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第七話 大蛇

 

 こんなにも気分が高揚したのは本当に久々だと、高ぶる殺意を抑えながらも狂気を孕んだ瞳を向け獲物の背後を獲る白き王。

 最近は歯応えのない幻魔ばかりでうんざりしていた所。

 ましてや自身の秘蔵っ子と仕合うにもまだ時期が早いことから、色々と溜め込んでいた彼女にとってまさにこの大蛇は格好の遊び相手だった。


「懐かしいな、随分前には世話になったものだ。なぁ?  “深淵の怪蛇”(レヴィアタン)よ」


 ――レヴィアタン。

 かつての自分は今ほど強くなく、初めてこの大蛇と初めて対峙した時は死すら覚悟したほど。

 事実、あの時は勝つのにやっとで死ぬ間際まで追い詰められたのは苦い思い出だと、刹那の間に記憶を振り返ったリッツェールは再び地を蹴る。


「貴様ら意思なき者は成長も退行もしない。ゆえに不変――哀しき存在だ」


 リッツェールの姿が消え、次の瞬間には蛇の胴が弾ける。

 それは巨大な蛇にとってはごく一部分に過ぎず、たいした事のない傷。一回、二回この攻撃を受けたところで痛くも痒くもない。

 ではそれが何百何千と続いたら……?


「我はここまで上り詰めたぞ? もうお前とでは殺し合いにすら発展しえない程にな。

 まったくもって時の流れとは酷く残酷だな」


 レヴィアタンに向けどこか憂いのこもった声音で語りかける。その間にも不可視の攻撃をもってして絶え間なくレヴィアタンの体を抉り、確実にその体積を減少させていく。

 白き王からの見えざる攻撃から逃れるように、その巨体を大きくうねらせ規格外の質量を使ってリッツェールを打ち落とそうと暴れ乱れて、死界に轟音を響かせる。

 一見有利なのはリッツェールに見えるが、当然これで終わるほど相手もやわでは無いとリッツェール自身、一番よくわかっている。

 一瞬の隙でも見せればこいつは仕掛けてくる。ならばそれを逆手に取ってより優位に立ち、己の力を知らしめよう。


 地上近くで疾走しての攻め方から一転、高度を上げ舞台を遥か上空に移すリッツェール。

 その先で待ち受けていたのは、巨大な蛇の頭をした影――それが目の前まで迫ってきていた。

 その巨体から信じられないスピードでリッツェールに突進を仕掛けてきたのだ。

 上から迫る圧倒的質量をなんの苦もなく受け流し、()()()()()()傷のなくなったレヴィアタンの体表を、撫でるように体ごと滑らせそのままの勢いで再度宙に舞い上がり、そして――


「そら置き土産だ―― “散れ(ディスペル)”」


 その一言で彼女の移動してきた箇所が内側から膨らみ弾け飛ぶ。それによって影の体積が大きく削られた。

 しかしそれだけの攻撃を受けながらレヴィアタンは倒れない――否。それどころか瞬く間に消失した部分から黒い霧が吹き出し、再び大蛇の巨躯を元に戻したのだ。

 それを目にしてもリッツェールは驚くでも悔しがるでもなく、淡々とした瞳で影の蛇を見定めているだけだった。

 何故なら彼女は知っていたのだ。以前に嫌というほどこの再生力に苦しめられたのだから。

 そして今はこの驚異的な再生力をも上回る()()()を有していた。

 だが、まだ早い。もっと吐き出させてから仕留める。

 空中に投げ出されたリッツェールは重力に引き寄せられるまま地面に落下していく。

 その最中での死角からの一撃。


 それをまともに受けたリッツェールの身体は勢いよく大地に叩きつけられ、鼠色の岩石と砂が舞い上がり、巨大な灰色の柱となって死界を彩る。

 攻撃の正体はレヴィアタンの尻尾だった。

 そのしなやかさを最大限に発揮し、音速を超えた尻尾での薙ぎ払いを持ってしてリッツェールの背後からの強襲を可能にしたのだ。

 次には今度はこちらの番だと言わんばかりに影の蛇の猛攻が始まる。

 長く巨大な体をまさしく全身を使って多方面から叩きつけ、地に落ちた白き王へ致死の乱撃を浴びせ続ける。

 その一撃一撃が大地を揺るがし地形を変える程の理不尽な威力と質量の籠もった攻撃。いくらリッツェールが常軌を逸した強さを持つとしても、ダメージを負うのは免れない。当然反撃の余地もないだろう。

