第9話 VSトロール
「う、うう……」
盗賊の頭がうめいた。さすが頭といったところか。まだ意識があるようだ。
「く……くそ……よ、よくも……やった、な。だが……これで、勝ったと……思うな、よ」
頭は息も絶え絶えの状態で呟くように言う。しかし、誰がどう見ても既に勝敗は決着している。
(やれやれ、往生際の悪いやつだ)
俺はそう思いながら、盗賊どもをみんな縛り首にしようと一歩を踏み出した。しかし次の瞬間、頭は懐から何やら紙の巻物を取り出すと小さな声で何やら呟き始めた。
(ッ!? しまった! 呪文書《スクロール》だ!)
スクロール、それはその名が示す通り、各種魔法の力が封じ込められた紙片だ。もともと魔法が使えない者でもスクロールを使うことによって、そのスクロールに込められた魔法を放つことができる。つまり、見習い魔法使いでも上級魔法が封じ込められたスクロールを使えば上級魔法を使うことができるというわけだ。
そして、今、まさに盗賊の頭はスクロールに込められた魔法を発動しようとしていた。
俺は急いで次の雷撃を撃とうとしたが、既に遅かった。スクロールは激しく発光し、周囲をまばゆい光で包む。
――気がつくと、俺たちの眼前で巨大な魔物が仁王立ちしていた。
(……ば、馬鹿な! トロールだとッ!!)
俺は心の中でそう叫んでいた。そこには身の丈が四メートルはあろうかという巨大なトロールが立っていたのだ。片手には大きな金棒を持ち、敵意を持った目で俺たちを見ている。
(召喚魔法のスクロールだったか……。しかし、これは……まずい)
俺はまだ雷撃を撃てるが、先ほどの盗賊相手の雷撃でかなり魔力を消費してしまっていた。このトロール相手では残りの魔力を全て使っても倒しきれないかもしれない。だが、かといって接近戦を挑むのは無謀すぎる。あの金棒の一撃でも食らえば、普通の人間なら即死する可能性すらある。……となれば、やはりここは撤退が最善策か。
「……ミア、俺が雷撃で時間稼ぎをする。その隙に逃げろ。あいつは俺たちが相手をするには危険すぎる。いいな?」
俺はミアに向かって言う。するとミアは驚いたような顔をして俺を見た。
「……勘違いしているかもしれないから一応言っておくが、俺は別に死ぬ気じゃない。雷撃を撃ったら俺も撤退する。ただ先に逃げろって言っているだけだ」
俺は紛れもない本心から言った。こんなところで死ぬ気はさらさらない。盗賊を見逃すことになるのは残念だが、それでも命のほうが大切だ。やり直しは何度だってできる……。しかし、ミアはふっと笑うと全く予想もしなかった答えを返してきた。
「――その必要は、ないわ」
ミアはそう言うと剣を抜き、一歩を踏み出す。
「あなたはここにいて」
ミアはそのまま真っ直ぐにトロールに向かって歩いていった。俺ははっきり言って何が何だかわからなかった。一介の平騎士があのトロール相手に勝てるわけがない。
「ミア、だめだ!! 戻れ!!」
俺は必死に呼びかける。しかし、ミアはそれを無視してトロールへ向かっていく。そしてミアがトロールの前まで来ると、トロールはミアを認識し巨大な金棒を高く振り上げた。あんなのものを叩きつけられたらひとたまりもない。大岩ですら木っ端微塵になるだろう。
「クソがっ!!」
俺は神剣ゼルフィウスを掲げ、渾身の雷撃をトロールに向かって放つ。
バリバリバリバリ!
