第一話 少女の日常
〝好奇心は猫を殺す〟とはよく言ったものである。
ふとした事柄を調べていくと予想だにしなかった結果が待ち受けているなんてことは常であり、中にはロクな結末にならないと分かっていながら突き進む者もいるほど好奇心というのは逆らい難いもの。
例えば、この少女の様に。
「あわわっ、ご、ごめんなさいぃ!!」
「ここにある本は読むなと。なんど言ったらその空っぽな頭に私の言葉が届くのかしら」
ネイチャは通算三桁目に突入してしまった叱咤に、内心ある種の達成感と自責の念を抱いていた。当然、心境の大半を占めているのは後悔であるという事は言うまでもない。そしてそれを改善する気も無いのはこれまで叱られてきた数が物語っている。
「少し目を離しただけで言いつけを破り、あまつさえ盗みを働こうとする。そんな悪い子にはどう落とし前をつけさせようかしらね。ねぇ、貴女の意見を聞かせてくれる?」
眉間にシワを寄せ突き刺す様な鋭い視線と共に、聞く者に底冷えさせる声音でそう言い放つのは艶のある黒髪をした女性。
名をディーネ。そんな彼女の真紅の眼光に晒されているのは、体を硬直させガタガタ小動物のように震える、村娘風の格好をした十歳前後の幼い少女、ネイチャであるが、ディーネの自室に無断で入り込み書物の持ち出しを企て実行したのだ。
証拠としてネイチャの手は麻袋の中に突っ込まれており、そこから分厚い本がガッツリのぞいている。大方、部屋の半分以上を占める本の壁からならバレないと踏んでいたのだろうか、袋口から見える範囲でも持ち出そうとした本の内容がバラバラだ。
「こ、子供には温かい心で許してあげるのが一番だと思います……ので、見逃して下さいお願いします!」
跪いて頭を垂れる様は幼い見た目でありながら堂に入っており、見る者に同情を抱かせる光景である。しかしそれで矛を収めるほど、目の前の女性は甘く無い。
いや、初めのうちはこれで事が済んでいたのだが、あまりにも言っても聞かないので、最近はネイチャが泣きそうになるまでお仕置きをしている。つまり、ネイチャの自業自得。
「そう、それが貴女の答えというわけ。まったく、どうしようもない――大馬鹿者ね」
「ふぇ……? ちょ、ぉまッ!? いっだぁーー!!」
手をかざしたディーネはネイチャへ向けて魔光弾を放つ。
バッシーンッ、と小気味良い音とセットでネイチャの悲鳴が上がる。それに気をよくしたのか次々と魔力弾を生成していく。
これでネイチャが素直に誤っていれば手心も加えていただろうに、下手に言い逃れようとしたバチが当たったというべきか。
「うぅ〜……ッ! こ、このぉ……オニバッ、バババッパァ!?」
ネイチャからの悪口が終わる前に再びいくつもの魔光弾を少女の顔面目掛けて解き放つ。
堪らず体を丸めて耐えるネイチャだが、一向に魔力弾の嵐が止む気配はなく、それどころかディーネの顔が楽しげに歪んできてさえいるのでまだまだ続ける気なのだろう。
「仮に本を盗み出そうとした事には目を瞑ったとして、それで私の気が済むと思って?」
「な、なにがいけないってんですかぁっ!?」
意外と痛くないのか大きな声で口答えをする余裕はあるネイチャだが、忘れてはいけないのはこうして会話している今も少女が魔弾を浴びせられ続けているということ。
「何がいけないか、ですって? 私が他人から詮索される事がなにより嫌いだからよ。だから私の自室に忍び込んだ時点でお前の行く末は決まっていたということ。分かった? お馬鹿さん」
「ぐみゃあぁあぁぁーーッ!? ゆるしてくださいぃぃ!!」
苛烈さの増した魔力弾を受け、つぶれた猫のような叫び声を上げるネイチャの悲鳴が泣き声に変わるまで、お仕置きはしばし続くのであった。
――――
「あー、酷い目にあった。まったく、ちょっと難しい本を借りようとしたくらいで大げさなんですって。もう」
あれからディーネに庭掃除を言い渡されたネイチャはぶつくさ言いながらもきちんと取り組んでいる。その動きは魔力弾のダメージを感じさせないくらいに軽快そのもの。
まぁ、サボったのがバレればお仕置きが待っているからだろうが。
「本の二つ三つくらい貸してくれても良いのに。あのオニババ、ほんとけちんぼ」
本、と言っても。この場合意味するものは魔導書の類である。
魔女であるディーネの所有する魔導書は膨大であり、中には本の内容を見ただけで呪い殺される代物まであるのだから、ネイチャのしようとした事がいかに危険であるか分かるというもの。
とはいえ、さすがにネイチャ自身その危険性は把握してはいる。のだが、それよりも探究心が上回ってしまうのだから始末がおえない。
