■ 序 章
(ヤバい ヤバい ヤバい いくらナンでもヤバすぎるっ!!!)
放課後の静まり返った廊下。
窓枠の規則的な四角形が磨き上げられた床面に橙色の形を落とす、夕暮れ。
聴こえるのは、遠く体育館からバスケ部のボールが跳ねる音と、わずかに
開いた窓から洩れ流れるグラウンドの白球を追う野球部の元気な掛け声。
そして、
カノウ イツキが慌てふためいて猛ダッシュする足音だけだった。
(頼む 頼む 頼む 頼むから
ナンでもするから マジで、ほんとマジで頼むから・・・。)
半ば床を滑るように長い廊下を駆け抜け、2階にある2年の教室がある
方向へと階段を3段飛ばしで駆け上げるも、気怠く踵を履きつぶした
上履きがパカパカと脱げそうで邪魔をする。
敵は本能寺でも何処でもなく、至極近く、それは自らにあったのだと改めて
気付く。
こんな時、いつもイツキは思うのだ。
(上履きぐらい、ちゃんと履こうぜ・・・ オレ・・・。)
イツキは、2-Bのクラスの中の、目立つグループに属していた。
5人組のそれは、他を圧倒する存在感を持ち、少し着崩した学ランと明るく
染めた髪の毛、勉強なんか真面目にやってる暇があったら遊んでいたいと
いうスタンスの小集団で、勿論上履きの踵はもれなく気怠く踏みつけて履き
つぶしていた。
しかし、某有名漫画に登場しそうな金持ち男子グループには程遠く、ただの
チャラくて気怠い中途半端な勉強嫌いの集まりだったのだが、本人たちは
至って真面目に ”不真面目 ”を貫き通していた。
そんな中でも最も尻切れトンボで地味で目立たないのが、イツキだった。
なんだか気が付いたらそのグループに属していて、何故属するようになった
のかその経緯もよく思い出せない程だが、今更抜けると言い出す事も出来ず
なんとなく今に至る。
本当は、上履きは履きつぶさずちゃんと踵までしっかりキレイに履きたい。
授業中は机に突っ伏してダルいフリしているが、耳はしっかりそばだてて重要
箇所はこっそりシャープで印を付けている。
文字を書くのなんか嫌いな顔して敢えて汚く崩して書くが、実は書道の段を
持っている。
面倒くさがりなテイでいるが、かなり几帳面で自宅に帰ったらまずはうがいと
手洗いを真っ先にする。
学校では ”オヤジ・オフクロ ”と踏ん反り返って呼ぶが、完全完璧に家では
”お父さん・お母さん ”と敬意を表している。
そんなイツキの最大にして最高のシークレット、それは・・・
歯がゆく甘酸っぱい物語を書いている、という事だった。
元々こどもの頃から国語、特に作文が得意で小学生時分などは賞を受賞した
経験もある程だったイツキ。 しかし中学に入り多感な時期に突入するや否や
格好付けたいお年頃の男子が作文で呑気に市長賞なんか取って喜んでいる場合
ではない。 他にやらねばならぬ事、考えねばならぬ事は山ほどあった。
例えば、
女子にモテる方法とか女子にモテる方法とか女子にモテる方法とか・・・
いつしか ”書くこと ”から少し離れていたイツキだったが、たまたまネットを
流し見して見掛けた小説投稿サイトにハマり、毎夜毎夜、物語をしたためる様に
なっていた。
最初はPCに向かい指先でキーボードを打ちポチポチ入力して創作していたが、
本来えんぴつを握って原稿用紙にしたためるのが好きだったイツキは、いつしか
ネット投稿をやめ、アナログ式に移行していた。
お気に入りの ”月光荘 ”という画材店にしか売っていない8Bのえんぴつを
使いやわらかい芯のなめらかな書き心地を愉しんでいた。
胸を熱くする恋物語がなにより好きだった。
自分もいつかはそんな物語のような甘酸っぱい恋をしてみたいと焦がれた結果
まだその熱く火照る様な予兆は微塵も無さそうだから、それなら理想を書いて
しまえと始めた、それ。
しかし、イマドキの高校生男子が毎夜、甘酸っぱい恋物語をしたためている
なんて口が裂けても言えやしない。
人知れずチマチマと背中を丸め、8Bのえんぴつを握り机に向かっていた。
とある話を書き終えたとき、イツキの心にひとつ小さな火が灯った。
(誰かに読んでもらいたい・・・ 評価してほしい・・・。)
一度そう思いだしたらもう気持ちは止められず、原稿用紙の表紙にふと思い
付いたペンネームを瞬時に書き込み、大きめの茶色い封筒に大切に大切に
原稿を入れた。 どこの出版社に郵送しようか迷い決められず、社名はまだ
書き込まないまま。
そして、封筒の隅に一行、流れるような達筆で書いた。
”感想お願いします ”
翌日中にでも出版社の住所と名前を書いてポストに投函しようと、普段は何も
入れない薄っぺらい学校指定カバンにその封筒を入れた。
準備は万端だった。
万端な、はず、だった・・・のだが。
今、現在。
夕暮れの放課後の廊下を、
イツキは気が狂ったように血相変えて猛ダッシュで駆けていた。
(ヤバい ヤバい ヤバい いくらナンでもヤバすぎるっ!!!
頼む 頼む 頼む 頼むから
ナンでもするから マジで、ほんとマジで頼むから・・・)
イツキは、
原稿用紙が入った茶封筒を、2-Bの教室に置き忘れていたのだった。
(誰も見るな 誰も見るな 誰も見るな 誰も見るな・・・)
慌てて勢いよく2-B教室の引き戸の取っ手に指をかけ開け放つ。
そのもの凄い力に、引き戸は弾かれる様にMAXまでスライドし勢い余って
再び少し戻って閉まった。
体が重力に従って進行方向につんのめりながら、転がり込むように教室に
飛び込んだイツキの目に入ったもの。
それは、
机にちょこんと腰掛けて、原稿用紙に目を落とすセーラー服の背中だった。
(し・・・ ししししし、死んだ・・・ オレ・・・。)
騒々しい音を立てもの凄い勢いでやって来たその姿に、その細く小さい背中が
ギョっとして大きく飛び上がり振り返る。 顎の長さで切り揃えられしっとり
まとまったショートボブの黒髪が、その頭の動きに合わせ大きく揺れる。
『ビ、ビックリさせないでよね・・・
・・・ナニやってんのよ? カノウ・・・。』
原稿用紙を掴んだそれは、クラスメイトのサエジマ ミコトだった。