 紛れも無いリッツェールの危機的状況だというのに、ディーネは助けに入ることすらせずにただその状況を見つめるのみ――言外に動く必要がないと言わんばかりに。

 その中で一筋の光が陥没した地面から放たれる。ちょうどリッツェールが落下したあたりからだ。

 白き光線がレヴィアタンの胴に大穴を開けその動きを止める。


「ふむ……まだ足りぬ、か。だがもう少しではあるな」


 陥没しきった地面の中心――もうもうと立ち込む煙が晴れた先には、指を二本突き出した状態で余裕の表情を見せるリッツェールがそこにいた。

 あれだけの猛撃を受けたにも関わらず、白き姫は傷一つ負っていない。が、さすがに衣類や髪やらは汚れてしまっており、白から灰色へと主色がカラーチェンジしてしまっていた。

 それにさして気にした様子もないリッツェールは、仁王立ちに姿勢を変えて挑発的な笑みを浮かべて相手の様子をうかがう。

 巨大な蛇の影もまたそんな彼女の動きを見定めかの如く、天に届かんばかりの巨躯を動かさずじっとしている。

 その間、ほんの数秒であったが当人たちにしてみれば何分にも及ぶ長い睨み合いだっただろう。

 最初に動いたのはレヴィアタンだ。

 伸ばしていた体を使い、巨大な円を描く形でその巨体をぐるぐると回転させ始めたのだ。

 それだけで大地は大きく震え、腹に響く轟音を響かせ大量の砂塵を巻き上がる。

 そんなのは序の口と言わんばかりにどんどんその速さを増していき、レヴィアタンの一帯に強烈な風の渦を生み出す。

 それは台風そのもの。

 近づく事すら不可能なまでの強風を纏い、生きる災害となってリッツェールへ襲い掛かる。

 そんな悪夢としか思えない光景を呆れた目で見つめるのは黒き魔女、ディーネ。


「リッツェールの奴、何やってんのよ。じゃれあうのも大概にしなさいってのよ」


 そう何度も服や髪を汚してなるものかと、予め空間遮断の魔法を周囲に張り巡らせていたディーネだが、こんな迷惑を振りまく幻魔相手にいつまで時間をかけるのだと、リッツェールの心配をするどころか愚痴を零してさえいる。

 そんなディーネの不満の声が届いたのか、遠く離れた場所でリッツェールが笑った――かのようにディーネには見えた。

 そして災害そのものとなった大蛇に向けリッツェールはただ一言、宣言した。


「“死を忘れるな(メメント・モリ)”」


 たったそれだけで吹き荒れていた風はみるみる内に力を失いついには無風となる。

 それはつまり、レヴィアタンが動きを止めたという事でありそれの意味する所は――。


「今一度の別れだ。次に相見(あいまみ)える時が最後になるであろう」


 レヴィアタンに死がもたらされたという事。

 尾の方から影が崩れていくというのに、さっきまで行っていた再生をする事なく天に届く巨躯を持った影の蛇は何の抵抗もせず、己の消えゆく時を待っていた。

 そして蜃気楼のようにゆらゆらと実態を無くし始めても、レヴィアタンは完全に消え去る最後の時までリッツェールに視線を注ぐように、表情も何もない貌をじっと向けていた。





「どうだ? 見事あの化け蛇を打ちのめしてやったぞ。流石は我だ、完全勝利だった――ぐごッ」

「さっきのお返しよ」


 ドヤ顔で自慢しに来たリッツェールの鼻っ柱にグーパンチをお見舞いし、有言実行を果たしたディーネ。砂やらなんやらを引っ掛けられたのが余程気に食わなかったらしい。

 容赦ない顔面パンチを喰らい、たまらず手で鼻を押さえるリッツェールだが無情にも鮮血が白い肌を汚し、手の隙間から血の雫が滴り落ちている。


「いふらなんれも鼻をつぶすなんへ、やりふぎではないは?」

「あら? なんて言っているか聞き取れないわね。いつから人の状態で蝙蝠語を話せるようになったのかしら」

「おぼえへろ、ぜっらいなかふ」


 リッツェールの鼻を潰してもなお、ディーネはご立腹だった。これは下手にちょっかい出すと危険だと、改めて目の前にいる魔女との距離の測り方に困らされるリッツェールであった。

 それから数分後、鼻の怪我が自然回復したリッツェールは話を切り出す。


「なんにせよ、これで勝敗は決したな」

「あら、自分から負けを認めるの? 殊勝な心がけだこと。珍しい事もあるものね」

「何を勘違いしている。負けは貴様だぞディーネ。ついさっきの事も忘れたのか?

