第二話 夢に咲く花
「ふぅ、今回の小説もおもしろかったぁ。特に主人公アリオとリーチ姫の最後の掛け合いなんて最高」
もはや趣味の一つになっている読書を終え感慨にふける少女ネイチャ。
今回少女が読んだのはありふれた冒険物語。内容はどこにでもある話で、主人公が悪者を打ち倒し最後にはヒロインの姫と結ばれるというハッピーエンドで終わるもの。
「やっぱり王道が一番、これだけは絶対だね。うん」
自室でひとり満足げに頷くネイチャは、しばらく外の景色を見ていた。
窓の向こう側に見える庭、そこにはディーネが植えた様々な種類の花が咲き、さらに奥に目を向ければ大森林がのぞいている。
この家は緑に満たされた自然あふれる立地となっており、穏やかに時を過ごすに最適な場所となっている。
しかし場所が場所なだけに、ネイチャは未だ自分達以外の人間を見たことがなく、どうせならもうちょっと活気のある場所が良かったと、がっかりした想いが胸にあった。
「ふぁーあぁ……集中して読んでたからかな? なんだか眠くなっちゃった……」
急な睡魔にみまわれたネイチャは机に突っ伏し、窓から差し込む日の光を浴びる。ちょうどいい感じの温もりが背中から染み渡り、あまりの心地よさに自然と瞼が落ちてくる。
「ちょっとだけ、ちょこっとだけ目を閉じるだけ……寝たら……ディーネに、怒られちゃう……から」
そしてとうとう眠気に逆らえなくなったネイチャは小さな寝息を立てて夢の中へ誘われた。
そんな中、引き出しの中では一輪の花が淡い光を放っていた――。
――――
そこは、花が咲き誇る丘。
満点の星空に浮かぶ星々の輝きが丘を照らし少女を迎え入れる。足元には辺り一面を覆う美しく煌く花々が咲き乱れ、天然の光る絨毯となしている。
さらに、花の上品で芳しい香りが鼻腔をくすぐり、爽やかな気分にさせるこの地はまさにユートピアという言葉が似合う。
少女はそこにいるだけで全てが満たされるかのように感じた。
(やった、久々にこの場所に来れた)
ネイチャは夢で何度かこの場所に訪れていた。来れる頻度は低いので滅多にこの景色を見れないので自然と少女は上機嫌になる。
しかし不思議なことに外にも出たこともない筈だというのに、最初の頃からここを懐かしいような、それでいて少し寂しい場所という想いが胸中を占めていた。
(なんだろ、声……? あ、もしかして歌かな)
どこか遠くから聞こえてくる女性の綺麗な声。透き通るような声で奏でる言葉は聴くものを惹きつける魅力が含まれていた。不思議とそれを聴いているだけで、なんでもできそうという自信が込み上げてくるのだ。
ネイチャの頭の中でメロディーが浮かび、いつしか自分の歌のようにスラスラと言葉を紡ぎ出す――ネイチャがこの歌を聴くのは初めてだというのに。
(きっとこういう所が天国っていうんだろうな)
気分がいい、今なら何でも出来る気がする。
このまま世界を自分の理想通りに変えてしまえそうな全能感が少女の心を満たしていく。
そしてこのままここにいたら、自分についてなにか分かる。そんな気がするのだ。
いつまでもこの場所にいたい。本心からそう願うネイチャであったが、夢というのは醒めるモノ。急速に意識が覚醒していくのを感じながら、最後まで誰かの歌う声に耳を傾け続けていた。
ベッドに横になる少女は神秘的であった。
薄クリーム色の長い髪がベッドに広がり、日の光に照らされた影響で美しく輝き、幼いながらも整った顔立ちと相まって神秘的に見える。はずなのだが、少女のだらけきった寝顔がそれを台無しにしている。
「ふぇへへ、わたしがしんせかいの神になるのだ〜ぁぁあ……んふふ」
とんでもない寝言を言ったり、呆けた口からよだれが垂れ枕元を汚しているのにも気づかず今も夢を見ているようである。
だらしのない緩み切った顔が歪み、だんだんとしかめっ面へと変わる。顔に差し込む眩い光によって目を覚まさそうとしているのだ。
「んんぅ……むぅ」
