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第3話 女神の使徒

(くそっ、あの商人、こっちの足元見やがって……)


 ある日の夜遅く、俺は心の中で悪態をつきながら家路へとついていた。疲労のせいか足が重い。今日は遺跡の再調査の仕事があったのだが、そのときに拾った短剣を後で質屋に売りに行ったら不当に安い買取価格を吹っかけられたのだ。他の店に行くのも面倒だったので渋々その値段で売ることにしたのだが、今になって無性に腹が立ってきた。


(俺はレザリア聖王国の元王子だぞ? ここがレザリアだったら今頃あいつは不敬罪で投獄されているところだ……)


 D級冒険者になってからというもの、なんとなく周りから下に見られることが多くなった。そしてそういう対応を受けるたびに俺の心はどんどん荒んでいく。実際、王子の頃は愚痴なんて言ったことがなかったが、今では毎日のように愚痴を言っている。


 沈んだ気持ちで夜道を歩いていると、ふと道の隅に一匹の猫が捨てられているのに気がついた。猫は「ミャオゥ……」と悲しそうな鳴き声を上げてこちらを見る。首輪が付いているところを見ると野良猫ではなく飼い猫だろう。なんとなくいたたまれなくなった俺はちょうど持っていたパンの欠片を猫にあげることにした。パンはカチコチに硬くなっていたが水筒から少し水を出して浸らせることで十分に柔らかくなった。


 柔らかくなったパンを猫にあげると猫はすぐにがつがつと食べ始めた。きっとお腹が減っていたのだろう。


(大変な目にあったなお前も……。だが俺がしてやれるのはこれぐらいしかない。捨てられたら後は自分でどうにかして生きるしかないんだ……)


 俺は心の中で自分に言い聞かせるように呟く。そう人生は何がわからないのだ。少し前までは王子として将来を嘱託されていた俺も今ではその日暮らしの底辺冒険者……。本当にどうしてこうなったのだろうと思う。


 俺は少しの間猫がパンを食べるのを眺めた。そして、自分が帰路の途中であることを思い出し、その場を去ろうとした。――その時だった。


「――ようやく見つけました。あなたがクライス・ディーヴァルトですね?」


 後ろからそう言う声が聞こえた。驚いて振り向くと、そこには白いローブに身を包んだ一人の女が立っていた。


「はじめまして。私の名はユリシエル。『女神の使徒』をしている者です」


 女はそう言ってにこっと笑う。いきなり女神の使徒と言われても何がなんだかわからないが、それ以上に俺は彼女が俺の本名を知っていることに驚いた。ディーヴァルト姓はレザリアを追放されてからというもの一度も使ったことがなかったからだ。


「……なぜ俺の名前を知っている?」


「それは私が女神の使徒だからです。女神さまがあなたの名前を教えてくれたのです。それと、この街にいるということも」


「それでその使徒さんとやらが俺に一体何の用だ?」


「端的に言いますと、あなたにお願いがあってここまで来たのです」


「お願い?」


「そうです。クライス・ディーヴァルトさん、あなたには――――この国の勇者として『ベルガルド魔王国』を打倒してもらいたいのです」


 ベルガルド魔王国、それはこの国、エステニア王国の隣にある魔族の国の名前だ。もともとはベルガリア大公国という名前だったが、数ヶ月前にその国を治める大公が魔王を名乗り国名をベルガルド魔王国と改めたのだ。さらにベルガルド魔王国はエステニア王国を含む複数の国に宣戦を布告し、現在エステニア王国はベルガルド魔王国と戦争状態にある。


「……勇者、だと?」


「そうです。まぁ詳しい話はここではなんですから、あなたの部屋でお話することにしませんか?」


 女はそう言った。俺は同意し、詳しい話は帰ってから俺の部屋で聞くことになった。


 その後、自分の部屋に着くと、彼女は女神が魔王国の存在を世界の平和を乱す脅威だと考えていること、そのため魔王国を打倒してくれる『勇者』を探すように女神からお告げがあったこと、そして俺にはその素質があることなどを語った。


(勇者、か……。この国には遥か昔に勇者が魔王を打ち倒したという伝説があると以前聞いたことはあったが、まさか俺が勇者とはな……)


 聖闘気を持たないという理由でレザリアを追放された俺に勇者の素質があるなんて皮肉もいいところだろう。俺はそんなことを思いながら彼女の話を聞いていた。


「……話はだいたいわかった。ただ、少しよくわからないところがいくつかある。質問させてもらってもいいか?」


「ええ、もちろんです」


「まず、その勇者ってのになると何か特別な力に目覚めて強くなったりするのか?」


「いいえ。基本的に何も変わりません。勇者専用の伝説の武器がいくつか使えるようになるぐらいです」


「……勇者になって魔王国を打倒できたとして何か報酬はもらえるのか?」


「いいえ。特に何もありません。世界の平和に貢献できたという名誉ぐらいでしょうか」


 彼女はにこにこしてこちらの質問に答える。しかし、俺はこの時点で話にならないと思った。「報酬は特にないけど勇者になって魔王国を打倒してくれ」なんて都合がよすぎるにもほどがある。俺は正義の味方ではないし、世界の平和にも興味はない。俺は今の生活を生きるだけで精一杯のただのD級冒険者なのだ。慈善事業をしている暇などない。