 我があれだけ見事で華麗なる勝利を納めたであろう?」


 不穏な空気が場を占め、死界の雰囲気がより一層暗いものへと悪化していく。

 双方の言い分はどちらも一直線で、決して交わる事ない主張をしている様はどうみたって子供同士の喧嘩であった。

 そんな灰黒ペアにとうとう幻魔すらも気を遣ったのか、両者が睨み合う中またまた影の軍団が現れた――小規模であることから気を引こうという風にも見えてしまうのは、果たして気のせいか。

 しかし悲しい(かな)、幻魔の集団に視線すら向けずにディーネが手をかざし詠唱なしでの魔力弾を放ち殲滅。


「あんたにこんな芸当が出来て? 相手に近づいて触れなければ何もできないあんたに」

「やれやれ、これだから頭の固い奴は。

 適度に体を動かしてこそ、勝利の美酒に酔えると言うものだろう。そんな怠けているようでは、だらしのない身体になるぞ? いや、もうなっているから黒色の服を着込んでいるのか……? なるほどなるほど」

「……さて、今度はどこを潰されたい? その貧相な胸をさらに粗末なものに変えてあげようかしら」


 どこまで行っても相反する相手だと、この時だけは二人して同じ事を考えていた。

 しかし実際問題、二人に優劣をつけるとしたら判断に困る所ではある。

 ディーネは火力と安定性を最高レベルで兼ね備えており、魔法を極めていながらさらに高みを目指す生粋の魔女。さらには魔力量も別次元であることから間違いなく現世界で最強と呼べるだろう。

 対してリッツェールは、単純な身体能力で言えばディーネを上回り、火力とスピードが桁外れに高くさらには波長の支配という馬鹿げた能力まで併せ持っている。

 この能力は触れた対象の波長を掌握しそれを操ることができる。もちろん自身にもその効力は適用される。

 例えば自分の波長を引き延ばし体感速度を極限まで高める事が可能である。

 他には名前を本人から聞き出せたなら、完全にその者を支配下におけるという巫山戯た特性まである。そうなれば洗脳やテレパシー、後は内側から爆発させたり存在そのものを消し去る事も可能。もっとも“生きたもの”に対しては、消すと言った行為は行えない。それでも強力無比に過ぎるだろう。


「そもそも今回の勝利基準は質と量。確かに貴様の魔法は凄まじかった。たった一撃で万を超える軍勢を消したのだからな。

 だが所詮、烏合の衆を屠ったとして自慢になるか?」


 ルールに則るなら、質と量によって勝敗が決まる。では何をもってしてどちらが優れていると決めるのかが重要だ。

 そこでリッツェールは己の勝利は揺るがないと自分の成果を述べる。


「対して我はレヴィアタンを完封したのだぞ。どう考えても我の勝利は揺るがん」

「なら順番が違っていたらどうかしら。あんたの場合、物量で迫られたら厄介なんじゃなくて?」

「それも運の内。つまり、貴様の次にレヴィアタンが現れたのも我が勝利の女神に愛されているということだ。はーはっはっはっのは!!」


 たしかに勝負は時の運とも言う――悔しいがこれには反論する事が出来ない。だからと言って素直に負けを認めるのも癪である。なにより前回に続いて負けをこれ以上増やしたくない。

 前回の勝利条件はどちらがより多くの余力を残して立っていられるかだったが、あの時は最初に飛ばしすぎてスタミナ切れを起こすという痛恨のミスをしてしまった事で負けに繋がった。