ベッドからもそもそと起き上がったネイチャの顔は寝ぼけきっている。
寝起きに弱いネイチャは、朝日でショボショボする目を擦り大きく伸びをする。
「ん〜〜っ、はあ。気付いたら寝ちゃってた……でもまだ朝だからだいじょぶ。あれ、でもたしか寝る前はお昼過ぎだったような――あれれ?」
みるみるうちに寝ぼけ顔から難しい顔、悟り顔から顔が青ざめていく様は見事であり、まさに百面相といった具合だ。
「もしかして丸一日寝てた……? ッ、やっば!」
こんなに寝てしまったのも、全部あの夢のせいだと口にしながら慌てて飛び起きるネイチャだったが、運悪くシーツが足に絡まり派手に転倒――しかも顔面から。
「べにゅッ!」
派手に顔面を打ち付けたネイチャは、痛みで滲む涙もなんのその。素早く立ち上がりいつもの服に手早く着替える。しかし、どれだけ急いでも結果は変わらないというのは言うまでもない。
「やばいやばいやばい!! ディーネにどやされるっ」
彼女達の住む家であるが、二人で住むにはいささか大きい家ということもあって、リビングに辿り着くには少し時間がかかる。自室のドアからリビングに続く廊下を時間すら惜しむようにバタバタと走る少女。そして――
「居候の癖に一日中寝てられるだなんて、良いご身分ね。居候のくせに」
扉を開けた瞬間にお叱りが始まった。
少女に背を向け木製の椅子に座り、分厚い本を読んでくつろぐディーネは、怒りというより呆れたと言わんばかりの声音でネイチャを迎え入れる。
「すいません……で、でも。そのぉ、二回も居候って言わなくても」
「それが事実でしょう――って、貴女その顔どうしたの」
「え?」
振り向いたディーネが怪訝な顔でネイチャを見つめる。
何かおかしな所でもあるのだろうかとペタペタ自分の顔を触るネイチャは、ふと手に嫌な感触を察知した。
「……ぅわ、鼻血」
結構な量の血が少女の手を赤く染めていた。
鉄臭い臭いと自分の手を汚す血に思わず顔が引きつる。どうやらさっき顔を打ち付けた時に鼻血が出てしまっていたようだ。自覚したからか、ズキズキと鼻が痛みを訴えはじめる。
「これはですね、あのぅ…… へ、へんな夢を見てしまって、ですね。そのせいです、きっと」
この言い訳では妙な誤解を生むのでは? と、後になってネイチャは気づく。
恐る恐るディーネの方を伺うも、表情にこれといった変化はなく、ただ少女の瞳を見つめるだけ。
「とりあえず……そのみっともない有様を何とかなさい。見るに耐えない」
これ以上は見てられないと言った態度で再び本へ視線を戻すディーネ。特にそれ以上何かを言われることはなくネイチャは安心半分、不満半分で洗面所へと顔を洗いにいくのだった。
「良かった服には血、付いてないみたい」
ようやく鼻血が止まり一安心したネイチャは、鏡に写る自分の姿を確認し終え一息ついていると、不意に後ろから声がかかる。
「服は良くても廊下にアンタの血がここまで続いてたのだけど」
「げっ、ディーネ……あいだッ!?」
眉根を寄せた不機嫌な顔でディーネが背後に立っていた。
たまらず本音を漏らすネイチャだったが、それを聞き流すディーネではなく、魔力を灯した手で少女の頭をしばいた。
「血の方は綺麗にしておいたわ。それと、朝食の時間だから早く準備なさい」
言葉短くそう告げると、ディーネは足早にその場を立ち去っていく。
「そういえば、お腹すいたなぁ」
思えば昨日から二食、食事を抜いていたということになる。それは空腹にもなると言うもの。
そして味だけでいえばディーネの料理は絶品であり、ネイチャが密かに楽しみにしていることの一つでもある。そんな訳で、善は急げと少女もそそくさとリビングへ向かうのだった。
彼女達の食事はよく言えば上品、悪く言えば冷たい雰囲気のものであった。
(おいしいにはおいしいんだけど、心からおいしいと感じられないんですよね……それでも美味しいけど)
