第1話 追放という名の悪夢
その日、俺は人生で最大の試練を迎えていた。
「……クライスよ、まさか本当に聖闘気《ホーリー・フォース》が使えないというのか!?」
玉座に座る父上――レザリア聖王国、第七十五代聖王レイモンド・ディーヴァルト――は信じられないという顔で俺を見た。俺はそれに対して力なく頷くしかなかった。……何度も何度も、試したのだ。しかし、今手にしている『聖剣』は俺に対して何も反応してくれなかった。普通であれば聖王家の血筋の者が聖剣を使えば、聖剣の力と自身の力が共鳴し聖闘気《ホーリー・フォース》を発現する。他の兄弟姉妹のときは例外なくそうだった。
――だから、俺も同じようにできると当然のように考えていた。なぜなら、俺は現聖王の実の息子であり、この国の第七王子なのだから。
「私にも信じられないですが、これだけ試しても発現しないということはきっとそういうことなのでしょう。まさか王家の直系の血筋の者で非発現者が出るとは……」
王の傍らに控えていた兄上――ジュリアス・ディーヴァルト――がそう言った。ジュリアス兄上は、このレザリア聖王国の第一王子でレザリア聖騎士団団長でもある男だ。文武に優れ、父上からの信頼も厚く、国民にもずば抜けて人気がある。王子たちの中でただ一人父上の最側近を務めているのもジュリアス兄上だけだ。
「なんということだ……。これは……問題だぞ……」
父上はそう言って目を瞑り、手を額に当てる。ジュリアス兄上は今まで見たこともないような厳しい視線で俺のことを見ている。俺はその場から逃げ出したい気持ちで一杯だった。
「聖闘気が発現しない以上、一週間後の聖剣授与式は中止するしかないな……。クライス、今日はもういい、下がってくれ」
「……わかりました」
俺はそう言って一礼し、聖剣をジュリアス兄上に預けて謁見の間を後にした。自分でも何が起こったのかわからなかった。ただ一つ言えるのはこれ以上の悪夢は今までに経験したことがないということ。その日、俺は現聖王家の王位継承権を持つ者のなかで唯一の聖闘気の非発現者となったのだった。
俺が聖闘気の非発現者であることは王家内にはすぐに広がったが、王家内のみの機密事項という扱いになり外部の人間に話すことは禁じられた。それから俺を取り巻く人間関係はまたたく間に変わっていった。今まで仲がよかった兄弟姉妹や専属のメイドでさえもが俺に対してぎこちなく接するようになった。聖闘気の話は完全にタブーになったのか誰も決して触れようとしなかった。俺はその変化にただ驚くしかなかった。昨日まで冗談を言い合って仲良くしていた友達が、今日からいきなり他人のように距離をおいて接してくる――そんな感じだった。
それからおよそ二週間程度が経ち、俺はまた父上に呼び出された。十中八九、聖闘気のことについてだろう。俺は「聖闘気を持たない者は王位継承権を失う」ということは既に知っていた。だから、俺は王位継承権を失うのだろうという予想はしていた。それならそれでも構わない。俺は王位にはたいして興味がないし、そもそも俺よりも王位にふさわしい人間はいくらでもいる。例えばそれこそ第一王子のジュリアス兄上は俺よりも何万倍もできた人間だし、次の聖王に相応しいのは彼の方だろう。
(王位継承権がなくても王家の人間であることは変わらない。この件は多分俺の王位継承権の剥奪ということで全て丸く収まるだろう)
俺はそんな風に考えながら、謁見の前へと足を踏み入れた。前回同様、玉座には父上が座っていて、傍らにはジュリアス兄上の姿があった。それ以外には誰もいない。俺は王の前まで進み、膝をつく。
「……よくきた、クライスよ。実はとても大事な話があってな。これはお前の将来に関わる話だ。心して聞いて欲しい」
父上は真剣な顔をして言った。……やはり、俺の王位継承権がなくなるということだろう。俺はそう考えたが、次に聞こえてきた言葉は予想を遥かに超えたものだった。
「レザリア聖王国第七王子クライス・ディーヴァルトよ、本日を持ってお主の王室籍を剥奪するものとする。これからは王子ではなく、平民として旧姓であるルーンフィールドを名乗るように。また、王家に籍がない以上、これ以上王宮に住むことは認めない。荷物をまとめ早急に王宮を出ていくように」
