何の冗談ですか
お盆に載せたアイスティーが四つ。
飾り毛のないガラス製のグラスに、美味しそうな濃い飴色の紅茶が注がれて、その中には涼しげな氷が浮かんでいる。
「アイスティーが出来ましたよ。レモンとミルク、砂糖はこちらから」
「あら、クロ、私の分も用意してくれていたの?」
「それはもちろん。フィリアが帰ってくることが分りましたから」
にこにこと笑うクロ。
そんなクロにフィリアは、嬉しそうに笑ってその紅茶を受け取る。
そして即座にごくごくごくと一気に飲みあげた。
「ぷはぁ! 最高! 仕事上がりはやっぱり紅茶よね!」
と、風呂上りのビールを嗜むかのように、男らしい発言をするフィリア。
そんなフィリアの様子に喜んでもらえて良かったと、にこにこ笑いながらクロがメイベルと俺に紅茶を渡していく。
「メイベルちゃんは、いつも通りストレートかな?」
「うん、クロさんの紅茶、何もしなくて美味しいし。わぁ、凄く良い香りがする!」
「そうですか、ではカナタ君はどうしますか?」
「えっと……じゃあメイベルがそのまま飲んでいるので俺もそのままで」
「そうですか」
頷いて、そこで今度はお茶菓子を取り出したクロ。
ふんだんにドライフルーツの入ったケーキだった。
ほのかに香るバニラの甘い誘惑。そこで俺にフィリアが、
「クロのお菓子は美味しいわよ?」
「え! これ手作りなんですか?」
「そうよ、こいつこういうのが得意な、私の“都合の良い男”なの」
俺は、本人の前でそれはないんじゃないかと思うも、相変わらずクロはにこにこしていて嬉しそうだと気づく。なので、そういう関係なのかと、俺は人の趣味嗜好には寛容なタイプだったのでそれ以上追及しなかった。
そこでフィリアがクロのお盆の上に載っている紅茶をものほしそうにじっと見つめて、
「……フィリア、どうしたのですか? 僕の分の紅茶をじっと見つめて」
「いつもよりも美味しかったかも。もう一杯欲しいかな?」
「仕方がないですね、はい、僕の分」
「わーい、ありがとうクロ。愛してる!」
「ではそろそろフィリアは僕の事を彼氏にしてくれませんかね?」
そこで突然フィリアに告白するクロ。
俺は、え、ここでするの! と驚いてグラスをおとしかけていたが、メイベルにとっては日常茶飯事なので淡々と紅茶を味わっている。
そんな対照的な二人の様子を気にも留めず、フィリアががっとクロの片手を掴んだ。
「じゃあ、結婚しましょう!」
彼女を通り越して結婚まで行った! と、紅茶を噴出しかけた俺。
けれどそれにクロは困ったように微笑んで、
「……それは困りますね」
「……だからあんたは“都合の良い男”なのよ」
不機嫌になったフィリアがふんとそっぽを向いて紅茶を飲み、焼き菓子を一度に二枚重ねて取り、二枚同時に口に含む。
頬が口に種を入れたハムスターのようにふっくらして美人が台無しだが、それはそれで俺には愛嬌があるように思える。
ただいきなり結婚を申し込まれたら流石に返答には困るよなと俺は思っていると、そこでメイベルが、
「いい加減そろそろクロさんも諦めたらどうですか? 師匠、クロさんを世界の果てまで追いかけるつもりだって言っていましたけど」
「こ、こら、メイベル!」
顔を赤くして、そんなメイベルにフィリアは慌てるが、そこでクロが困ったように、
「……僕自身過去のトラウマがありますから、素直にお受けできないんですよ。好きだから、余計に、ね?」
そんなクロにまたもフィリアが半眼になって、
「酷い奴だと思うでしょう? こいつ。こうやってこっちに期待を持たせておいて私の事を捕まえたままでいるの」
「え、あ、はい」
何故か話を振られた俺だが、長年の経験からこれは愚痴を延々と聞かされる可能性が高いと瞬時に計算してはじき出す。
そんな愚痴をどういうわけか俺には皆、やり易いらしいのだ。
そしてそんな“いいひと”なので、そこ止まりであり今まで彼女がいた事はない。
けれど彼女達の中で俺の彼女に……と考えると、その愚痴の内容やら赤裸々にむき出しになった彼女達や彼らの本性を見せ付けられた俺は、気づかぬうちに別の意味で奥手になってしまった。
なのでこの世界の何処かにいる、大人しくて可愛くて優しいお姫様を探せればなと思っていた。
ちなみに以前そういう子いないかなと彼女達や彼らに聞いてみたのだが、そんなもの本の中にしかいないといわれた。
お前達は自分達が俺に何を相談したのか覚えているのか、と小一時間ほど問いかけたい衝動にかられたんだったよなと、あの時の事を思い出して、けれどそれは一瞬で消える程度に俺の頭の中にめぐった話に過ぎない。
だからすぐに話題を変えようと、
「所で、お二人の馴れ初めはどんな感じなのですか?」
そこで俺をメイベルが見た。
ピンク色の瞳がじっと俺を見て、一瞬カナタはその瞳に吸い込まれてしまいそうな印象を受ける。
きらきらと輝くピンク色の宝石のような瞳が、じっと俺を見つめて、なぜか俺の胸が妙にどきどきしてしまう。
メイベルは俺に少し眉を寄せて、
「その話はあまり聞かないほうがいいと思う」
「そうなんだ、えっと、すみません」
けれどそこで今度はフィリアが、
「あー、どうするクロ、この子に話しちゃってもいいかな?」
「そうですね、本気にするかどうかは別ですが……かまわないのでは?」
クロが俺を見る。
見られているだけで全てを見透かされているようなものを再び感じて、俺はたじろぐ。
けれどかまわないといったという事は、俺がそれを話すに値する人物だと彼が判断したのだ。
会ったばかりだが、それは俺には少し嬉しかった。
俺は良く、優柔不断だと言われていたが、ようは押しに弱いのだ。こんな事を言ったなら相手が傷つくかなとか、これは言わない方がいいなと考えてしまうので、考えずに矢継ぎ早に要求してくる相手には弱いのだ。
それがとろいと思われて、今回のように家出をする理由になったのだが。
それは良いとしてフィリアがにこっと微笑み、クロを指差す。
「クロは、前にこの世界を滅亡させようとしたの」
「……は?」
「うん、信じられないでしょうね。カナタは、クロフィールドという魔王の御伽噺を知っているかしら」
「あの有名なやつですよね? 御伽噺で語られる、前の世界の最後の魔法使いにして魔王。その忌むべき名はクロフィールドとか」
「それが彼なの」
「……何の冗談ですか」
「一応本人は本物だって言ってるし力――魔力――も凄いのよ? 本物かどうかは別として、これだけの力は野放しに出来ない……という事にして、私が保護しているの」
けれどそのフィリアの言い回しいに違和感を覚えたカナタだが、それにフィリアは肩をすくめて、
「ここの国の人達は皆強くて、多分クロ程度なら如何にかされちゃうんじゃないかな」
そう、フィリアは肩をすくめたのだった。