「会議の空気まで記録するのが仕事です」そう信じていた議事記録官は、3年分の議事録273件の再点検を命じられる
ベアトリス・ペンフォード子爵令嬢は、王宮の廊下を心持ち早足で歩いていた。
決して豊かとはいえない家を支えるため、学園を卒業してから王宮に勤めて3年が経つ。
職務は議事記録官。これまでに書いてきた議事録は、200件を越えた。
辿り着いた先のドアで呼吸を整え、ノックを3回。
「入りたまえ」
聞こえた声に頬が熱くなるのを感じながら、ベアトリスは静かにドアを開けた。
「失礼いたします」
そう挨拶をすると、机の前に座っている人物がこちらを向く。
彼はヴィクトール・アシュクロフト。この国の若き宰相である彼は、非常に優秀な人物で、会議での発言も的確。銀色の髪に濃紺の切れ長の瞳は知的かつ、その端正な顔立ちと相俟って、どこか謎めいた雰囲気を醸し出していた。
「そちらへ」
促されるままに、ベアトリスは向かい側の椅子へと静かに腰かける。
向かい合わせになったところで、ヴィクトールの美貌を改めて目の当たりにした彼女は、甘く疼く胸を必死に抑え込んだ。
「さて、早速本題に入ろう」
形の良い唇から、そう切り出される。
「……はい」
どくん、と鳴る胸を、ベアトリスは内心で押さえた。
「こちらが、3年間に渡って君が担当した議事録の写しになる」
卓上には、分厚い書類の束が3つに分かれて積み重なっていた。
「わたくしは正確に議事録を取っておりました」
ベアトリスは上擦りそうな声を必死に抑え、背筋を伸ばす。
「日時、経緯、結論、出席者、期限、全てを記録しております」
胸を張ってそう答えるも、ヴィクトールの表情には何の感情も映し出さなかった。
「その点に関しては問題ない」
そう告げると、ベアトリスの目に、きらり、と光が宿った。
それに何ら興味を示すことなく、言葉を続ける。
「問題なのは、『量』だ」
ぽん、と書類の束に手を添えれば、ベアトリスは僅かに目を見開いた。
「君の議事録の量は、他の記録官の3倍以上ある」
「会議の内容、空気を正確に記すには必要なことですわ」
ベアトリスは少しだけ得意げに口角を持ち上げる。
それに溜息を吐きたくなるのを堪え、ヴィクトールは紐でくくってある書類の束を取り上げた。
「これは王暦751年第陽光月23日、『王都治水事業に関する予算配分について』の議事録だ」
『財務卿レオンハルト、発言前に2.5秒沈黙あり。口元に指を当てた後、発言。声量やや低下、語尾に若干の強調が見られる。工務卿グスタフ、反論された際、卓上に置かれた右手人差し指を動かす。その後約3秒沈黙し――』
ここでヴィクトールは読み上げるのを止め、顔をベアトリスへ向けた。
「これらは何のために記録を?」
「会議の状況、空気を正確に記し、残すためですわ」
ベアトリスの声音は、あくまでも自信に満ちている。間違ったことなどしていない、とばかりに。
確かに間違ったことはしていない。
だが……。
「では聞こう」
濃紺の目が冷たく細められた。
「レオンハルト卿が2.5秒沈黙したことは、決定事項を確認する際に必要だろうか?」
思いもかけない言葉だったのだろう。
ベアトリスは目を見開きつつも、口を開いた。
「……場合によっては」
「では、グスタフ卿が右手人差し指を動かしたことは?」
次の質問は、無言が返って来た。
何か考えているのかもしれないが、それを待たずにヴィクトールは質問を続ける。
「これらは、議事録を後で確認する者にとって必要な情報だろうか?」
しばらくの沈黙の後、ベアトリスは答えた。
「……必ずしも、そうではありません」
「では、誰の……いや、何のための記録なんだ?」
「それは……」
沈黙。
ベアトリスは答えることが出来なかった。
「さらに、君はほぼ全ての会議で同じ表現を使っている」
容赦なくヴィクトールは切り込む。
「これは、君の議事録を元に書き出したものだ」
一枚の紙が、机上に置かれた。
「沈黙した、言い淀んだ、息を呑んだ、眉をひそめた、声が低い、声量が大きい……」
とん、とん、とん、とヴィクトールは人差し指で確かめるように、指し示す。
「君は3年間で、これらの表現を合計8千回以上使用している」
要するに細分化されていない、不確かな表現を用いている、と暗に示してやれば伝わったのだろう。
ベアトリスの顔が強張ったのが分かった。
が、すぐに表情を戻して尚も言いつのる。
「ですが、決定事項に関しては正確に記録しています」
「だからこそ、余計に問題なんだ」
被せるように言えば、ベアトリスは意表を突かれたかのように目を見開いた。