「はあ……あぁもうっ。いい加減、初心者用の魔法でも良いから教えてくれれば良いのに、なんでいつまでも家事か雑用しかさせないのさ」
居候の身としては殊勝な心がけであるが、相手が相手であるのでディーネを前にして強くも言えず、こうして不満を吐き出すのが日課となっている。
なぜなら、名前以外の記憶と持ち物もない状態でこの家の前で立ち尽くしていたネイチャを招き入れたのが、他ならぬディーネなのだから。そのことについてはネイチャも感謝しており、こうして毎日の仕事にも真面目に取り組んでいる。
けれどもと少女は思う。こんなにも近くに魔女がいるのだから自分も魔法というものを体験してみたい――本や空想ではない本物の。
だというのに読ませられるものと言ったら歴史書やミステリーに冒険物、果てにはホラー物といった多様な小説ばかり。少女の期待する魔導書は一度も与えられずにいる。
だからといってディーネから渡される本がつまらないと言うことはなく、むしろネイチャに刺さる内容のものばかりなので気づいたら時間を忘れ読み耽っている事なんてしょっちゅうである。
「でもまあ、短気ですぐ怒って褒めてもくれないディーネの他に不満はあまりないし、生活にも満足しているし……あとは熱中できるナニかがあればなぁ。はーあ」
最近独り言が増えたなと内心落ち込み二度目の長いため息をつくも、気休めにもならずさらに気分が落ち込むだけだった。
「それに外の世界にも行っちゃいけないって。子供みたいに扱って……! これじゃ何も楽しみが無いじゃん。子供なんだから外で遊ばせろってんですよ……ん? ま、いっか」
ディーネと暮らし始めてからは外出した事はなく、いまだに外とはどんな世界なのか見たことがないし知る機会もない。
仮に無断で出ようとするものならお仕置き確定であり、許可を取ろうとしても取りつく島もない。必然的に外のことを知り得る手段は本だけとなるのだ。
可哀想な自分、と思いながらネイチャは先の発言に違和感を覚えるも特に深く考えはせず、テキパキと庭掃除を終わらせた。
その後、いつも以上に眉根を寄せたディーネから追加で家の中の掃除と洗濯を言い渡され、おまけにしっかりとダメ出しも受け何度かやり直しさせられたネイチャは、心身共にへとへととなって自室へと戻りそのままベッドに直行し倒れ込んだ。
「つ、つっかれたぁー……性悪ディーネめぇ。自分でやればあっという間に魔法で全部終わらせられるくせに、わざわざ私にやらせるなんて……まぁ、なにかやる事ないか聞いたの私なんだけどさ」
衣装棚と机、あとちょっとした小物があるだけのシンプルな部屋。そこがネイチャの自室となっている。
「さて、と。疲れきった心と身体を癒さなきゃ……」
ヨロヨロと立ち上がりおぼつかない足取りで机に向かい、なにやら探し物をしているのか引き出しの中をあさりだす。
「いつ見ても綺麗だなぁ……」
大事そうに取り出したのは一輪の花。それを見つめるネイチャの表情は不機嫌なものからやわらかいものへと変わっていた。
その花は暗い色でありながら透明感のある色合いをし、花弁にはまるで数々の星を散りばめたのではと錯覚してしまうまでに美しく輝く粒があり、見た者を釘付けにするほどの美麗さを宿している。
「ふふん、家の周りにも綺麗な花はあるけど、見た目で言ったらこの花にはかなわないよね。うん、絶対」
その花は唯一彼女の私物というべきもので、意識が覚醒した時にポケットに入っていたものだ。
この花に触れたりしてみると不思議と力が湧いてくる気がするので、落ち込んだ時とかは触ったりして力をもらうなどして御守り代わりとしても大事にしている。
言い換えればただ一つの宝物。
たとえディーネに見つかり奪われようとするものなら噛み付いてでも抵抗するだろう。それだけ少女にとって思い入れ深い物なのだ。
「あと、は。ご飯食べてお風呂入って寝るだけ。今日も一日おつかれさま! って誰も聞いてないんだけどね」
一日の締めくくりとして習慣になった言葉を言い終え、花を元の場所に隠し部屋を出た。
そして少女が居なくなり静まり返った部屋。そんな中、引き出しに眠る花は仄かに煌いていた。
「風呂場で遊ぶなといつも言っているでしょうッ、このド阿呆!!」
「ひいぃぃッ! ごめんなさいぃ〜〜」
子供が遊ぶにちょうど良い広さの浴槽でいつものように泳ぎはしゃいでいたネイチャは、もはやお決まりとなったお叱りを受けるも、頭の中は明日はどうやってバレずに泳ぐか模索しているのだった。懲りない少女だ。
これがネイチャの日常。これこそ少女の平和な世界。これはいつか誰かが追い求めた安息の日々――。