■第50話 日記というか、むしろ
ミコトはイツキにひと言も声を掛けられないまま、机に突っ伏したままの
学ランの気怠い背中に視線を投げつつ学校を後にしていた。
互いなにか言いたげなのは気付いていながら、なにも発する事が出来ない
ままもどかしい一日が終わろうとしていた。
ミコトは後ろ髪を引かれつつ自宅に帰り、そしてすぐさま自室にこもった。
机の上に置いたカバンを、少し離れたベッドに腰掛けてチラチラ横目で見る。
そのノートが気になって仕方ないけれど、読んでいいのか否か。 なんだか
迷ってしまって中々それをカバンから取り出せずにいた。
きっとこれはイツキのネタ張の様なものなのだろう。
登場人物の相関図や、細かな設定。 野次馬たちが半分バカにした様に読み
上げていた感じでいうと、物語のフレーズやシチュエーションが記されている
と思われた。
純粋に物語を愛する読者としては、先の展開が見えてしまっては楽しみが
半減してしまう。 しかしその反面、愛読者として知りたくない訳はない。
まだ迷って判断を決め兼ねている指先で取り敢えずカバンの中からは取出す。
ミコトは制服から部屋着に着替えるのも忘れてそのままベッドに腰掛け、
ノートを膝の上に置いたまま、じっとその表紙だけ見つめていた。
”マル秘 ”
そのタイトルをぼんやり見つめる。
『ほんとにマル秘なら、
フツー、こんな目立つように ”マル秘 ”って書くかねぇ・・・。』
アホ過ぎるイツキに呆れて笑ってしまう。
背中を丸め、太マジックペンで表紙に丁寧に書きこむ猫背をそっと想像して。
そして、イツキらしいそれに愛しくて微笑んでしまう。
『ちょ・・・っとだけ、なら。 見てもいいかな・・・?』
暫く悩んでノートの端を摘んだままの指先をモジモジと歯がゆく留まらせ、
意を決してミコトは表紙をめくってみた。
そこには思った通りの ”サクラ咲く アカル散る ”の事細かな設定が記され
ている。 愛読者であるミコトでも読み取り切れなかった裏設定や、物語には
出てこない登場人物の細かな背景、そしてサイドエピソードが綴られている。
ミコトは時間も忘れてそれを読み耽った。
目をキラキラさせて、大好きな物語のそれに胸をときめかせゆっくりゆっくり
丁寧にページをめくってゆく。 自分でも気付かぬうちに頬は緩んでやさしく
微笑んで。
しかし、途中からなにか様子が変わって来たことに気が付いた。
”サクラ咲く アカル散る ”の設定とは別物になっている気がしてならない。
登場人物の名前の表記が極端に減り、代わりに物語の中の誰を指すのか不明な
”アイツ ”という曖昧なそれがどんどん増えそればかり目に付く。
それは、例えて言うなら日記のような、
否。 日記というか、むしろ・・・
”アイツが今日も図書室へ行った。”
”アイツはミルクティが好きだと言った。”
”アイツが2階の窓から落ちやしないかハラハラした。”
”アイツがめちゃめちゃ笑った。”
”アイツがめちゃくちゃ怒った。”
”アイツが今日・・・”
”アイツが・・・ アイツが・・・ アイツが・・・”
そこには、”アイツ ”と記されたただひとりの事が溢れる程に書かれていた。
まるで、決して名前を表記できない、渡す事の出来ない、ラブレターのようで。
えんぴつで人知れず綴った、ラブレターのようで。
開いたノートのとあるページで、ミコトは手を止める。
その瞬間、そのページにまるで夕立のように、次々と雫がこぼれ跡をつける。
ミコトはノートをぎゅっと胸に抱いて、肩を震わせた。
肩を震わせ、声を殺して泣いた。
『もう・・・ ナンなのよ・・・。』
ミコトの涙が沁み込んだそのページ。
そこには、イツキの言葉に出来ない切ない想いが、やわらかいえんぴつの
鉛色で記されていた。
”あいたいときは、なんて言ったらいいんだろ。”




