生き残りの少女は、不器用な竜に愛される【中編】
「ごほっ、ごほっ」
その日もわたしは、咳き込んでいた。
段々と酷くなってきている。
『フェリ、森から出て人の里に下りろ』
「嫌。だって人嫌いだし、これ治る病気じゃないもの」
心配してくれるイチの気持ちは嬉しいけれど、わたしは人が嫌いだ。
人里に下りて嫌な思いをするくらいなら、イチとずっと森で暮らしたい。
今日は天気がよくて、絶好のお昼寝日よりだった。
ごろんと草原に横になり、竜姿のイチを見上げる。
「イチも人、嫌いでしょ?」
『嫌いじゃない』
当然のように尋ねれば、意外な言葉が返ってきた。
『俺は、人が嫌いなわけじゃない。自分が……竜が嫌いなんだ』
大きな目でわたしを見て、イチは言う。
『竜は残酷で、酷い生き物だからな』
「イチは優しくて、格好いいよ?」
言っていることがわからない。
なんとなく起き上がって、イチの背中によじ登る。
『それは俺が、お前の前でそうあろうと努力してるからだ』
「そうなの?」
『……そうだ。わかったなら、離れろ』
イチは身をよじって、上に乗っていた私を振り落とした。
めげずに体によじ登ろうとすれば、人型になってしまう。
「竜が嫌いなら、人の姿でいればいいのに」
「そういう問題じゃない。この姿だろうと、俺は……」
イチが苦しそうな表情をする。
私の方をじっと見つめていたけれど、やがて背を向けてしまった。
「どうして竜が残酷なの? イチはこんなに優しいのに」
「しつこい」
「でも、聞かないとわからない」
歩き出したイチに絡む。
このまま答えてくれないのかなと思ったら、イチが立ち止まって私の方を向いた。
「聞いたら、お前は俺を嫌いになる」
「ならないよ」
「いや、なる。だから俺は、言いたくない」
イチは頑固だった。
そんなこと、あるはずがないのに。
「教えて。絶対に、嫌いになんてならない」
ずっと気になっていることがあった。
イチは、わたしに対して、どこか距離がある。
きっとそれが、関係あるんじゃないかって思っていた。
「裏切り者の勇者の話は知ってるか?」
「うん、もちろん。そのせいで、わたし達は人間に追われてるもの」
その勇者が裏切って魔王についたから、わたし達は酷い目にあっている。
多くの同胞が殺されて、お父さんもお母さんも死んでしまったのだ。
「その勇者と、魔王の子供が……俺だ」
「えっ?」
イチの言っていることが、理解できなかった。
首を傾げれば、もう一度同じことを言ってくれる。
「魔王は魔族じゃなくて、本当は竜だったんだ。勇者を手ごめにして、俺を生ませた」
「手ごめ?」
「言葉の意味がわからないなら、知らなくていい。そのままでいろ。とにかく、俺はお前の憎い相手だってことだ」
イチは、今にも泣きそうに見えた。
無表情のようだけれど、わたしにはなんとなくわかる。
「母さんと同じ髪と目をしていたから、助けた。少しは父さんのしたことの、罪滅ぼしになるかと思った」
だから俺は優しい奴じゃない。
イチは自分を傷つけるように、吐き捨てる。
魔王と勇者ができていたなんて、知らなかった。
だから、人間を裏切ったのかと納得もした。
「魔王って、女の人だったの?」
「逆だ。勇者が女だった。手ごめの意味、やっぱりわかってないな」
聞かせるんじゃなかったというように、イチは溜息を吐く。
「魔王……つまり俺の父は、勇者だった母を手に入れるため、仲間だった魔族も人間の国も消したんだ。逆らうものは全て消して、勇者を自分のものにした。最低だろう?」
「そうかもしれないけど、イチは関係ないよね?」
「……関係ある。俺にはあいつの血が、流れてるから」
イチは自分の父親である魔王が嫌いらしい。
その声には、憎しみが宿っていた。
「あいつはいつも、母さんを……泣かせるんだ。俺はあいつと同じになりたくない」
「なら、ならなければいいよ。イチなら大丈夫」
「大丈夫じゃないから……言ってる」
イチは辛そうに息を吐いた。
喉元にある、桃色の鱗に触れながら。
竜の姿から人型になっても、なぜか喉の下にあるその鱗だけは消えない。
出会ったときは水色だった鱗は、今は変化して桃色になっていた。
「竜は、好きになった相手に酷いことをする生き物だ。手に入れたいと思ったら、相手に関わる全てを自分のものにしたくなる。縛って、逃げられないようにしようとする。俺はそんなふうに、なりたくなかった。だから、好きなものなんて、いらなかったんだ」
それは、全部過去形だった。
珍しくたくさん喋ったイチの視線は、私に向けられている。
「俺はお前に、酷いことをしたくない。なのに、酷いことをしようとしてる」
イチの手が、わたしの頬に触れてくる。
声には懺悔のような響きがあった。
どうしてだろう、すごくドキドキする。
心臓が壊れてしまったみたいだった。
「イチなら、酷いことされてもいいよ? イチのこと大好きだし」
イチの手に、自分の手を重ねる。
酷いことをされたって、それがイチからのものなら、平気だった。
心からそういったのに、イチはわたしを睨んで盛大に息を吐く。
「……絶対、お前は自分の言っていることをわかっていない」
わたしにくるりと背を向けると、イチはそのまま竜に変身して、逃げるように去ってしまった。