「君の議事録は、必要な情報を欠いてはいない」
ヴィクトールは、手に持ったままの議事録の写しを軽く手で叩いてみせる。
「だが、必要のない情報が多すぎる」
ばさり、と決して軽くはない音をたてて、議事録が机上へ置かれた。
「王宮の文書保管庫には限りがある。一つの会議について、本来10枚程度で済む記録を、30枚にする必要性はない」
「ですが正確性を高めるためには」
「正確性と冗長さは違う」
ぴしゃりと言えば、ベアトリスは口を噤んだ。
「次の問題だが」
「まだ、あるのですか?」
心外だ、という顔をするベアトリスに冷たい視線を投げながら、ヴィクトールは言葉を紡ぎ出す。
「他人の感情の解釈だ」
「え……?」
机上の該当箇所を、とん、とん、と順に指差していく。
「『苛立った様子』『不満なようだ』『動揺が見えた』『反論を躊躇した』」
そこで一旦言葉を切り、ベアトリスを見据える。
「これは発言ではなく、貴方の勝手な判断だ」
「か、勝手だなどと、わたくしは」
ベアトリスが言いつのろうとするのを、ヴィクトールは遮った。
「君は他人の感情を記録する職務を与えられていたのか? そのような職務、聞いたこともないが」
「……」
「何故、記録を?」
尋ねれば、ベアトリスは少し視線を彷徨わせた後、答えた。
「会議の空気を残すためです」
「空気……」
ヴィクトールはそう反芻し、かつん、と机上で爪を鳴らす。
「それは議事録に残すものではない」
きっぱりと告げられ、ベアトリスは唇を結んだ。
「必要なのは、あくまでも『事実』だ」
その言葉はベアトリスへ重く圧し掛かる。
「これらの『感情の推測』の記述を君は大量に記述しているが、その『推測』は結構な確率で外れている」
「え……?」
唖然とするベアトリスに、ぺらり、と別の紙を机上へ置く。
「先程の会議、この部分の記述」
とん、と人差し指が鳴った。
「『財務卿レオンハルト……苛立った様子が見られる』。本人に確認をしたところ、喉が痛かったそうだ」
ひゅ、と息を呑む音が聞こえたが、構わず続ける。
「『内務卿テオドール……反論を躊躇していた』。これも本人に確認したが、次の発言を整理していたそうだ。『工務卿グスタフ、予算案に対して動揺した様子で5秒沈黙……』。これはグスタフ殿が大げさに言っていると思い、笑いを堪えていたとのことだ」
ベアトリスの顔が、真っ赤に染まる。
自身が事実と信じて記録してきたものが、一気に覆されたのだから。
「そして、この備考欄だが」
再び議事録が置き直され、とん、と人差し指が備考欄を差した。
『本日は晴天。青い空の中をツバメが2羽並んで飛んでいく。夫婦だろうか』
さらに別の議事録の備考欄。
『議論が白熱し、終わる頃にはすっかり暗くなっていた。空気が澄んでいるのだろう、星が綺麗に見えた』
そしてさらに別の備考欄。
『雨がしとしとと降っている。湿度が高く、紙が若干捲りにくかった。いよいよ梅雨か』
とん、と強く人差し指を打ち付け、ヴィクトールは口を開く。
「これらは必要な情報なのか?」
「会議当日の状況ですので」
冷静に答えるベアトリスに、ヴィクトールは少しだけ額を指先で押さえた。
「例えば、大雪で出席者が遅刻した、豪雨のため会議が中断した、雷雨で電気系統に影響が出た等、天候が会議に影響を及ぼしたのであれば、記録する意味はある。君は天候記録官でもなければ、会議室の気象観測をする義務もない」
きっぱりと言いきれば、ベアトリスの目が驚愕に見開かれる。
かつん、と爪を鳴らせば、びくり、と細い肩が震えた。
「君は3年間に渡って、会議の内容、決定事項を記録する仕事に加え、会議室の気象観測と出席者の観察記録まで勝手に作っていた、という訳だな」
そう言ってやれば、ベアトリアスは言葉もなく俯いた。
「仕事を丁寧にすることと、仕事を増やすことは違う。君が勝手に増やした仕事のせいで、王宮の保管庫は余計な文書で圧迫されている」
ベアトリス顔から見る見る内に血の気が引いた。
「議事録としての結論は正しい。だから問題はない……それは違う」
ヴィクトールは首を横に振ってみせる。
「正しく書けば、不要なものを書いて良いという理由にはならない」
ベアトリスは唇を噛みしめ、弱弱しい声で「はい」と頷いた。
「では、まとめよう。大きな問題点は3つ」
ヴィクトールはぴ、と人差し指を立てた。
「第一に、会議参加者の表情、声の調子、沈黙、呼吸などから感情を推測し、公式記録に記載したこと」
次に中指が立てられる。
「第二、会議内容と関係のない天候を3年間に渡り備考欄へ記載したこと」