「……悪いが他を当たってくれ。とてもじゃないが俺にはできそうにはない」


 俺は肩をすくめて言った。


「それはせっかくの勇者になれるチャンスを捨てて、今までと同じように底辺冒険者を続けるということですか?」


「…………」


「勇者になって魔王討伐に成功すれば、それこそ救国の英雄間違いなしですからなんでも手に入ると思いますよ。土地、金、女、自由……思うがままです」


「…………」


「それに魔王打倒と言いましたが、別に勇者様が直接手を下さなくてもいいです。エステニアの王国騎士団の手によるものでも構いません。ただ、最低限でも魔王打倒のために行動してもらいたいのです。それならそこまで難しくないでしょう?」


「…………」


「はぁ、それでも気乗りしませんか? ……いいでしょう、こちらも出すものを出しましょう。ずばり、支度金として『十億クローネ』と国宝級の武器である『神剣ゼルフィウス』を用意します。 どうです? これでも勇者になりたくないですか?」


 ――俺はそれまで彼女の言葉は半ば聞き流していたが、十億という言葉を聞いて一気に彼女の話に引き戻された。十億クローネというのは信じられないほどの大金だ。毎日遊んで暮らしても余裕で一生過ごすことができるだろう。俺の今の一年間の稼ぎが百二十万クローネ程度ということを考えるとその大金ぶりがよくわかる。十億あれば今の惨めな生活には完全におさらばできる。それに国宝級の武器というのも興味深い。


(魔王打倒といってもお手伝い程度でもいいとか言っていたな。であれば、これは破格の条件ではないか?) 


「おい、さっき手伝い程度でもいいと言ったな。それは確かか? 十億もらえて神剣とかいうのももらえて、魔王打倒は本当に手伝い程度でもいいんだな?」


 俺は確認するように言った。


「はい、その通りです。ただ、魔王打倒のために行動するのは最低限の条件なのでそこだけは守ってください」


「……もし、守らなかったら?」


「そうですね。あなたの父上と兄上に、あなたは約束も守れない王子失格のカス人間で追放されて当然だったとでも言いましょうか?」


「――ッ!!」


(くそっ! こいつ、知ってやがる……!!)


 触れられたくない過去を持ち出され、俺は一瞬頭に血が上ったのを感じた。


(落ち着け、落ち着くんだ。挑発に乗ってはダメだ……。冷静に考えるんだ)


……状況を整理しよう。勇者になって十億と国宝級の剣をもらって魔王を打倒、あるいはその手伝いをするか、そもそも提案を断るか。勇者になればきっと面倒くさいことになるし、命を失うような危険すらあると思う。かといって、もし勇者の道を選ばなければ残るのは今までと同じD級冒険者としての底辺の生活だ……。クッ、どうする、俺はどうしたらいい……? 俺が逡巡していると、彼女は俺に止めの一撃となる言葉を放った。


「あまり言いたくないですけどね、もしあなたの父上や兄上が同じことを言われたら勇者になると即答していると思いますよ。民を思いやる王家の者として当然のこと!とかなんとか言ってね」


――そうか、そういうことか。俺はこのとき全てを理解した。俺は追放と底辺の冒険者生活を経て完全に卑屈になっていたのだ。現状を変える選択をまるでしようとしていなかった。ずっと逃げていた。だが、きっと今がそのときなのだ。そして、父上や兄上なら当然のように勇者になるというのであれば――俺だってそうするべきなのだ。……自分の人間としての器が父上や兄上になんら負けていないということを示すために!! 勇者となって魔王を倒して成り上がって、自分たちが追放した人間がどれほどの傑物であったかを見せつけてやるんだ!! いつか、必ず!! 


「いいだろう。その勇者とやらになってやる。……いや、ぜひ勇者にしてくれ。魔王も必ず倒すと約束する。」


「……それはよかったです。これで断られたらどうしようかと思いましたよ。さすが元王子様、懸命な判断です」


 彼女は笑みを浮かべながら言った。


「ではさっそく勇者の儀式を始めましょう。目をつぶってください」


 俺は言われたとおりに目をつぶる。すると彼女は俺の手を握り、何やら呪文を唱え始めた。しかし特に変わったことは起こらなかった。


「……はい、これで完了です。おめでとうございます、あなたは勇者になりました」


 彼女はそう言ったがはっきり言って実感は全くなかった。力が湧いてくるとか未知の能力に目覚めるとかそういうものは全くなかった。


「さて、私のやるべきことは全て終わったのでは今日はこれで失礼したいと思います。十億と神剣についてはあとでまた連絡しますね」


 彼女はそう言って部屋を出ていこうとする。俺も特にこれ以上聞くこともなかったのでその後ろ姿を見送る。


「あ、最後に一つだけ言っておくことがあります」


 彼女は振り返って俺を見た。


「……もう、後戻りはできませんよ? 勇者様」


 彼女は怪しげな笑みを浮かべて、部屋から出ていった。無論、俺だって引き返すつもりはない。勇者になって成り上がって父上と兄上を見返してやるまでは――


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