第三話 未来への一歩
「それで? 今日は一体なにをしでかしたのかしら。私が忙しい所にのこのことやってきたということは、余程のことなのでしょうね」
「え、え〜と…………」
毎度お馴染みお叱りを受けるネイチャ。しかし今日はいつもと少し違うようだ。
罪を告白するかのように――実際そうなのだが、これまでに見たことのないくらい申し訳なさそうな様子を見せるネイチャにディーネは訝しむ、今度はなにをやらかしたのだろうと。
その視線を受けて少女はさらに冷や汗を流すことに。
何故こんな事になったのかは、少し前に遡る。
この日もネイチャは例によってディーネの自室へと忍び込んでいた。もはや一日のノルマにでもしているのかという執念っぷりである。
「早く盗み出さないとバレちゃうバレちゃう。えーと、どの本がいいかな」
きょろきょろと見回していると、ふと目に止まる見覚えのあるものが見えた。
「――え?」
それはネイチャの宝物である花だった。
それがどういうわけかディーネの部屋の机に置いてあるのだから、驚きもひとしおであろう。
「ちょちょちょッ、なんでこれがこんなとこにあるの!? はっ! あんのオニババッ、私の部屋から盗み出したんだ!」
ふつふつと湧き上がる怒りの炎を燃やす少女は、今にでも殴り込みに行きたいという衝動をなんとか抑え、大事な宝物を取り戻すべく花に手を伸ばす。
「まったくもう。ん? あれ……」
大切そうに花を手に取り、そこで気づく。それは――
「これ、違うやつじゃん……」
見た目こそそっくりではあるが、彼女の宝物とは別物だったのだ。それに何か物足りなさを感じる。いつもなら触れているだけで力が湧いてくる感覚がある筈が、この花からは何も感じない。
それが意味するのは――よく似た偽物。
「ふぅむ、でもこれはこれで」
その花はまるで造られたかのような感触で、いつも触れているものとはまた違った触り心地に夢中になる。
例えるならこっちはつるつるした無機質な感触で、いつも触れている方はすべすべとしていながら温かみを感じるといった違いがあった。
こねこねと粘土細工のように形が変わる花にお熱な少女はある推測をたてる。
こんなにもあの花と似通っているのだから、何かしらの方法で同じ効力を引き出すことができるかもしれない、と。
「念じてみたらもしかしたら良いかも……んーと、ち、力を分けてくださ〜い」
こんなので何か変わるわけないと期待はしていなかった。そしてネイチャの予想通り変化なし。
〝やっぱダメか〟と、ひとりごちる。
次に意識を花に向け二度目のチャレンジを行う。
(どうか、私に力を分けてください。あなたと共に生きたいんです)
誠意のこもった祈りが通じたのか、はたまた偶然の産物か、しかし花から温かいなにかが流されるのを少女は感じていた。
「おお〜っ、これですよこれ! この感覚が堪らないんですよ!」
調子に乗ったネイチャはどんどんと思念を強めていく。思いの強さに比例して、なにかが少女を満たしていく。それに喜びさらに想いを強める。そして――花が砕けた。
パリンと小さく、しかしいつまでも耳に残るガラスの割れるような音が木霊す。
儚く散ってしまった花であった欠片を唖然と見つめる少女は、なにが起きたのかしばし理解できなかったが、数秒もしないうちにガタガタと震え始める。
「これ、ものすっごくヤバいのでは……?」
ディーネの私物を過程はどうあれ壊してしまったのだ、ただで済むはずがない。しかも、どう見たって貴重なものと分かる代物を原型を残さず砕いてしまったのだから絶望するには十分だろう。
そこへ森に出かけていたディーネが戻ってくるのを窓から発見し、あたふたするネイチャ。最悪のタイミングだ。
まずは出迎えなければならないと、掌に残っている欠片をポケットにしまい玄関へ向かうのだった――。
「もう一度だけ聞くわ。私の機嫌を損ねる事でどんなことをしたの?」
そして話は戻り、出迎えに来たネイチャの隠しきれない罪悪感を見抜いてか、ディーネが出会い頭に確信をつく質問を投げかけてくる。
声を低くし威圧感を放ちながら二度目の質問を正面から受けてしまえば、さしものネイチャも根負けしてしまう。それでも躊躇いながら時間を引き伸ばそうとするのはご愛嬌。
「な、なぜそうだと思うんです、か?」
「どれだけアンタの悪事に付き合ってきたと思っているの? どんな声音でどんな目配りをしているのか、それと呼吸のリズム。それだけの情報で大体の察っしはつくというもの」
なんで魔女なのにそんな原始的な判断基準をしているんだと内心ツッコむネイチャは、これはいくらごまかそうと無駄だと諦め素直に罪を告白する事にした。
「実は、ですね……これ、壊してしまって……」
ポケットから先ほど砕けた花の欠片を恐る恐るといった様子でディーネの前にさらす。
のちに来たる特大のお仕置きにネイチャは身体を震わせ目を瞑る。
「これは……ユニヴァレーエ」
「ゆに、え?」
「それの名前よ。見た目が星空に似通っていることからその名が付けられた花。まったく安直な名前よね」
聞き慣れない単語に恐怖を抑えて聞き返せたのは、一重にこれがどんな代物か気になったからだろう。まさか普通に応えてくれるとは思っていなかったネイチャは、花の名前の由来を知ることができたと心の中でガッツポーズ。
