだろうか。
少なくともルカのまわりでは、なにか頼み事があった時にでも、『すぐにやってくれ』とは誰も言わない。そういった急かすような物言いが好かれないし、いくら急かしたところで、誰も急いてはくれないと、みながわかりきっているからだ。
だが、この街の人は頼まれごとも約束事も忘れない。
刻限に猶予がないようなことは自分でやるのが一番だが、いつでもいいようなことは人に頼んでおくと、忘れたころにやってもらえる。
そのおおらかさが美徳で、ルカはよく『そんなにせかせかしなくても、プリズムが砕けるまでには終わらせるさ』などとたしなめられたものだった。
……そうだ。
よくよく考えれば考えるほど、この街はルカの気質と相性が悪い。
だというのにこの街のことを好きかと問われて、好きだと答える自分がいる。
活気にあふれているが、のんびりしていて。
気立てがいいものの、時間の使い方がへたくそだ。
ここがいい街だというのはわかっている。
一方で、その活気あるいい街の『中』に自分がいないのもわかっている。
ならばいったい、どういう立ち位置で、自分はこの街を好きだと……
「……いけない。仕事中なのに」
あいかわらず獲物は減り続ける一方で、素材や道具もすっかりとれなくなっている。
それでもルカに仕事が回ってきているのは、探索者が減ってきているからに他ならなかった。
あれほど熱心に探索受注所に集っていた連中はどこへ消えたやら。
はじめは『ちょっと減りはじめたな』と毎日詰めているルカにかろうじて感じられる程度だったのに、日を追うごとに人の密度が減りはじめ、今となってはもう、あらゆるクランがその体裁を維持できないほど、探索者たちが消えてしまっていた。
ルカはこの探索者激減の理由をなんとなく察している。
他の仕事を始めたり、あるいは仕事がなくとも探索者をやめたりしてしまっているのだ。
だって、本当に獲物と素材、道具が出ない。
いくら掘っても、いくら歩いても、見渡すかぎり土ばかりの空洞だ。
こんな実入りの悪いことに時間をかけていられないと考えるのは『普通』だろう。
なにせ、食べていくための探索者業なのだ。
否、多くの連中にとって、食べていければいいという程度の、たったそれっぽっちの意識でやっていた、探索業なのだ。
そこには誇りがない。
だから、簡単に捨ててしまえる。
自分は違う、とルカは思う。
探索者は街を広げ、街に恵みをもたらす、立派な役割だ。
たしかに今は、なにもとれないだろう。
生活のためにやっているならば――生活のためだけにやっているならば、やめるというのは選択肢にのぼるのも理解できる。
あるいはこのまま、消えてしまう職業なのかもしれないとさえ、今日のこの惨状を見れば、思えてきてしまう。
けれど、自分は、また獲物や素材が増え、探索者という役割が必要になった時に備えて、この仕事を続けていくつもりだ。
街は探索者がいなくなれば滅ぶだろうけれど、街の知能たる人々が、この状況を前にただ右往左往しているというだけのはずもなかろう。
獲物を狩らずとも、探索をせずとも、街の者たちが生きていけるような施策が必ず出るはずだ。
そうなればいよいよ探索者は消え、その仕事が永遠に忘れ去られるような日も来るのかもしれない。
それでも、また獲物が出始め、恵みが復活した時に備え、探索者という職業を――生き様を絶させてはならない。
ルカはそれこそが自分の役割だと思うようになっていた。
……そういえば、アレクサンダーたちの姿をあれから見ない。
別にいい。彼らは旅人だ。街が苦境におちいっている時に、それを助ける責務などないだろう。
街を救うのは、街の者のやるべきことだ。
特定の『親』を持たず。
クランで育てられ、その後は探索者となり、クランを追い出されても一人で生きていくことのできた――街のシステムに育てられた自分が、育ての親たる街を助けるべき番だ。
この街のことを好きな理由は説明できない。
けれど、それはきっと、子が親に抱く愛情に近いものなのだろうと、ルカは認識した。
……探索を終えて、受注所に戻る。
実入りはなかった。装備をすり減らし、体力と時間を浪費しただけだった。
