華のない男〈2〉
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カナデはこの春に化学省に入省し、特別人権審査室に所属したばかりの新人審査官である。
特別人権審査室は、5年前制定された『アンドロイド特別人権認定法』に基づき発足したばかりの新しい組織だ。
『アンドロイド特別人権認定法』とは人間に準じる知能や思考力、意思を有するロボットに関して人間の有する社会的権利の一部を与える事を認めた法律であり、要件を満たしたロボットは日本国内においては人間と同様の一個人としての生活を営む権利を有する事ができる。
世界でも珍しいこの様な法律が制定された理由としては今から70年前、人口の極端な現象を迎えた日本が人型ロボットを人間の労働力の代替として積極的に導入し、結果として現在の労働力の半数を人型ロボットが占めている国だという事。そして、20年前に一般市場に登場した超高性能人口知能『ATOM』が大きな原因となっているだろう。
『ATOM』はそれまでの人口知能とは違い人間の脳を研究し尽くし、完全に再現したAIであった。
搭載したロボットは人間の子供と同じ様に経験によって学習し情報知識を増やすだけでなく、嬉しい出来事や悲しい出来事などを経験する事で「喜び」や「悲しみ」を判断し、物事を判断する際の材料としてそれらをふまえた判断を行う。
つまり『ATOM』を搭載したロボットには『感情』が生まれる、と言って良かった。
この『ATOM』搭載のロボット達、通称『ATOMS』はその判断能力と思考能力の優秀さから、瞬く間に市場を席巻し、今日の日本国内では一部の機械的労働をこなす人型でないロボット以外は殆どが『ATOMS』となり、人間とロボットの関係性は大きく変わった。
人間の所有物の機械としてのロボットは、人間の生活を支えるパートナーとなったのだ。
その後様々な紆余曲折があり、ATOMSの人権についての問題で世間は多いに賑わった。
ロボットとはいえ、感情があるものに一定の人権を保護する必要があるとする人権派とあくまでもロボットであるATOMSを人間と同等に扱うことはあってはならないとする分離派に世論は大きく分かれ、ひとまずの指針を決定するまでに15年もの月日を費やした。
未だ様々な問題もあるとはいえ、概ねこの様な経緯を経て審査を通過したATOMSに「一部の」社会的権利を認める『アンドロイド特別人権認定法』(通称:特人法)は制定され、カナデの所属する特別人権審査室も発足した訳である。
特別人権審査室の主な職務は当該法律に基づき、特別人権の認定を求めている『ATOMS』がその要件を満たしているかを審査することだ。
特別人権が認められるには、
・個人としての生活を営む最低限の能力を有している事。
・社会倫理に照らし合わせ、正当な判断能力を有している事
・文化的作品・芸術等に対して興味関心を持ち、感想を抱く事
等々の審査基準を鑑みつつ、審査官が当該『ATOMS』の実生活調査を行い、認可に値すると判断しなくてはいけない。
特別人権審査室に所属するのは現在6名で、うち人間が5名と『ATOMS』が1名となっている。
認定を求める『ATOMS』の数を考えれば、全く数が足りないが特人法の制定に未だに反対する人間も居り、科学省の本省に小さな組織として構えるのが精一杯という所だ。
ただ事務処理に関しては、科学省の巨大情報処理コンピュータ『菫』の人型端末No.0206が行っているため、人間の5名は全て審査官の仕事に専念出来る環境下にある。
そして残り1人の『ATOMS』についてだが……
「いい加減にしてくれ、君はまだ自分の立場が解らないのか?」
「良いじゃないか、大切な新人の初仕事だろ?室長である僕が顔を出して何の問題があるの。」
副室長であるタカノの苛ついた態度とは反対に、室長席に腰をかけた黒髪の青年は楽しげに答えた。
「僕が来るとなればきっとあのヨシオ君?も喜ぶさ。
それに君はよくわかっていると思うけど、僕は一度決めたらやるから。怒っても無駄だ。」
青みを帯びた薄灰色の瞳をにこやかに細め、自分のスケジュール表を指摘しながら悦に入っているその青年を、タカノは積年の恨みがこもったような眼で睨みつけたまま、一言ずつ区切りながら、はっきりと返した。
「誰も、彼もが、君を、好きなわけじゃ無いからな。思い上がるな。」
「え、誰か僕を嫌いな人を知ってるのか?」
実に意外だ、と言わんばかりにわざとらしく眼を見開きおどける青年にタカノは脱力し、大きくため息をついた。
「少なくとも俺は嫌いだよ、アトム。」
「え!酷いな!僕等は親友じゃないか!タカノ。」
青年の名前は『敷島アトム』という。
この特別人権審査室の室長であり、最初の『ATOM』搭載アンドロイド。
おそらく日本で一番知られ、愛されているアンドロイドである。