「その花を壊したと言ったわね。これはそう簡単に砕けるものではない筈よ。ましてやこんなバラバラになるなんて……貴女、一体なにをしたの?」
ネイチャの予想に反して怒らないどころか、興味を持ったように口に笑みを浮かべ花の欠片を見続けるディーネの表情は、面白いものを見つけたといわんばかりの顔だった。
「こう、力を分けてくれ〜。みたいな感じで念じ続けてたらこうなりました……はい」
説明するにも少女の語彙力ではこれが限界であった。しかし実際そうとしか言えないのだから仕方ない。
それでも、他人が聞けばなんともふわふわして容量の得ない説明としか受け取らないだろう。
「ふーん……そういうこと」
だというのにディーネはどこか納得した雰囲気で意外な一言を少女へ告げる。
「……やっぱり興味深いわ、貴女」
「うぇッ!?」
少女へ向けた柔らかな笑顔。何度も見てきた怒りや、嘲りを含んだどれとも違う、まっすぐで綺麗な笑顔。思わず見惚れてしまった事にネイチャは気恥ずかしさを覚えた。
ディーネってこんな笑顔が出来るんだと場違いな事に思考を凝らしているのも束の間。
「いいわ、この事については許してあげる。ただし――」
目も覚めるような微笑から一転、見慣れた笑顔。つまり怒りを多分に含んだものへと表情を変えた。
「私の自室に無断で入り込んだ事については許さないから、そのつもりで」
「で、ですよね〜」
つい先日も同じ事でお仕置きをされたばかり。だからこの時はネイチャ自身お仕置きの内容は前と似たようなものだと思い込んでいた。
だが、かのディーネがそんな単純な方法を取るわけはない、何故なら彼女は魔女。
けれど幼い少女にそこまでの思慮深さはなく、来たる悪夢に気づかぬまま包まれるのだった。
「お願いです……っ! もう、やめてッ」
あれから自分の部屋へと連行されたネイチャは部屋に入るなり、ディーネの魔法で体の自由を奪われベッドに放り投げられた。それでも、歯を食いしばりながらディーネを睨む少女の瞳には強い意思がともっていた。
「どう? 自分の知られたくない領域を乱暴に見られる気分は」
嬲るようにゆっくりとした手つきでネイチャの大切な場所を外部に晒す。それに目を見開いた少女から焦燥の声が上がる。
「あ、ああっ……、後生ですのでどうか――あぁッ、そこはっ!」
「ふーんここね。見た所きれいにしているようだけど、なにか匂うわね」
隅々まで視線を巡らすディーネは、中から僅かに香る匂いを目印に辿る。
ネイチャはくりくりとした蒼い瞳に涙を滲みませ、今にも泣き出しそうな表情で呼び止める。
「だめ……っ、そこは、ほんとにダメなんです……!」
そして、とうとう見つけたネイチャのシークレットスポットへ、無遠慮に細くししなやかな指でまさぐるディーネの表情は楽しげで、どこか加虐的な色を含んでいた。
そしてついにネイチャは沈痛の叫びをあげる。
「ゔあぁーーん! ディーネに取られたぁ!! 私の゛はな゛ぁぁあ!」
ディーネの手にはネイチャの宝物である美しい花が収まっていた。
そう、彼女はいかに他者からの詮索が気分の悪いものか思い知らせるために、意趣返しとしてネイチャの自室を物色、さらには引き出しの隠し板までも外し、少女の大切なものを本人の目の前で奪ってみせたのだ。
断じて卑猥な秘め事を行っていたわけではない。
「なるほど、だから私の部屋にあった花に目をつけたと。道理で、他のものに手を出さなかったわけね」
「こんちくしょーう! 返せ私の花ぁ!! 鬼!悪魔! ディーネ!!」
まるで子供の癇癪である。
相変わらず少女はベッドに身を預けた状態だが、特に何かで縛られているようでもない。しかし、まるで何かに拘束されているかのように、もぞもぞ体をよじらせるだけで一向に立ち上がる気配はない。依然、ディーネの魔法は解かれていないのだ。
「これがそんなに大事?」
「ぅぐ……っ、だ、大事……です」
下手に嘘をついてもどうせバレると分かっているネイチャは口籠もりながら答える。彼女は学習できないのではない、懲りない性格なだけなのだ。
ディーネは指を一つ鳴らすとネイチャにかけていた魔法を解除した。
「あれ……? どうして」
「別にこの花をどうこうするつもりはないわ。ちょっとした確認をしたかっただけ」
そう言ってネイチャの前まで移動し、花を差し出す。
おずおずと自分の宝物を取り戻そうと手を伸ばす少女。警戒心を隠しもしないところを見ると、何か裏があるのでは考えているようだ。
だがそれは杞憂に終わり、呆気なく花はネイチャの手に渡る。
「あの……花を壊した事、怒らないんですか?」
「それはいいって言ったでしょ」
苛立ちを乗せた声でそう言い捨てるディーネにネイチャは心から安堵した。宝物であるこの花を奪われる事にならなくて本当に良かったと。
穏やかな表情をし両手で花を包み込み、胸元に寄せる姿はどこか聖女の祈りのようで儚げであった。
「けど今し方、試したい事が出来たの。もちろん協力するわよね?」
「あ、はい」
感慨にふける間もなく話を進められる。
断ったらどうなるか、分かるだろ? という圧が込められた問いかけに半ば強制的に頷かせられた。
ネイチャの返事を聞き、踵を返したディーネがドアノブに手をかける。
「なら、外にでるわよ」
「何故ですか?」
彼女はドアノブにかけた手をひねりながらネイチャが今まで望んでいた言葉を紡いだ。
「魔法を教えるからよ」