それでも今日の仕事に意味はある。探索者をやめず、続けた。正しい探索者であり続けた。そのことにこそ意味があるのだとルカは確信している。
しかし、まあ……
なにも収穫がないと疲れるものであるというのは、否定しがたい。
ルカは家に戻らず、探索受注所のベンチに座って休み始めた。
もはや人もいない。ここにぼーっと座っていたって問題はないだろう。
そうやってルカが休憩をしていると、
「よぉ、ルカ」
……いったい、どのぐらいぶりに、こうして声をかけられることになったのか。
幼いころ、自分を育ててくれたクランのマスターが、そこにいた。
もじゃもじゃした髪の毛の、アゴの張り出した、大きな男性だ。
彼は少しばかり気まずそうにその大きなアゴを掻くと、「隣、いいか?」と述べた。
絶縁状態ではある。
いろいろあって、ケンカ別れのようになった相手ではある。
けれど、対話を拒む理由にはならない。
「どうぞ」
さすがに表情が固くなってしまうのはどうしようもないが、ルカは許可した。
大柄な彼は座り、そして、しばらく黙り込んでから、
「最近、どうだ?」
そんな、下手くそな切り出し方をした。
「……僕は、僕のできる『正しい探索者』を続けるだけですよ。昔も、今も、そしてこの先もね」
「相変わらずか。……まあ、こんな状況でも、探索受注所にいるんだから、そうだろうな。でも、食うのに困っているだろう? 最近は……」
「……」
事実だった。
探索者の仕事は出来高制だ。
獲物がなく、素材も道具も拾ってこられないこの状況では、どうしようもない。
ルカがそう認めるぐらいの、そう認めたのだろうとわかるぐらいの時間の沈黙があり、それから、横に座る男性は話を再開した。
「いい儲け話があるんだ」
「……」
「なに、ちょっとした副業だよ。お前が探索者をやめていないように、俺だって探索者をやめたつもりはないさ。ただ、それだけでは食っていけないから、現実的に、食っていくための手段は必要だ。そうだろう?」
「まあ、そうかもしれません」
「なにも、『聞いたから絶対にやれ』という話じゃないんだ。話を聞いた上で、断ってくれたっていい。ただ……お前がやってくれるなら、こちらとしても助かるというか」
「ふむ」
ルカは彼と自分の関係を、なんの見返りもなく『儲け話』を持ってこられるような、そういう間柄ではないと思っていた。
だから、相手が自分に『儲け話』をすることで見返りがあるのだとわかり、警戒が一段階解けた。
「うかがいましょう」
「そ、そうか? いや、悪いな」
「引き受けると言ったつもりはありません。うかがうだけです」
「いやいや。話を聞けばお前だって引き受けるさ。なにせ、簡単で、手間がいらない。しかも、食っていける。そういう話なんだ」
「……そんな都合のいい話があるわけがないと思いますが」
「いやいやいや! これが、あるんだよ! こいつはすごい発明さ! それに、お前なら俺以上に稼げるようになる!」
「……いいから、本題を」
「うん、実はな、これなんだが」
男が懐から大事そうに取り出したのは、薄汚れた紙片だった。
獲物どもの毛をたたいて固めた、この地下街でよく使われている『紙』である。
……このまま獲物どもが減り続けるならいずれは貴重になるだろうけれど、今はまだ、そこまでにはなっていない、紙だ。
こんな、指でつまめる程度のものを、大事そうに扱うほどの価値は、まだないと思われるが……
「これは……なにかが描かれていますね」
「そうなんだ! こいつは、『案内図』の一部さ」
「……?」
「これを集めると、お宝のありかまでの地図が完成する」
「……」
なんとも馬鹿げた話だった。
しかし、この段階にいたって、男の目は奇妙な熱を帯び、息遣いは興奮を抑え込もうとするかのような、奇妙な荒さになっていた。
正直に述べてしまえば、こわい。
だが、男は自分のそんな状態に気づいていないかのように、話を続ける。
「集め方は簡単だ。俺がな、こいつを、お前に売る。支払いは食料でも、そのほかでも、見合う価値があるものならなんでもいい。とにかく、この紙片をお前は買い取るんだ。そして、俺から買い取った紙片を、お前もまた、他のやつに売るんだ」
「……」
