■第35話 新作を読むより優先する事柄
恐る恐る机の引出しに手を差し込み、ミコトは思わずぎゅっと目を瞑って
俯いたその朝。
その指先には、”それ ”の感触がある。
今日という日だけは、それが無いことを願っていた。
今日、24日は物語の新作が届いていないことを。
事前にソウスケと24日は図書室に寄る約束をしてしまったのに原稿
用紙が入った茶封筒はしっかりとその存在感を誇示する様にそこに在る。
ミコトが俯いて目を伏せると、既に登校していたソウスケが微笑みながら
近付いて来て言った。
『今日・・・ 放課後、ダイジョウブだよね??』
『ぅ、うん・・・。』 思わず覚束ない沈んだ声色が出てしまい、
ミコトは慌ててソウスケに向け大袈裟に笑顔を作った。 満面の笑みを
返し満足気に頷いて自席に戻ってゆくその背中を、ミコトは困り果てた
ような表情で見つめていた。
するとその時、教室戸口をくぐりイツキがやって来た。
ガヤガヤと騒がしい朝のそこに、今朝も気怠い感じを醸し出し踵を擦る
音を響かせながら。 どこで時間をつぶしていたのか制服ズボンには埃が
付き汚れてしまっているのが見える。 ミコトの机に原稿用紙を忍ばせる
ために早く登校しているはずのイツキは、まるでたった今やって来たかの
ような顔をしていた。 その姿になんだか胸がきゅっと締め付けられ、
ミコトは慌てて駆け寄り学ランの腕を引っ張って再度廊下へと連れ出す。
『なん??』 朝イチでミコトにぐっと強く腕を引かれ、学ラン越しでも
ハッキリ分かる細い指先の感触に照れくさそうにせわしなく瞬きをする
イツキ。 ミコトは眉根をひそめて脳天気に頬を緩ますイツキへと小声で
呟いた。
『し、新作が・・・ 机に入ってた・・・。』
『ぉ、おう! 良かったじゃん。』 ニヤリこれでもかと口角を上げる
上機嫌なイツキが目に入り、ミコトはどこか申し訳なさそうにその口許を
きゅっとしぼめる。
『き、今日は・・・ ちょっと用事があって
・・・放課後、アタシ、 残れそうにないの・・・。』
『ぇ・・・。』 聴こえたそのひと言に、イツキは言葉を失った。
イツキの計画では、放課後に一緒に新作を読み、急に思い立ったように
誕生日の話をさり気なく切り出して、偶然を装ってプレゼントを渡そうと
思っていたのだ。
自分の計画が順調に進むイメージしかしていなかったイツキにはミコトが
放課後残れないなどというシナリオは全く以って想定外だった。
(なんでだよ・・・。)
イツキはじっと足元に目を落としている。
ミコトが弱々しく上目遣いで見つめるも、決して目を合わせようとはしない。
イツキの耳が痛々しい程どんどん赤く染まっていくのを、ミコトはなにも
言えずに見ていた。
すると、いまだ学ランの腕を掴んだまま何か訴える様なミコトの華奢な手を
振り解くようにイツキはくるり冷たく背を向けて教室に入って行こうとする。
その瞬間、その背中は言った。
『 ”ルール ”は守らなきゃいけねーんじゃなかったのかよ・・・。』
怒ってるような憂うようなその学ランの背中に、ミコトはなんと声を掛け
ていいか分からず、ただただ困惑した潤んだ目を向けていた。
その日一日、これでもかという程に不機嫌な感じを醸し出していたイツキ。
いつにも増して貧乏揺すりの音は大きく速く、広げたノートに落とすシャープ
ペンシルの芯は苛立つ気持ちに共鳴するように簡単にポキポキ折れる。
そして次第に、肩を落とししょぼくれてゆく背中。
ミコトが新作を読むより優先する事柄がなんなのかを悶々と考えあぐねていた。
(誕生日だから、ってことだよな・・・?
友達とパーティーでもすんのか?
親が自宅でなんか準備でもしてるとか?
それだって・・・
ちょっと残る時間ぐらいつくれんだろ・・・。)
するとその時。
ガタン!!
クラスメイトのひとりが10分の休憩時間に仲間とふざけ合っていた
ところ机にぶつかり、机横のフックにかけていたサブバッグが床に
落ちる音がした。
何気なく顔を上げ音がした方向に目を遣ると、それはソウスケの机
だったようだ。 ぶつかったクラスメイトが謝る姿の横に、平気だと
言うように軽く手を上げ微笑むソウスケの姿。 落ちたサブバッグから
転がった包みを拾い上げ、付いた汚れを手の平で丁寧に払っている。
それを、見ていた。
イツキの目に映ったもの。
それは、小奇麗にラッピングされた包装紙の包み。
(ぇ・・・。
・・・ミスギと、って事か・・・?)
咄嗟にミコトに視線を向けると、ミコトと目が合った。
バツが悪そうに慌てて目を逸らし赤い顔をしたミコトが目に入り、イツキは
ガバっと机に突っ伏す。 握り締めた拳が机の上でやり場なく震える。
(くそっ・・・ くそっ・・・ くそっ・・・。)
『なんだよ・・・。』
思わず漏れた一言が、突っ伏した上半身と机の隙間にくぐもって響いた。