 だからディーネは一つの賭けにでた。

 ――リッツェールの逆鱗に触れるという形を取って。


「ふん、虚勢を張る姿はいっそ滑稽ね」

「……なんだと?」

「あんたに何万もの幻魔を一度に葬れるかしら。いえ、無理でしょうね――その能力では」


 自身の能力に絶対の自信を持つリッツェールにとって、その一言は禁句であった。

 楽しげだった雰囲気から一転、恐ろしいまでの殺気と憎悪を込めた黄金の双眼がディーネを見つめる。


「私なら深淵の怪蛇(レヴィアタン)強き欲念獣(ダモン)だろうと、あんたと同じように、いえそれよりも早く仕留められるわ」

「ほう……それはそれは、さぞ見応えのあるショーになりそうだな」


 言葉とは裏腹にその声音は冷たく、思わず跪き頭を垂れる事を強要させる圧力が含まれていた。

 リッツェールは今にも怒りが爆発してしまいそうになるのを理性で押さえつけ、どうにか話を纏めようと言葉を続ける。


「しかしこれ以上は幻魔共が出てくる様子もない。これでは試しようもないだろう。

 そこで、だ。素直に負けを認められぬ貴様の代わりにあの(むすめ)に判断を委ねるというのはどうだ」

「ネイチャに……?」


 どうにか思惑通りに事が運んだ事に内心ほくそ笑むディーネだったが、突然出てきたネイチャの名前に疑問が生まれる。


「そうだ。それなら双方納得出来るのではないか?」

「言ったわね、ネイチャなら私に味方するに決まってるじゃない」

「くくっ、随分と信頼しているのだな。しかしあの娘が貴様に信を置いているとは思えん。

 いやむしろ、嫌悪していると考えるのが普通か。あれだけの仕打ちを行なっているのだからな」


 今度はリッツェールがディーネの不興を買う番だった。

 あれほど興味を示していた魔法の禁止をネイチャに言い渡したばかりで、実はもしかしたら本当にネイチャから嫌われているのではと心のどこかで考えては、それがどうしたと思考の切り捨てを繰り返していたディーネにとってリッツェールの指摘は無視できないものだった。

 そんなディーネが悔しげに表情を歪ませたのも一瞬。すぐに何か思いついたように口元を愉快そうに歪めた。


「あんたなんかに私達の事についてどうこう言われる筋合いはない。第一、それを言うならあんたの所の跳ねっ返りにこそ当てはまるのではなくて?」

「我はヴィーニャに無償の愛を注いでいるのだぞ? その我に対して悪感情を抱くなど断じて有り得ん」

「愛……? あれのどこが愛よ。ほんと、あんたの腐った感性は一級品ね」

「一方貴様はどうだ。無常にもあの娘に魔力を叩き込み、知的探究心を抑制している。どちらが嫌われるかなど言うまでもないだろう」


 ディーネからの指摘には耳も傾けず自身の主張を続けるリッツェールに、よくあることであるがやはり腹が立つとディーネは片目をピクピクさせる事で気を紛らわす。

 毎度のように互いの主張が平行線で行き続けるのはいかがなものかといい加減、嫌気の差してきたディーネは話を打ち切る事にした。


「……はあ。これ以上の言い争いは止しましょう。無駄にこんな所で体力を浪費する必要もないのだし」


 この場所がなぜ死界と呼ばれているのか。それは単純にこの地に魔力が存在しない――という事ではなく、ただそこにいるだけで魔力が体から消えていってしまう事から、ここが死界と呼ばれる所以となっている。

 もし常人がこの場に来訪したとして、生きていられる時間は精々三分といったところ。それを過ぎれば魔力が枯渇し死に至る。とても長居して良い場所ではない。

 それは彼女達にも言える事であり、この世に生きる者にとって魔力とは生命力そのもの。その摂理はこの二人にも適応されると言うことだ。


「む、それもそうだな。なにより、ここに長居しすぎてはわざわざ来た意味もなくなってしまう。

 そうと決まれば戻るとするか」


 ようやく話も纏まり帰還する事が決まり、リッツェールは不機嫌な雰囲気を飛散させディーネの隣に陣取る。

 どこまでもマイペースな奴。と口に出したところで先程の焼き回しになるのは目に見えていると、諦めに似た想いをため息と共に吐き出したディーネは転移魔法を使い、リッツェールと共に自宅へと戻るのだった。


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