そう、二人の食事時は食器の触れ合う音のみが室内を奏でるのみで、会話という会話もない。
けれど喧嘩しているわけでもなく、お互い嫌いあっていると言うわけでもない。たぶん……と、心の中で思うネイチャは、なにかのきっかけがあればもしかしたら会話が出来るかもと考え、初めて食事中に話しかけてみようとチラとディーネの顔を伺う。その様は拾われてきた捨て猫を彷彿とさせる。
対して既に食べ終えコーヒーを口にしていたディーネもネイチャを見ていたようで、目がばっちりと合う。明からさまに忌々しげに顔を歪ませてきた。話しかけるなオーラ全開だ。
(うん。無理)
心中で爽やかな笑顔を浮かべる
本来なら団欒としている筈の食事時。最近読んだ小説にそういった場面が描かれ、それに憧れているネイチャは小さくため息をつく。また、いつも通りの寂しい食事となってしまったと。
「ねえ。貴女がここに来てどれくらい経つかしら」
珍しく――というより、初めてディーネから食事中に話しかけられたと驚くネイチャは、突拍子のない質問に疑問符を浮かべながらも、頭の中では過ごしてきた年月を計算する。
「えと……たぶん、二年くらいにはなるかと?」
思い出すのは苦い思い出ばかりだったので素早く思考を切り替えた。
「そう……そのくらいよね……でも何故かしら、貴女とはもっと時間を共にした感じがするのよ。こういうの、なんて言うのかしら――そうね」
そこで一度言葉を区切ったディーネは、コーヒーを静かにすすり一言付け足す。
「率直に言えば気持ちが悪い」
「辛辣すぎでは?」
身も蓋もない一言についツッコミ気味で応えてしまうネイチャだったが、自身もディーネに対して親近感がわく時があったと思い返し、言われてみればそうかなと納得してしまう。
「思ったことは素直に言うタイプなのよ、私。
貴女も何か言いたいことがあるのなら包み隠さず言いなさい」
「お――オゥ、イエス」
お前が毎回言わせないんだろうと喉まで出かかった言葉を飲み込み、よく分からない誤魔化しをするネイチャであった。
「け、けどそれだけ毎日が充実しているから過ごした時間が長く感じる。なんて、考えられるかもですよね?」
「…………はっ」
完全にバカにされた。
端麗な顔を愉悦に染め、切れ長の目を細めて鼻で嗤うディーネはまさに魔女と呼ぶに相応しく、異性ならば一目惚れしてしまうほどに妖艶だった。
そんなディーネを悔しがりながら見つめるネイチャであったが、初めて食事中に会話が出来たとちょっと嬉しくなり怒りを鎮める。
そして上機嫌な少女は食べ終えた食器を片付けながら鼻歌を歌う、あの夢で聞いた美しき旋律を。
さすがに歌の歌詞までは記憶に留まってはいなかったが、メロディーだけは鮮明に今もネイチャの頭の中でなり続けていたこともあって、自分でもなかなか良く歌えているのでは? と気分良く口ずさんでいると、それを聞いていたディーネの顔が今までのどれとも違う表情となっていた。
困惑、焦燥、最後に哀しげな顔つきへ変わる。
今日はディーネの珍しい一面を見れるなぁ、と呑気に思うネイチャへ詰め寄るディーネ。
「その曲、どこで聞いたの……」
「え? えと、夢で聞きました。はい」
「夢で? 嘘は……付いているわけでもなさそうね」
「もしかしてディーネはこの曲、知ってるんですか?」
淡い期待を胸に抱き、喜色の滲んだ声で尋ねる少女の蒼い瞳はいつも以上に輝いていた。
「知っているもなにも、それは私の作ったモノよ」
「……えっ……マジですか、それ?」
「まさかまた私の部屋に忍び込んで――いや、曲調は書いていなかった筈……じゃあ一体」
口元に手を当て思考に没入しているディーネにネイチャの声は届いていない。試しに少女が小声でオニババと呟くと、しっかり聞こえているようで魔力弾をフォーユーされる。これぞ地獄耳。
結局、そのあとはいつも通り掃除洗濯を言い渡され、こき使われ疲れきった身体を休めるため床につくのだった。
今日はあの夢は見なかった。