■第41話 イツキの誕生日
ミコトは、瞬きも忘れてそれを見ていた。
その瞬間、急激に涙が込み上げる。
鼻の奥がツンとして痛いほどで、ほんの少し顔をしかめた。
四つ葉を見つめながら、これを買いに行ったイツキを想像していた。
こんな気怠い猫背の学ランが、女子向けの可愛らしいお店に恥ずかしそう
に足を踏み入れる場面を想う。 ギャルのような店員だったらなにか質問
するのでさえ一苦労だったろう。
テンパってイッパイイッパイになり、汗だくの真っ赤な顔をしているイツキ
を想う。 これを手に取った瞬間のイツキの満足気な顔を想う。 会計を済
ませ包みを受け取った時のイツキの意気揚々とした背中を想う。
そして、今日一日これを忍ばせていたくせに自分からは渡せず仕舞いだった
イツキの気持ちを想った。
(バカなんだから・・・。)
瞬きをしたら涙がこぼれてしまう。
ミコトは必死にそうならない様、目を開け続けて堪えた。
もしそれを見られてしまったら、ミコトの ”気持ち ”に気付くだろうか。
いや、イツキは困惑するに違いない。 慌てて困り果てるに決まっている。
鈍感なイツキはミコトの涙の理由など気付けるはずもないのだから。
そう考えて、ミコトは心の中で驚いていた。
”気持ち ”
ミコトの気持ち。
本当の気持ち。
隠している気持ち。
(アタシ・・・ カノウのこと、好きなんだ・・・。)
ハッキリと心に刻まれた、その想い。
ミコトは自分で自分に驚いて、そして動揺した。
ジリジリと顔も耳も熱くなってゆく。 しおりを掴む指先まで熱をもち、
シルバーのそれが曇りそうに思える程で。
(・・・好き、なんだ・・・。)
胸をきゅぅぅううっと締め付ける歯がゆさに、ミコトはそっと目を閉じた。
その瞬間、堪え切れずに透明な雫はローファーの爪先にひと粒落ちた。
ミコトはそれに気付かれぬよう、咄嗟に手の甲で頬を拭い大仰に声を張る。
『アンタは・・・? アンタは、いつ? ・・・誕生日。』
すると、突然訊かれたそれにイツキはなんだか言いたく無さそうに思える
渋い表情で口ごもった。
『なに?いつよ??』 誕生日を言いたくない理由が分からず、少し苛立つ
声色でミコトは更に問いただす。 『なんで言わないのよっ??』
『なによっ・・・?』 イツキの二の腕を指先で軽く押し遣ったミコト。
すると、ボソっと蚊の鳴くようなボリュームでそれは聴こえた。
『・・・14。』
『14日? ・・・何月のよ??』 遂にイライラがハッキリ声に出る。
イツキはミコトの眉間のシワに一瞬目を遣り、しずしずと口を開いた。
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・2月。』
『2月っ???』 ミコトの喉から裏返るだけ裏返った声色が出た。
『2月14日?? バレンタインの??』
何度も何度も ”2月14日 ”と繰り返して、ミコトは腹を抱えて笑い
出した。 上半身を折り曲げてケラケラと可笑しくて堪らなそうに。
イツキはこんな反応が返って来るのを分かって、言いたく無さそうにした
というのに、そんな気持ちなど察してはくれないミコトに押し切られ結局
は口を割ったのだった。
散々笑い続け、呼吸困難でも起こしそうなミコトが笑い声の隙間をぬって
やっとの事で言葉を発した。 『ダッサ~・・・。』 そしてまた笑う。
『ダサいってナンだよっ!!
誕生日にダサいも、ダサくないもねーだろがっ!!』
赤くなってムキになるイツキ。
その反応が可笑しくて、またミコトは笑ってしまう。 立っているのも
ツラくなってしゃがみ込み、ベンチにしがみ付くようにしてまだ笑う。
『Wの悲劇だわね。』
言って、またミコトは笑った。
笑い過ぎて涙が流れて、頬に髪の毛が数本張り付いているというのに
それすら気にせずに笑いまくる。
すると、増々ムキになったイツキ。 立ったままその片足はカタカタと
貧乏揺すりを刻んでいる。 踏み締められる足元の砂利がスニーカーの
靴底に擦れてシャリシャリと音が鳴る。
『べ、別に・・・
・・・オレ、甘いモンとか ぜんっぜん嫌いだしっ!!』
再びミコトから大笑いする声が飛び出す。
『言い訳、ダッサ~!!!』
もうギブアップとばかりに笑い過ぎの腹の痛みに顔を歪めるミコトを、
イツキは怒ったような照れているような顔で見つめた。
サラサラの艶のある黒髪が笑うリズムに小さく揺れ、ほのかな月明かりに
瑞々しく輝いている。
それを見つめていたら、思わず触れてみたい衝動が胸に込み上げた。
そっと手を伸ばして触れようとして我に返り、ギリギリのところで踏み
止まった。 行き場をなくした指先が歯がゆく空を彷徨う。
そして、手の平で軽くやさしくポンっと頭頂部を叩いてみた。
『いつまで笑ってんだ! 帰るぞ。』 照れくさ過ぎてミコトを見れない。
頬が熱い。 はじめて手の平に感じたミコトの髪の毛の感触に、わずかに
震える手を慌ててズボンのポケットへ突っ込み隠す。
その瞬間、笑い声はやんだ。
ミコトも切なげな真っ赤な顔をしていることに、イツキは気付けずにいた
穏やかでやさしい宵の口だった。




