■第22話 じゃんけんグリコ
『もぅう、新作が届いたのっ!!』
ミコトが嬉しくて仕方ないといった潤んだ目でイツキを見つめる、その朝。
昨夜、だいぶ遅くまでかかって完成したそれ。
晩御飯も風呂も毎週欠かさず見ているテレビ番組も、全て後回しにして原稿
用紙に向き合っていたイツキ。 途中、自分の腹から腹の虫が鳴る音にふと
壁掛け時計を見上げると、もう日付変更線はとっくに越えていた。
寝不足のクマがありありと現れるその顔をやさしく緩めてイツキは言う。
『へぇ~、 良かったじゃん。』
あまり疲れた顔を見せて、もし万が一にでも作者だと疑われると困る為、
ミコトからは微塵も心配されてなどいないというのに必死に言い訳を繕う
自分がなんだか情けない。
『いやぁ~・・・
昨日、ゲームし過ぎちゃって~ チョ~寝不足でさぁ~・・・。』
『へぇ。』 ミコトは1ミクロンも興味が無さそうに、机の中の茶封筒に
だけ意識を集中させている。
そんな素っ気なさすらなんだか可笑しくて、イツキは綻ぶ口許を必死に
何とかしようといなしていた。
そして、その放課後。
いつもの様にふたりで新作を読んだ後、教室を出て下校しようと静まり
返った階段へと向かっていた。
階段の手摺りに手を掛けながら、ミコトはイツキの少し先をひとり階段を
下りている。 階段の踏面を踏みしめると内履きのゴム底が立てる小さな
足音が階段踊り場に小気味よく響いた。
イツキは数歩離れた後ろから、ミコトの背中を見つめていた。
ショートボブの髪の毛はイマドキの女子高生のように色を明るくすることも
なく生まれつきの黒髪のままで、頭頂部にはツヤツヤの天使の環が輝く。
ご機嫌に跳ねるように階段を下りるその華奢なセーラーの背中は、耳を澄ま
さないと聴こえないくらいのソプラノの小声で鼻歌を歌って。
すると、階段を下り切ったミコトが突然振り返った。
『ねぇ・・・
こどもの頃、”じゃんけんグリコ ”流行ったよねぇ~・・・?』
新作を予想以上に早く読むことが出来たミコトは、小説の読後の余韻と抑え
切れない高揚感に、イツキへと桜色の頬で満面の笑みを作り呟く。
『あぁ~・・・
あの、アレだろ・・・? グーがグリコで、チョキが・・・。』
『チョキが、”ち・よ・こ・れ・い・と ”』
『ああ!そうそう!!』 イツキが懐かしさにつられて笑う。
『それで・・・ パーが ”ぱ・い・な・つ・ぷ・る ”』
10年以上振りくらいに発したその単語に懐かしくてクククと笑いながら
階段を下り切り、そのまま靴箱に向かおうとしたイツキの背中にミコトは
声を掛けた。
『じゃーんけんっ!』
そのひと言に、『んぁ??』 イツキは振り返る。
『じゃーんけんっ!』 いまだ階段下で佇み、手をグーにしたまま上下に
揺らしてじゃんけんの合図を送るミコト。
『今、下りたばっかじゃんか・・・ また上がんのかよ・・・。』
困惑顔で呆れて笑うイツキに、ミコトは聞く耳を持たず 『ぽんっ。』
掛け声をかけた。
他者の意見など全く聞かず勝手にじゃんけんグリコを始めるミコト。
咄嗟にイツキはパーを出し、ミコトはグーを出した。
『ぱ・い・な・つ・ぷ・るっ』 イツキが気怠そうに踵を擦りながら、
一度下り切った階段を再び6段上がる。
そして再びじゃんけんすると、またイツキが勝った。
『ち・よ・こ・れ・い・と。
・・・つか、オレばっか勝ってんじゃねーかよ!
いつ帰れんだよ、コレ・・・。』
イツキも笑いながら、律儀にミコトに付き合い階段を上がる。
『いーじゃん、別に。
・・・ど~うせ帰ったってヒマなんでしょ?』
笑いながら相変わらず憎まれ口を叩くミコト。
ケラケラと愉しそうに口許に手を当て、眩しそうに目を細め笑っている。
(ヒマじゃねーよ、バカ!
オレには大事な執筆活動があんだっつーの・・・。)
そう内心思いながらも、思いがけずミコトとふたりで過ごす愉しい放課後の
ひとときに嬉しさを隠しきれない。
なんとか緩む頬をいなそうと躍起になるも、どうにもポーカーフェイスを
作れそうになく慌ててニヤける顔を逸らした。
『つか・・・
やっぱオレばっか勝ってんじゃねーかよ!
お前、じゃんけん弱すぎだろっ。』
どんどん不本意に階段を上がらされるイツキは、手摺りから身を乗り出して
階下のミコトを見つめて言う。
『じゃぁ、アタシ。 次はチョキ出すから!』 ミコトから次の一手の宣言が
飛び出した。 そして、『じゃ~んけんっ・・・。』
ふたりは腹を抱えてケラケラ笑っていた。
階段踊り場に、壁に、天井に、ふたりの愉しそうに笑い合う声が色とりどりの
スーパーボールのように元気よく跳ねて響く。
すっかり夕暮れの気配が迫る校舎の階段で、各々離れた位置で段差に腰掛け
笑い疲れた面持ちのふたり。 踊り場の大きな窓からは夕陽が差し込み、
なんだかその空間だけ橙色の世界のようで。
『ったく、素直じゃねぇ~なぁ~・・・。』
ミコトはチョキ宣言をしながら、グーを出した。
イツキは素直にミコトに負けられるようパーを出していた。
結局、またしても勝ってしまったイツキ。
笑いながらも胸に込み上げる愛しさが息苦しい程で、ミコトに見えない様に
胸元をそっと押さえる。
すると、暫く愉しそうにクスクス笑っていたミコトが囁くように呟いた。
『ねぇ・・・
ミナトとカスミは、どうやって結ばれるのかなぁ・・・。』
階段手摺の隙間から、ミコトの嬉しそうに微笑む顔をイツキはこっそり見つめ
ていた。 頬がどんどん熱くなり心臓は勝手気ままにドキンドキンとうるさい
程打ち付けている。
(コイツのこと・・・
・・・好きなんだな、 オレ・・・。)
どこか他人事のように、イツキは自分の内側から込み上げる恋心を感じていた。




