彼女の師匠
そう、俺は少し考えてからメイベルに頷き、
「クロさんはどんな人なんだ?」
「クロさんは、時計屋の主人で、三階建てのアパートの一階で、時計職人をしているの」
「そうなのか。もしかして全部その人の持ち物?」
「うん、安く貸してもらえているから、私達にとってはとても助かっているのかも。一応そのクロさんが師匠の……友人で、その弟子だからそうしてもらえるのだけれどね?」
「そうなのか……でもそうなってくると俺は関係ないし」
「大丈夫、根は悪い人じゃないし。なんなら私の部屋に住む? その方が家賃が半分でいいし」
俺は、え、女の子の部屋に俺住むの? それって紐みたいじゃないか? というか女の子の部屋にそんな簡単に……とか、顔を赤くしてぐるぐるしていると、メイベルは気づいていないらしく、
「どうしたのカナタ。顔が赤いけれど」
「いや、女の子の部屋って緊張するというか……」
「ああ、ここに私は住んでいるわけじゃないから。たまに寝泊りするだけで、活動拠点みたいなものかな?」
「そ、そうなんだ。そっか、うん」
「そっか。カナタは男の子だから、もしかして私が押し倒されると思ったりとかしているって事?」
そのものずばりな事を言われて、俺は噴出しそうになった。
直球でこられるとこられたで、俺の顔は赤くなる。
というかそういう事もありえるわけで、と、俺もお年頃なのでどきどきしていると、
「大丈夫、私にはこの拳があるから。カナタが襲ってきても一発でお終いよ!」
「……ソレモソウデスネ」
ふと先ほどの荷馬車が壊れるあれを思い出して、俺は甘い空気みたいなものが一気に吹き飛ぶのを感じた。
現実なんてそんなものである。
そんなこんなで、ある店にやってきた。
こじんまりとした店舗で、全体としては寒色で彩られており、窓から見える店舗の中には沢山の時計が飾られて静かに時を刻んでいる。
出されている看板も時計をあしらった金色の文字盤の意匠で、所々に作る人の穏やかな感覚が滲み出ている。
そんな時計屋の入り口のドア。
その取っ手を勢い良く引くと、高い鈴の音が響く。
けれど、誰の声もしない。
「あれ、おかしいな。買い物に行っているのかな?」
「随分と無用心だな」
「ここに泥棒に入ろうものなら、師匠が地の果てまで追いかけていって捕まえて取り返してくるからね……」
「そうなんだ、そうか、それは怖いな、うん」
このメイベルの師匠だからもっと凄いのだろうと思えば、確かにそれくらいはしそうであると俺は思った。
そこで背後から声がした。
「あれ、メイベルちゃん、お帰り。そちらの男性は……彼氏かな?」
振り返ると、そこにいたのは長身の美形だった。
何処となく優しい雰囲気を醸し出す、長い銀髪に青い瞳の青年。
けれど彼を見ていて、何処となく俺は怖さを覚えた。
そんな彼は、茶色のベストとズボンに、白い半そでのシャツを合わせている。
ついでに、彼の持つ薄い茶色い袋にはバケットやら野菜やら缶詰、瓶詰めやらが雑多に放り込まれている。
そんな彼にメイベルは、面白そうに笑って、
「クロさん……カナタが彼氏? 無い無い」
「……本当にそうなのかな? えっと……カナタ君?」
「残念ながらそうです」
「そうなのかー。人の恋路は面白いんだけれどね。残念だなぁ」
そう、何処からどう見ても残念ではない、むしろからかっている風なクロ。
けれど俺はそう答えながら何だかもやもやする。
そうしているとクロに、店の中に入るよう促される。
俺はメイベルと一緒に中に入ると、外からは見えない場所まで時計に埋め尽くされているのが分る。
その全てが同じように、寸分違わず針を動かしており、俺は何処か不気味に思えた。
そこでカナタの手を引っ張るメイベル。
「あそこに座ろう、カナタ」
「あ、はい……え、隣同士で?」
「? 何か問題でもあるかしら。何かあったっけ」
隣同士で座る、ただそれだけに特に意味がないようにメイベルには思えた。
と、クロがまた面白そうに俺を見て、
「カナタ君、君、女の子に免疫があまりないだろう」