「こいつは商売だよ。俺から買った値段以上で売れば、お前は儲かる。さらに、さらにだ。お前もただ売るじゃなくて、今、俺がそうしようとしているように、新しい売り子を見つけてくれば……特典があるんだ」
「それは、どんな?」
「それは色々さ。詳しい話を聞きたければ、お前が俺の持っている紙片を先行投資として買ったあと、この商売を始めたやつのところに連れていくから、そこで聞いてくれ」
「……話を聞いた上で断ってもいい、とおっしゃったはずでは?」
「だから話せるところまで話してるだろう? でもな、全部をつまびらかにはできないんだ。仲間にしか話せないことも、そりゃあ、ある。人間関係と同じさ。志を同じくできないものには聞かせられないことぐらい、あるだろう?」
「否定はできませんね」
「なあ。そうだろう? それにな、この紙片はいくつかをつなぎ合わせれば、宝のありかがわかるっていう仕組みなんだ。お前が商売を始める気がないなら、仕方ない。俺から一枚、安くゆずろう。色んな連中が売ってるこれを集めて、独力で宝を目指すのもいいさ。ただ……」
「……」
「昔馴染みの縁で教えてやるがな、どうにも、売り手として優秀な成績をおさめて、初めて手に入る紙片もあるらしい。だから、やるなら売り手だ。こいつは、人には言うなよ。とっておきの情報だからな」
その熱に浮かされた語り口は、ルカの知る男性のものではなかった。
顔を奇妙にゆがませ、彼らしくない笑みまで浮かべ、こんなか細い昔の縁を頼ってくる――必死な様子には、気味悪さを感じざるを得ない。
まったく知らなかった一面をのぞかせる男の姿は、ルカがこれまで対峙したどんな生き物よりも、生っぽい怖さがあった。
「……そもそも。その『宝』とやらは、実在をハッキリと信じられるものなのですか? どのようにして、その実在が証明されたので? それから、その紙片以上の価値が確実にあると、どのように……」
「う、うるさいな!」
「……」
「いや、いや。失礼。ただその、なんだ、俺は、信じたんだ。そう、こいつは言えない情報さ。仲間にならない限りな」
「あなたのお話では、とても、それを副業にしてみようという気持ちにはなりませんね」
「そんなこと言わずに! そうだ、一枚だけでも買ってくれよ! な? 一枚だけだ。それだけでいい!」
「……なにかに脅されているのですか?」
「いや、これは、これは、俺が悪いんだ。でも……とにかく買ってくれ。頼むよ。このままじゃ俺は位階を落とされちまう!」
ルカ少年は、はっきり言ってしまえば、この、育ての親のような男のことが、好きではなかった。
あまりにもおおらかすぎて、あまりにものんびりしすぎて……そして、少しばかり、ずるいからだ。
のらりくらりとなるべく仕事をしないように動き、そのくせクランメンバーの中でもっとも多くのわけまえをなんだか持っていってしまう。
それが当たり前みたいになりすぎていて、誰もそのことを指摘しない。
探索者は出来高制の職業だ。
ならば、もっとも困難に挑み、もっとも汗と血を流した者こそ、もっとも報われるべきだ。
……その考えをぶつけた結果、ケンカとなり、ルカはクランを追い出された。
そうだ。
この男は、いつだって、どんな時だって、自分が悪いだなんて認めるわけがないのだ。
だというのに、こんな追い詰められた、必死の形相で、『自分が悪い』『買ってくれ』と懇願する。
「事情を聞かせてください。助けになれるかもしれません」
ルカ少年は探索者だった。
立派な、規範となる探索者を目指していた。
規律に厳しく、風紀を重んじる彼は――
目の前の、あきらかに困っている男を見捨てることが、できそうもなかった。
男はぐっと歯を噛みしめ、アゴをふるわせ、
「……俺も、騙されたんだ。いい儲け話があるって。……し、信用できるヤツが言うし、初期投資だってそんなに重くないっていうから、だから、軽い気持ちで……」
「『この商売を始めたやつ』というのは誰で、どこにいるかわかりますか?」
ルカ少年はそいつを直接たずねたほうが話が早いと判断した。
男は自己弁護と言い訳を並べるばかりで、いっこうに本題に入る様子がなかったからだ。
男はしばしなやみ、そして、大きくため息をつき、
「アレクサンダー」
「……」
「この商売の胴元は、アレクサンダーっていう、チビの、旅人だ」