「グオォォ!!」
トロールは雷の直撃を受け膝をつく。しかしやはり威力が不十分だったせいか、トロールは倒れない。
「グオオ……グオオオオオオオオ!!!」
トロールは大地を揺らすような咆哮を上げて立ち上がった。その表情は完全に怒りに満ちている。トロールはその怒り矛先をもっとも近くにいたミアへと向け、再度、金棒を高く振り上げる。しかし、俺は先ほどの雷撃で完全に魔力を使い果たしてしまい、息も絶え絶えの状態だった。これ以上、もう何もすることができない。――そして、トロールはミアに向かって全力で金棒を振り下ろした。
「ミアああッ!!!」
俺は声を振り絞って叫んだ。脳裏には完全に悲惨な光景しか浮かんでいなかった。
――しかし次の瞬間、俺は信じられない光景を目にしていた。トロールによって振り下ろされた金棒をミアは片手で受け止めていたのだ。トロールは腕を震わせて全力で金棒を押し込んでいるが、びくともしていなかった。正直言って何が起こっているのかわからなかった。ミアは受け止めた金棒を勢いよく払うと、両手で剣を構える。
そして、ミアはその剣をトロールに向かって振り下ろした。
――刹那、トロールの肩から腰までが一気に切り裂かれ、激しく血しぶきをあげた。トロールは後ろによろめくとそのまま倒れる。その巨体が大きな振動とともに地面を揺らした。俺はただただ呆気にとられているだけだった。
トロールを倒すとミアは何事もなかったかのようにこちらに戻ってきた。……正直なんて声をかければいいのかわからない。
「……そんなに驚いた顔をしなくてもいいと思うんだけど」
「……どういうことだか、ちゃんと説明してくれ」
俺はあくまで冷静を装って言った。
「自身を強化する魔法を使ったのよ。あの程度のトロールならどうってことないわ」
ミアは涼しげな顔をして言った。なるほど、強化系の魔法か。それなら片手でトロールの金棒を受け止めたのも説明はつく……が……。
「しかし強化系の魔法とは言え、あそこまで強化できるものなのか? 一介の王国騎士とは思えないレベルだが……」
「……言うの忘れていたような気がするから、今言っておくわね。私は王国騎士団魔装騎士隊隊長、『銀騎士』のミアよ。自分で言うのもなんだけど、王国騎士団内では結構強いほう」
ミアは髪をファサっとして言った。確か銀騎士の称号は王国騎士の中でもトップクラスの実力を持つものにしか与えられない称号だったはず。……そうか、そういうことか。どうやらミアをただの一介の騎士だと思っていた俺が完全に間違っていたらしい。
「……なぜ最初に言わなかった?」
「聞かれなかったから」
「普通、聞かれなくても言うだろ」
「言わないでしょ、普通」
ミアは全く悪びれた様子がなく言う。
(こいつ……重要な情報は事前に共有しておくのが当たり前だろうが……。わざと隠していやがったな)
俺は心の中で悪態をつく。……なんだかどっと疲れた。そもそもミアがここまで強いのなら俺は魔力を使い果たすまで雷撃を撃つ必要はなかったのだ。
(まぁでも、とにかくトロールは倒したし、あとは盗賊たちをみんな縛り組にすればおわりだな。あらかじめ騎士団には連絡してあるから数時間もすれば到着するだろう)
その後、俺はミアに白い目で見られつつも盗賊たちが廃屋に保管していた金や宝石、魔法具などを回収できる分だけ回収した。ミアには当然のごとく反対されたが、あらかじめ計画していた通りに「これは今後、人のため世のために使うのだ!」と強気に主張したらなんとか同意を得ることができた。……ちなみに盗賊どもの目の前で盗賊どもが蓄えた財産を奪うのは本当に気持ちがよかった。くくく、自分たちがやってきたことを後悔するがいい……。
……数時間後、俺たちは縛り組にした盗賊団を到着した騎士団に引き渡し、廃屋を後にした。山を降りた頃にはちょうど日が沈みかけていた。
村に着くと、俺たちは村の人たちから盛大に歓迎された。盗賊から取り返した身代金のうち、村が用意した一千万クローネを長老に返すと長老は泣いて喜び、俺たちは完全に英雄扱いとなった。時間がちょうど夜だったこともあり、俺たちのためにちょっとした宴会も開かれた。俺は村の名物だというイノシシの肉と麦酒を心ゆくまで堪能した。麦酒は周りを冷えさせる魔法具によってキンキンに冷えており最高にうまかった。
「……ま、勇者の初陣としては悪くなかったんじゃない?」
隣に座っているミアが麦酒を飲みながら言う。
「ふっ、俺の手にかかればこんなもんさ」
俺がそう返すとミアはぷっと吹き出した。
「トロールが出てきたときに『ここは俺に任せてお前は逃げろー』みたいなこと言ってたのって誰だっけ?」
「あの時点では最良の判断だったと思うが?」
「……ふーん、ま、判断としては悪くはないと思うわ。その気概はよし」
(何が気概だよ、全くハラハラさせやがって……)
俺はそう思いながら麦酒をぐびぐびと飲んだ。……その後はあまり記憶が定かではないのだが、ライナスと助け出した娘の一人に懇々とお礼を言われ、いい気分になった俺はなんか適当な勇者論を語って悦に浸っていた気がする。
……そして、気がつけば宴もたけなわという感じで宴会は終わろうとしていた。隣にいたはずのミアはと思って探してみると、ミアは長老の家の庭の隅で何かうぇーっとしていた。俺は見なかったことにしてミアを長老の家の二階の一室へと連れて行った。今夜ミアが泊めてもらうことになっている部屋だ。ミアは部屋に入るともうなんか無理という感じですぐにベッドに突っ伏した。
(全くこれだから酔っ払いは……)
俺はそう思いつつフラフラと向かいの部屋のベッドへと向かった。
その後、村を後にした俺たちはその後もしばらくのあいだ盗賊退治を続けた。相手の盗賊が数人程度なら俺とミアの二人で、数十人以上なら傭兵も何人か雇って対処した。盗賊退治は全て成功に終わり、勇者の評判を高めるのに大いに役立った。今の王国で勇者の存在を知らない者は皆無と言っていいだろう。
さらに金もかなり儲かった。合計で数千万クローネは儲かっただろうか。これだから盗賊退治はやめられない。