生き残りの少女は、不器用な竜に愛される【前編】
「イチ! お散歩行きたい!」
『ひとりで行け』
今日もイチはそっけない。
そこがとても格好いいのだけれど。
ここはとある国の、とある森の中。
国の名前まで、わたしは知らない。
興味がない。
大きな紺色の鱗をつかんで、イチの背中によじ登る。
イチは巨大な竜だから、登るのは大変だけれど、この大きな背中が大好きだった。
羽の間にうずまれば、イチが深く息を吐いたのがわかった。
イチは竜だ。
強くて、とっても格好いい。
わたしが殺されそうになっているとき、イチが助けてくれた。
それ以来、わたしはずっとイチと一緒だ。
十歳のときからだから、もう六年くらいになる。
『……少しだけだぞ』
そう言って、イチが羽ばたく。
風が巻き上がって、風が髪をふわりとさらっていくのが、とても心地いい。
『今日は何を食べる』
「まだ夕食の時間じゃないよ?」
『お前はいっぱい食べる。この先にリリックの実がたくさんなっているのを見つけたから、行くぞ』
リリックの実は、わたしがすきな甘酸っぱい実だ。
イチはそっけないふりをして、優しい。
ぎゅっと、その首にしがみついた。
◆◇◆
「ごほっ、ごほっ……このリリックの実美味しそう!」
木によじ登って、リリックの実を取る。
少し動きすぎたせいか咳が出たけれど、気にせずにたっぷりとリリックの実を取って、腰にさげた鞄に詰め込む。
これでしばらくはオヤツに困らない。
『また咳か? 酷くなってるな』
「いつものことだよ。大丈夫」
明るくイチに答えて、口元をぬぐう。
手のひらを見れば、キラキラとした小さな結晶がついていた。
それをはたいてから、リリックの実をむいて食べる。
イチは木の枝についたリリックの実を、そのままかじっている。
首を伸ばして、舌で絡め取ってはかみ砕く。
その様子を、じっと見つめる。
『なんだ』
「イチ、リリックの実食べづらくない? 皮堅いし、手でむいたほうが楽だよ?」
リリックの実は、堅い皮に覆われている。
石にぶつけて割って、そこから中身を取り出して食べるのが普通だった。
『これでいい』
イチは竜だけど、人の姿にもなれる。
イチが人の姿をしていたのは、わたしの世話をするときだけだった。
わたしがなんでも自分でできるようになって、買い物のやり方を覚えてからは、全く人型になろうとしない。
鳥たちがイチの体にとまる。
竜は鱗に覆われた体に、大きな牙。
翼があって、その尻尾を一降りするだけで、木をなぎ倒せるくらいの力がある。
人間達には恐れられていたけれど、動物達はイチが優しいことを知っていた。
しばらく、鶏肉食べてないなぁ。
そんなことを、鳥を見ながら思う。
リリックの実を食べていたのに、ぐーっとお腹が鳴った。
『……動物を食うなら、俺の見えないところでやれ』
「うん、わかってるよ」
イチは、動物が大好きだ。
だから動物達を食べたりしない。
木の実ばかり食べていて、その大きな体が持つのかなと、いつも心配なのだけれど、問題はないらしい。
わたしはイチが好きだから、イチの嫌がることはしない。
にこにこと笑いながら、イチにくっつく。
「イチ、大好き」
『お前はいつも、脈絡がない』
不機嫌な声で、イチが言う。
どこから聞こえているのか、よくわからない低い声。
わたし以外には聞こえないようだから、直接頭に響いているのかもしれない。
好きだと思ったときには、好きと伝える。
わたしはそう決めていた。
だって、いつ死ぬかわからないから。
日が沈めば、イチがわたしを背中に乗せてくれる。
寝床へある洞窟に辿り着くと、イチが体を丸めて、わたしはそこに寄りかかる。
イチの尻尾は少し冷たくて、よい枕代わりになるから好きだった。
◆◇◆
目の前で、ぱちぱちと炎がはぜていた。
お父さんもお母さんも、皆血を流して倒れた。
逃げ込んだ森の中、走る。
「追え、たとえ子供だろうと、一人たりとも逃がすな!」
怖い、怖い。
捕まるのが嫌で、逃げる。
わたしは普通の人よりも、身体能力に優れている。
素晴らしい足の速さと嗅覚。
その能力はわたしを助けてくれるのと同時に、追い詰められている原因でもあった。
もう、体力の限界だった。
足の裏が痛くて、木の根に躓いてこけてしまう。
「手間をかけさせやがって。勇者の末裔が」
にやにやと笑って、男がわたしの手を上へと持ち上げる。
簡単に囚われたわたしは、まるでこれから羽をむしりとられる鶏みたいだった。
「さてさて。お嬢ちゃんの中からは、どんな宝具が見つかるかな?」
男は楽しそうに言う。
勇者の末裔は、赤い瞳に赤い髪。
わたしの体の中には、宝具といわれる『人体を強化』するアイテムが埋まっているらしい。
宝具は親から子へ受け継がれる。
その結果、魔力が異常に強かったり、身体能力が高い子が生まれるのだ。
この世界は遠い昔に魔王がいた。
魔族と呼ばれる一族が、世界を支配していて、人間は怯えて暮らしていた。
勇者は、そんな魔族の王である魔王を倒すため、人為的に作られた人間だ。
今はない宝具を作り出す技術を使い、たくさんの勇者が生まれた。
けれど、どの勇者も魔王には勝てなかった。
それどころか最強の宝具を持った勇者が魔王の元へと寝返り、結果国が1つ滅んだ。
魔族はいなくなり、魔王と裏切り者の勇者もどこかへ消えた。
世界は一応、平和になった。
たくさんの人達の犠牲と、引き替えに。
生き残ってしまった勇者達は、多くの人から責められることになった。
お前達が魔王を倒せなかったから、こんなことになったのだと。
勇者の子孫は、人として扱われない。
罪人であり、宝具を持つ宝箱のような存在だ。
宝具があれば、自身の力を強化できる。
それもあって、勇者の末裔達は体の中の宝具を狙われ、狩られ続けていた。
逃げて逃げて。
ずっと、逃げ続けて、お父さんもお母さんもいなくなった。
何も悪いことなんてしてないのに。
どうしてこんなふうに、怖い思いをしなくちゃいけないの?
「身体強化系なのは、間違いないよな。くくっ、お頭に内緒で俺のにしようかな」
男はナイフを首に当ててくる。
いやだ、死にたくない。
怖い、助けて。
「う、あ……」
叫んでいるのに、声が出ない。
体が動かなくて、涙が出てくる。
「フェリ! おい、フェリ!」
「あ……イチ?」
名前を呼ばれて、目を開ける。
人型のイチが、私をのぞき込んでいた。
どうやら、夢を見ていたらしい。
イチの髪は、黒に紺を一滴垂らしたような色。
竜のときの鱗の色に似ている。
たぶん、二十歳くらいだろうか。
その頭には羊のようなクルクルとした角があり、背中には竜の羽がある。
抱き寄せられれば、温かい。
がっしりした体つきが、わたしと違うなと思う。
イチとくっついていると、落ち着く。
怖かったのが、全部溶けて消えるみたいだ。
「大丈夫だ。俺がいる」
鼓膜を揺さぶる、低くて優しい声。
ぎゅっとその服にしがみついて、わたしはまた目を閉じた。
もう、怖い夢は見なかった。