■第32話 小さな秘密
『もし、もしもね・・・
作者がミスギ君じゃなかったら、どうする・・・?』
ゆったりとした時間が流れる夕暮れの公園のベンチでふたり、顔を突き合わせ
原稿用紙を読んでいた途中で、ミコトが小さく呟いた。
まるでひとり言のように、顔は上げず膝の上に目を落としたままで。
イツキはその言葉の意味を考えあぐねる。
(どうする、って・・・。)
『なに・・・? ぇ。 イミわかんないんだけど・・・。』
そう言って、イツキは隣に座るミコトの横顔をまっすぐ見つめる。
ミコトがなにを言いたいのかがサッパリ分からず、唇を尖らして小首を傾げ
ている。 チラっと目線を上げたミコトが、イツキのそのアホ丸出しの顔を
見てぷっと吹き出した。 まるでこどもの様な絵に描いたようなハテナ顔。
(こんなアホに、なんであんな物語が書けるんだろ・・・。)
ミコトは肩を震わせて笑い続けた。
細い両指先を口許に当てて、愉しそうに上機嫌にいつまでもクスクス笑う。
イツキはミコトの笑う理由が全く分からなかったが、その笑顔を見ている
だけでなんだか心がほっこりして、つられて小さく微笑んだ。
ふたりの間に、穏やかでやさしい時間がゆったり流れる。
ベンチに腰かけ投げ出したミコトの艶があるローファーと、イツキの少し
爪先が汚れたスニーカーが仲良く揃ってゆらゆら揺れる。
夕暮れの生ぬるい風がよそぎ、その瞬間ミコトの膝の上に置いた原稿用紙を
1枚さらっていった。
『あっ!!』 慌ててミコトが立ちあがり、さらわれた1枚を追い掛けようと
するとイツキが一拍早く立ちあがってそれを即座に掴みミコトに差し出した。
『焦ったぁ・・・。』 再び手元に戻った1枚を大切そうに手の平で撫で、
心から安心したような顔をするミコトを、イツキは目を細め見つめると
ミコトがぽつり呟いた。
俯いて、原稿用紙にある美しい文字にまっすぐ目を落としたまま。
『 ”作者だから ”ってゆうのは、あるかもしれない・・・。』
『ん?』 またしてもミコトの言うその意味が分からないイツキ。
ミコトは自分がだいぶ言葉を端折った言い方をしていることに気付いているが
恥ずかし過ぎて、一から十まで分かり易く丁寧に説明など出来そうになかった。
『だーかーらーぁ・・・
このお話が書ける作者だからこそ、
すごいなぁ、尊敬しちゃうなぁ、って思うの・・・
こんなやさしいお話が書けるって、
作者本人があったかい人だからでしょ・・・。』
そう呟くミコトの顔は真っ赤に染まって目も潤んでいたが、丁度差し込んだ
眩しい夕陽にまっすぐ照らされ逆光になってイツキにそれは見えなかった。
『ミスギ君じゃなきゃ・・・
・・・誰、 なんだろうね・・・?』
ミコトは小さく小さく訊ねてみる。
決して顔は上げないけれど、その赤く染まった小さな耳はイツキへ向けて
のみ研ぎ澄まされていた。 イツキが発する息遣いや、息を呑む音や、瞬き
する音まで全て聞き漏らさぬように。
すると、イツキは俯いて苦々しく真一文字に口をつぐんだ。
(オレが作者だなんて言ったら、
コイツ、きっと幻滅すんだろなぁ・・・
せっかく好きだって言ってくれてるこの話も、
愉しめなくなっちゃうのかもしんないな・・・。)
言いたいけれど、言えない真実。
言ったっていいのだけれど、でも、やっぱり言えない。 言えそうにない。
『てか、
作者が誰とか別にそんなのよくね?
話が面白ければ、それでいーんじゃねぇの?
作者の顔がチラついたら、
せっかくいい話も違って感じるかもしんねーぞ。』
そう言うイツキの顔があまりに情けなくやさしく微笑むから、ミコトは
何故だか急に涙が込み上げ、慌ててそれを悟られないよう顔を背けた。
イツキのその声色で、ただ正体がバレるのが恥ずかしいという理由だけで
言っているのではないというのが伝わる。
(アタシも、気付かないフリしてた方がいいのかな・・・。)
ミコトの胸の中に、ひとつ小さな秘密が出来ていた。
それは決してイツキに気付かれてはいけない、”作者に気付いている ”
という秘密。
クスリ、小さく肩をすくめて微笑むとミコトはひとり言の様に呟く。
『アタシも、がんばって感想書かなくちゃ・・・。』
その横顔を、イツキは嬉しくて緩む頬を必死に誤魔化しながら見つめる。
そして、ボソっと声に出した。
『きっと・・・
作者は、お前のそれを励みに書いてるはずだから・・・
別に・・・
慌てなくても、急がなくてもいいから、感想伝えてやれよ・・・。』
『うんっ!!』 ミコトが今まで見せたことない様な笑顔で微笑んだ。




