■第31話 ふたりの距離
ミコトは校舎を後にすると慌てて自転車に跨り、イツキが待つ公園へとペダルを
高速回転させて夕暮れの通学路を走り抜けていた。
大急ぎで立ち漕ぎするセーラー服のスカートは結構な勢いで翻り、前髪も飛んで
おでこ全開になっているが、そんな事も気にせず爆走する。
もうすぐ、この角を曲がれば公園に着くという辺りでミコトは一旦ペダルを漕ぐ
足を止め両足で踏ん張り立ち止まった。 そして急激に掛かった負荷に爆発しそ
うな鼓動を鎮めようと大きく深呼吸して息を整え、おでこの辺りでグシャグシャ
に乱れた前髪を手櫛で均した。
(カノウなんかの為に、急いだと思われたくないわ・・・。)
可笑しな意地が見え隠れするその昂揚した背中は、呼吸が整うと再び自転車に
跨って今度はゆったりのんびりと澄まし顔でペダルを漕ぎ進み到着すると、
公園出入口横に自転車を停め、中に進んだ。
夕暮れの公園はもう遊んでいるこどもの姿もなく、昼間のそれとは違いひっそり
やわらかい橙色の世界に様変わりしていた。
ミコトの艶があるローファーが小粒の砂利を踏みしめ進んだ先に、すぐさま目に
飛び込んだ学ラン姿。
自販機の前でなにやらボタンギリギリの所で指を宙に浮かせたまま、小首を傾げ
ドリンクを選びきれずに悩んでいるようだ。
(まったく・・・ 優柔不断なんだから・・・。)
足音を立てずに静かに忍び寄り、勝手に後方からミルクティを選択したミコトに
跳ね上がるほど驚いて振り返ったイツキのその顔はぽっかりと口が開き、それは
”情けない ”という表現がぴったりで。
思わず吹き出しそうになるのを堪えるミコトに、イツキは照れくさそうに眉根を
ひそめて口を尖らす。
『っんだよ・・・ ビックリさせんなよな・・・。』
そう呟いて再度硬貨を自販機に投入すると、イツキは最初から決めていた様な
涼しい顔をして、ブラックコーヒーのボタンを親指の先で勢いよく押した。
ふたり、ベンチに腰掛けて買ったドリンクをただただ飲んでいた。
いつも放課後にひとつの机に座る時は、なにも考えなくても極当たり前に
超近距離で寄り添っているというのに、今ベンチに座るふたりはいつもの
机より倍はスペースがある1.8ⅿのそこに不自然に間隔をあけている。
ただ黙ってペットボトルに口を付けている、ふたり。
どうしようもなく照れくさくて、なにをどう話したらいいのか分からない。
今まであんなにポンポン好き勝手なことを言い合っていたのが嘘のようで。
互い、なにも喋ることが出来ず喉から聞こえるドリンクが通過するゴクンと
いう音だけが静かな公園に小さく響いている。
(もう、なんなの・・・ 最悪・・・。)
あまりに照れくさ過ぎてミコトは若干不機嫌になっていった。
イツキがなにか話題を振って喋ってくれれば、少しはこの気まずい空気も
マシになるというのに、そんな簡単な事も気付けない隣の学ランに舌打ち
でも打ちたくなってしまう。
イツキもまた、ガチガチに緊張しながらブラックコーヒーを口に含んでいた。
普段はまず飲むことがない無糖のそれに、喉が拒絶してうまく飲み込めない。
ただまっすぐ前を見てはいるが、その目にはなにも映っていなかった。
動揺しまくって変に空回りする最悪のシナリオだけは避けようと、それだけ
考えた結果なにも行動を起こせず一言も発せず、ただ液体を喉に押し流して
いるという状態だった。
すると、痺れを切らしかけたミコトがイツキに嫌味のひとつでも言おうとして
本来ここに来た理由をやっと思い出した。
『ぁ・・・ そうだ、原稿・・・。』 そう言ってカバンからそれを取り出すと
イツキもまたそれにこのやりきれない空気を救われたような面持ちで声を張る。
『ああ! ・・・げ、原稿 原稿!!』
『ルールは守りなさいよね・・・。』
ジロリ横目で睨んで口を尖らせるミコトに、照れくさそうにイツキはペコリと
首を前に出して謝るポーズをとる。
ミコトが原稿用紙を制服スカートの膝の上に広げると、イツキがほんの少し
体を傾げ身を乗り出してそれを覗き込んだ。
ほんの少し近付いた、ふたりの距離。
イツキの髪の毛に付けている整髪料の爽やかなにおいがミコトの鼻をかすめ、
ミコトのシャンプーのにおいが夕暮れの風に乗って甘く漂う。
互いの頬がやさしく綻んでいることに、その時はまだ気付けぬまま。




