■第66話 ”h ”
『ェ、エッチが多いのよっ?! ・・・ねぇ、分かってるのっ??』
真っ赤っ赤に頬を染めたミコトが、急に大きく声を張る。
キスの余韻が漂いまくるその空気が恥ずかしくて、顔から火どころか
火柱でも上がりそうで、もうどうしようもなくて、ミコトは必死に話題
を逸らそうとした。
(エ、 ・・・エエエエエ、エッチって・・・。)
『ぃや、あの・・・
・・・今、 チュゥした、 ばっかで・・・
・・・ま、まだ・・・。』
シドロモドロになって口ごもる、負けず劣らず見紛う事無く真っ赤っ赤な
イツキを目の前に、ミコトは更に頬を染め半ば怒ったように口を尖らす。
『ち、ちがっ・・・ なにゆってんのよっ?!
ペンネームのことっ!!
・・・そ、そもそも、
ァ、アンタが・・・ 簡単な英単語なんか間違うから・・・。』
イツキの覚え間違いで事態をややこしくさせた ”three ”という
ペンネーム。
”樹 ”を英語表記する場合 ”tree ”と書くのに、イツキは何故か
”h ”を足して覚えてしまっていた、それ。
『あぁ・・・ ん。 悪りぃ悪りぃ・・・。』 既に指摘されて、一度
怒られているその件を再度蒸し返され、ペコリ首を前に出して謝る。
謝りながらも、必死にアタフタと照れ隠しをするミコトがなんだか滑稽で
チラリその様子を盗み見て思わず笑ってしまう。
『ってゆーか・・・
・・・ ”まだ ”ってナニよ、 まったく・・・。』
自分で振った話題で更にドツボにはまり、赤面がとめどないミコト。
すると、それに加えて追い打ちを掛けるように、考えなしなひと言が
イツキの口から出た。 本来は心の中に留めておくべきそれは、アホな
イツキからは壊れた蛇口から吹き出すようにダダ漏れで。
『今は、ほら・・・ チュゥだけ、だけど、さ・・・
・・・まぁ。 その・・・ ゆくゆくは、的な・・・?』
『ド、ドサクサに紛れてナニゆってんのよっ?!』 恥ずかしくて仕方
なくてミコトは不機嫌そうに眉根をひそめる。
不満気に突き出したその唇。
上唇より少しだけ厚みをもったぷっくりやわらかい下唇を突き出し、
きゅっとつぐまれた口端は照れくさくて仕方なさそうに引き攣っている。
それを見ていたらもう一度触れたくて、もう一度きちんとそのやわらかさ
を確かめたくて仕方がない衝動にかられた。
思わずイツキはいまだ向かい合って立つミコトの肩にそっと手を置き、
少し身を乗り出して、怒られるのを重々覚悟してドサにもクサにも紛れ
まくってみる。
『ちょっ!!!』 ”その気配 ”に、首を引っ込めるように肩をすくめ
ミコトは身をよじらせ抗う。 自分からした先程のキスだって、だいぶ
長いこと悩んで悩んで、一生分の勇気を使い果たす勢いでやっと出来たと
いうのに。
『来年の誕生日の分・・・ 前借り、でっ!!!』
必死にキスをせがむイツキにミコトはムキになって抵抗する。
『バババ、バカじゃないのっ?!』
必死に抵抗しながらも、じゃれ合いのようなこの遣り取りがなんだか
可笑しくなってしまって、途中からケラケラと声を上げ笑い合い、
しまいには大笑いして、笑い疲れてふたりで階段の段差に座り込んだ。
『今のやり取りもいいな。 小説に使えるかも。
・・・マル秘ノートにメモっとこうかな・・・。』
ニヤっと笑いながらやさしい視線を向けるイツキ。
『アタシの分のなんらかの権利も発生するからねっ!』 ミコトが顎を
上げ小憎らしい顔でジロリと横目で睨む。
『そん時は、ほら。 作家夫人かもしんねーじゃん??』
なにも考えず軽く言ってしまって、自分の言葉の意味を考えイツキは俯く。
やっと治まったはずのジリジリとした熱が、再燃して耳を染め上げてゆく。
『だっ・・・だから、
早まり過ぎだって言ってんのっ!!!
アタシ達、まだ キ・・・・・・・・。』
『あぁ、ぅん・・・ オレ達。 まだ。
キ ス し か し て な い ん だ っ た。
イロイロモロモロは、 こ れ か ら、 こ れ か らっ!!』
ミコトを遮ってわざと辱めるように滑舌よくそれを言い切るイツキ。
『もぉ・・・ バカなんじゃない・・・?』 下げた顔に連動してサラリ
垂れた髪の毛で隠す、恥ずかしくて仕方ない困った表情になっている顔を
ミコトは必死に見られまいとする。
照れくさくて、
恥ずかしくて、
歯がゆくて、
でも、その何億倍も愛おしい。
頭の先から足の先、自分の全部から、イツキへの想いが溢れ出てしまう
気がした。 イツキもまた、寄り添い隣に座るミコトのやわらかい甘い
香りに目を閉じて深く深く呼吸をすると、ミコトへの想いを抑え切れず
眉尻を下げ困り顔で情けなく微笑む。
そして、
どちらからともなく顔を上げ淡い視線が重なると、互いにそっと目を閉
じて眩暈がする程やさしいぬくもりに酔いしれた。
二度目の唇のほのかな温度は、一度目のとき以上に恋するふたりの胸を
ドキドキさせ苦しめた。