最後に薬指。
「第三に、その結果、会議一件についての議事録が著しく冗長になり、必要な情報を後に確認する際、不要な記述を大量に読み返す手間が生じたこと」
鋭い視線に耐えきれず、ベアトリスは目を伏せた。
「以上を踏まえ、ベアトリス・ペンフォード。君への処分を申し渡す」
「……はい」
返事をしたその唇は震えている。
が、ヴィクトールは淡々と言葉を紡ぎ出した。
「まず、本日付けで議事担当官の任を解く」
「……っ」
びく、と細い肩が震えたが、容赦なく現実が突き付けられる。
「さらに今後一年間、君が作成する公的文書は、全て文書局長セヴェリン・アルトフェルトの確認及び承認を得ることとする」
「一年間……」
呆然と呟いているが、今までもセヴェリンの確認は受けた筈。
なのに3年間もこの状態が続いた原因は、ベアトリス自身にある。
「君はセヴェリン殿から幾度となく指導及び注意を受けていた筈だ。そのことは指導記録にも残っている」
どん、と山積みの書類に手を置いて、ヴィクトールは目を狭めた。
「しかし君は『正確な記録を残すため』という理由で聞き入れなかった。つまり、上司の指導よりも君自身の勝手な判断を優先したということに他ならない」
ベアトリスは膝の上の拳に、じっとりと汗が滲むのを感じた。
だが、口を挟める状況ではない。
「それは王宮という名の『組織』で働く者の姿勢に問題がある」
かぼそい声で「はい」と返って来た。
そしてヴィクトールは別の書類を取り出し、机上へ置く。
「次に、君が作成した3年間の議事録、273件全ての再点検を命じる」
「え……!」
ベアトリスは目を見開き、か細い声をあげた。
その顔からは、すっかり血の気が引いている。
「ああ、君一人で行わせるつもりはないから、そこは安心して良い。文書局の監査官を2名立ち会わせる。記載内容を精査し、議事録として必要な情報と、それ以外の記述を整理するように」
「は、い……」
震える唇から、かろうじて返事だけは零れた。
「そして始末書の提出」
とん、と人差し指が鳴る。
「内容は『議事録における事実と推測の区別』及び『備考欄に記載すべき事項』について」
そう告げると、ベアトリスの顔が盛大に引き攣った。
「そんな、始末書まで書くなんて……大げさではありませんか?」
そうのたまう彼女を、ヴィクトールは絶対零度を思わせる視線で射抜く。
「3年間は、決して短い期間ではない。しかも上司の指導を無視してまで続けていたことだ」
かつん、と爪が高く鳴った。
「一度の注意で済む筈が無い」
その言葉は、ずしり、とベアトリスの胸を軋ませた。
3年間、己が誇りを持って書き上げた議事録。
そこに記載した多くのことが、正式な記録として必要とされていない。
しかも訂正の対象となるなんて。
「最後に一つ、君に覚えて欲しいことがある」
「……なんでしょうか」
力なく顔を上げるベアトリスを、ヴィクトールは真っすぐに見据える。
「議事録とは、会議の内容や決定の事実を、後から誰が読んでも同じ意味で理解、そして確認できるように文書で残すものだ」
息を呑む音が響いた。
ヴィクトールは少しだけ息を吐き、さらに言葉を続ける。
「会議を見た人の記憶を残すものではない」
ベアトリスは何も答えることが出来なかった。
ただただ俯いて、膝の上で痛い程拳を握り締める。
そして文書室へと戻ったベアトリスを出迎えたのは。
上司と同僚からの冷たい視線と。
机上に山積みになっている、己が作成した3年間分の議事録だった。
この一冊一冊から、拾い出していかなければいけない。
『苛立った様子が見られる』
『反論を躊躇した』
『不満なようだ』
会議の空気を感じるために必要だと思っていたが、全くの的外れだった『推測』の部分を。
かつて自分が『完璧』だと信じて疑わなかったそれに、今追い詰められるなんて。
「ペンフォード嬢、戻ったのなら始末書の作成を」
振り向けば、2人の監査官が冷たい視線でこちらを見据えていた。
「早く済ませてください。これから3年分の『貴方が』作成した議事録の再点検があるのですから」
「これ以上手間を取らせないでください。我々も暇ではありませんので」
ああ、そうだ。
自分のせいで、本来ならやらなくても良い仕事を全くの他人にさせてしまった。
それをやっと自覚したベアトリスは、目の前が真っ暗になりそうになるのを必死に堪えた。
「は、はい、わかり、ました……」
それだけをようやく答えて、椅子に倒れ込むように腰かける。
うず高く積まれた議事録の束が、ベアトリスを閉じ込めるかのようにその姿を隠した。
(終)