「……悪かったですね、俺はもてませんから。むしろクロさんは、もてるんじゃないですか?」
「うーん、憎まれて殺されそうになる経験は沢山あるけれど、そんな色っぽい経験はないかな」
相変わらず笑みを浮かべながら、クロはさらりと怖い事をのたまう。
そんなクロに、この人何者だろうと俺は冗談と受け取れずに唇の端をひくつかせる。
とはいえ、そんなカナタの隣で話を聞いていたメイベルは、半眼でクロを見た。
「……師匠に言いつけてやる」
「メイベルちゃん……飴の子袋一つで見逃してくれないかな?」
「いいですよ。……あ、ミルクキャンディ、しかもマリさん家のお手製の奴!」
「メイベルちゃんが好きだから、ちょっとした賄賂用に買って来たんだ」
「クロさん、結構ワルですね」
「牙がないと人間生き残ってこれないからね。それにそのキャンディ、フィリアも好きだし」
「なんだ、結局師匠のためなんじゃないですか、そんな言い訳しちゃって」
「あまり年上をからかわないでくれ、メイベルちゃん」
「……まあいいですけれど。でも私は師匠の味方なので、クロさんの味方にはなれませんよ?」
その時クロは、困ったような悲しそうな顔をしたが、けれどメイベルは、どう考えてもクロが怖気づいているだけだと知っているので、
「これからも、師匠を煽りますから楽しみにしていてください」
「……メイベルちゃん、勘弁してくれないかな……ところで、紅茶とココアどっちがいいかな? メイベルちゃん」
「ココア!」
「じゃあカナタ君は?」
「えっと……ココアでお願いします」
その方が手間が省けていいだろうと思って俺は遠慮したのだが、そこでクロがにまっと笑い、
「ココアには媚薬の効果があるらしんだけれど……」
「……紅茶でお願いします」
「そうそう、子供は素直な方がいいよ? さて紅茶は新茶で、しかもいいものが手に入ってねー」
「あ、じゃあ私も紅茶にします!」
「メイベルちゃんも? じゃあ全部で四つだね」
その言い回しに、俺は首をかしげる。
少なくともここには三人しかいないのだが、その四人目は何処にいるんだろう。
周りを見回すもそれらしい人影は見当たらない。
けれどそれを聞いたメイベルが目を輝かせて、
「師匠がもうすぐ帰ってくるんですか!」
「うん、だから四人分。帰って来たら何か飲み物をくれって言うだろうからね」
「わー、今度はどんなお土産なんだろう」
「それよりも特訓の成果を見せ付けるんでしょう? メイベルちゃんは」
「もちろん! 久しぶりの師匠だ!」
ここ暫く、会っていなかったらしいメイベルがとても嬉しそうで可愛い。
それを見ながらクロは、じゃあ紅茶をいれて来るよと言って、奥の方に消えていく。
そこでそんなうきうきとするメイベルを見ながら、俺は小さな声で、
「メイベルの師匠って、どんな人?」
「強くてやさしくて綺麗な人! 私の憧れの人なの!」
目を輝かせるメイベルは可愛い。
と、一瞬思考を中断させかけた俺だが、もう少し詳しく聞かないとと思う。
そうなってくると、強い人なら俺が身バレする可能性だってあるのだから。
同時にそんなに強い人って、どんな人だと思う。
だってメイベルは拳で荷馬車を破壊するのだから。
それでもまだ弱いほうであるらしい感が、俺をひしひしと襲う。
「もう少し詳しく教えてくれないかな?」
「……そんなに師匠に興味があるの?」
「それはメイベルの師匠だし」
「そっかー、私の師匠だから……」
俺の問いかけにメイベルは不機嫌そうになるも、すぐにメイベルの師匠だからと言うとメイベルは機嫌を直した。
それになんでだろうなと俺は思う。
ちなみにメイベルは無意識だったのでそんな自分の行動にまったく気づいていなかった。
「うーん、でも実際に見て話をしてみるのが一番いいんじゃないかな? 私の目を通したものだと人物像が歪むから」
「それは……そうか」
「そうそう、どうせすぐ来るだろうし」
メイベルが言った次の瞬間。
「元気にしてたか! 弟子とその他!」
大きく店の扉を開いて、鈴を鳴らしながら一人の女性が現れたのだった。