■第51話 脳内会議
鉛の玉でも足首にはめられ引き摺っているかの様に、イツキは重く鈍い足取り
で自宅へ帰った。
玄関ドアが開閉した音に、エプロン姿の母親がキッチンからひょっこり顔を
出し『おかえり~。』 声を掛けるも、ガックリうな垂れた一人息子はそれに
一瞥もせず真っ直ぐ2階の自室へ向け階段を上がってゆく。
なんだか元気がないように見えるその背中に、母は気遣って声を掛けた。
『ミルクティ冷えてるわよ~・・・。』
するとそのひと言に咄嗟に動揺して階段の段差を踏み外し、イツキが大きな
音を立て脛やら膝やら打ち付けつつ勢いよく階下へ転がり堕ちた。
( ”ミルクティ好きだった ”とか、
あのノートに・・・ 書いた、よな・・・ オレ・・・。)
『ちょっとダイジョーブ??』 慌てて駆け寄りイツキの腕を掴んで引っ張り
起こそうとする母親を手の平で遮り、思い切り大きな大きな溜息をひとつ。
まるで魂まで抜け出たのではないかというくらいの埴輪顔に母親は首を傾げた。
階段の段差で打った脛や膝がジンジン熱をもっているように痛むが、それすら
かすむ程に ”マル秘ノート ”がグルグル グルグル頭を巡る。
回転スピードで言えば、もう眩暈を起こしそうなくらい。 脳震盪でも起こし
たかと救急病院にでも駆け付けたいくらい。 CTあたり連写したいくらい。
『ど、どうする・・・? オレ・・・。』
イツキは呆然と自室の真ん中で立ち尽くし、相変わらずの埴輪顔のまま浅く
呼吸を繰り返す。 なにがベストなのか、どうするのが正解なのかテンパり
まくって全く役に立ちそうにない頭で必死に脳内会議する。
情熱的なイツキは言う。
≪この際、いい機会だから作者がオレだって言っちゃえば~ぁ?≫
すると、ヘタレなイツキが大慌てでどもりながら。
≪そそそそんなのムリに決まってんじゃんっ!!
ドン引きされて、ガッカリされて、小説まで嫌われるかも・・・。≫
脳天気なイツキは、呆気らかんと。
≪ノートなんか気付いてないフリして、このままで良くねぇ~?≫
ガヤガヤと頭の中を騒がしく混乱させるその声たちに、冷静なイツキは言った。
≪サエジマのことだから、
きっと原稿の感想と一緒にさり気なく返して来るんじゃないか?
・・・って、事は。 今、オレがしなきゃいけない事は・・・。≫
すると、イツキは呆けた埴輪顔からまるで頭から冷水を被ったようなスッキリ
した面持ちに様変わりさせ、握り拳を突き上げた。
『天才作者さまに・・・
・・・オレは・・・ なるっ!!!』
麦わら帽子でも被る勢いでそう宣言し、学ランを脱ぎ捨てベッドに放るとバフっ
と音を立ててそれはくたびれた枕の上に広がる。 中に着込んでいた赤色Tシャ
ツには袖など無いくせに、腕まくりをするテイで腕を手首から上へとさすると、
大きくガッツポーズをして気合の雄叫びを上げた。
『書くぞぉぉぉぉおおおおおおおおおおおっ!!!』
その瞬間ドアを軽くノックして部屋に入って来た母親とバッチリ目が合った。
弓なりに腰を反り返し、天井に向けて『お』の発音をしている途中のそれ。
互い、見られてはいけないものを見られ、見てはいけないものを見てしまった
顔を向け合い、まるでなにも無かったかのようにさり気なさを装う。
『ミ、ミルクティ・・・。』 わざわざ部屋までそれを持って来てくれた母。
イツキはゆっくりゆっくり腹筋を使って反った背骨を戻しつつ『ぁ、あぁ。』
ペコリと首を前に出して礼のポーズを取った。
パタンと自室ドアを閉めて母親の姿が無くなった途端、イツキは恥ずかしげに
その場に頭を抱えてしゃがみ込んだ。
(ハズい・・・ ハズ過ぎるじゃねーか・・・
ま、まぁいい・・・ とにかく、オレは書かねば・・・。)