――それは王位継承権の剥奪という生易しいものではなく、王家それ自体からの追放宣言だった。俺は完全に頭が真っ白になったが、それでもなんとか思考をまとめて声を振り絞った。
「……な、なぜです? なぜ、王室籍の剥奪なのです……ッ?」
すると、父の代わりにジュリアス兄上が口を開いた。
「聖闘気を持たないものが現王室にいるというのは大問題なのだ。王室の権威の低下につながるのはもちろんのこと、外部の悪意ある人間がお前の出生について色々あらぬことを言う可能性もある。……例えば、お前が現聖王の実の息子ではないとかな。そうなれば、現聖王やひいては王家の名誉にも傷がつくことだろう」
ジュリアス兄上は淡々と言った。
「し、しかし……」
「クライスよ、私はお主が我が息子だと信じている。今は亡きお主の母親、ジョゼフィーヌのことも心の底から愛していた。だが、現実問題として聖闘気のない者を王家に置いておくのは難しいのだ。わかってくれ……」
父は悲しい顔をして懇願するように言った。……俺は二人の言葉を理解しつつも受け入れることは全くできなかった。俺が王子でなくなり普通の平民になる……? 平民になったとしてそのあとはどうなる……? 絶望というのは多分こういう気持ちのことを指すのだろう。
俺が言葉に詰まり、肩を震わせていると父はそれを見かねたのか、ジュリアス兄上に声をかける。するとジュリアス兄上が俺のそばに近寄ってきた。
「クライス、兄としてこういう結果になったのはとても残念に思う。だが、聖闘気あってこそのレザリア聖王家、レザリア聖王国なのだ。厳しいようだが、聖闘気が使えないお前には王家にいる資格はない。わかってくれ」
ジュリアス兄上は俺にそう声をかける。俺は何も答えられず、顔を上げることもできなかった。
「今後のことについては全力で力になる。さ、立てるか?」
その後、俺はジュリアス兄上によって半ば引きずられるようにして謁見の間から自分の部屋まで連れられて行った。俺はその間、ずっと泣いていた。とても惨めな姿だった。
それからしばらくして、俺は正式に王宮を出ていくことになった。俺には今後住む場所として王都から遠く離れた小さな街にある一軒家と、当座の生活資金が与えられた。王宮で何不自由ない生活をしていた俺にとっては想像もつかない待遇だった。誰一人として見知った者のいない、遠い街にいきなり一人で放り出される……。まさか自分がそんな経験をするとは全く思いもしなかった。
――そして遂に、俺は王宮を出ていく日を迎えた。俺は確かに王家を追放になった身だが、それでも少し前までは王子であった人間だ。兄弟姉妹の中には仲がよかったやつもいるし、さすがに今日ぐらいは見送りに来てくれるだろう。俺はそう考えていた。
しかし、見送りに来た王家の人間は誰もいなかった。……俺は、なぜ人はそこまで変わるのだろうと思った。去年、俺が誕生日を迎えた時には父上はもちろん、普段は厳しいジュリアス兄上でさえ俺のことを祝ってくれた。けれど、今、一番声をかけて欲しいときに俺の『家族』はどこにもいない。
そう考えていると、目の前に止まっている馬車の御者がそろそろ出発すると言って声をかけてきた。同時に、ぽつぽつと空から雨が降ってくる。まるで俺にさっさと王宮を去れと言わんばかりだった。俺は全てを捨てるように馬車へと乗り込んだ。
その後、俺は地方の小さな街で生活をすることになった。家はあるし、当座の生活資金もあったので少し仕事をすれば問題なく生きていけた。しかし、気分は全く晴れなかった。自分が自身を追放した王家が治める王国で、王家の援助のもと暮らしていると思うととても嫌な気分になったのだ。俺はどこか別の場所でゼロからのスタートを始めたいと思い始めた。そんな時に、ふと頭をよぎったのが大陸にあるエステニア王国の存在だった。
(……エステニア王国に渡り、そこで何か始めてみるのも悪くない。もう、俺には失うべきものは何もないのだから……)
そう思った時、俺はすぐさま行動を開始した。現在住んでいる家を売り払い、持てるものは持ってエステニア行きの船に乗ったのだ。もうレザリアに戻ることはないだろう。俺は遠ざかっていくレザリアの地を見ながらそう思った。