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化け物、もげたし、警察来た。

掲載日:2026/02/25

「ふざけんなよ、なんでこんなことに……!」


 肺が、焼ける。喉の奥がひりつく。吸い込む空気は湿っていて、腐った落ち葉と土の匂いが鼻に刺さった。

 夜の森は黒い。街灯なんて当然ない。月明かりすら、枝葉に噛み砕かれて、地面には斑点みたいに落ちるだけ。


 ――なのに。


 背後には「それ」がいる。


 枝を折る音。ぬめった何かが擦れる音。足音じゃない。歩くというより、這うというより、もっと“別の方法”で近づいてくる気配。

 振り返りたいのに、振り返ったら最後だと本能が叫んでいた。


 俺は大学のサークル仲間と、ノリだけで肝試しに来た。地図にもろくに載らない廃村。

「雰囲気あるじゃん」「動画撮ろうぜ」――そんな軽口の先に、こんな現実が待ってるなんて思わない。


 遭遇して、数秒だった。


「ぎゃああああああ!!」


 一番のビビり、タカシが叫んで、真っ先に山を下った。

 あまりに速すぎて、俺は一瞬“助かった”と思ったくらいだ。誰かが囮になれば、残りは――。


 その考えが最低だって気づいた瞬間、俺たちは散り散りになった。

 暗闇に溶けるように、バラバラに。戻る場所も決めずに。


 そして今、俺は一人で――追われている。


「くっ……!」


 枝が頬を叩いた。石に足を取られて、体勢が崩れる。転ぶ、と思った。

 その瞬間、背後の気配が、ぐっと距離を詰めた。


 もうだめだ。追いつかれる。


 俺は覚悟して目を瞑った。視界を閉じれば、怖さも少しは薄れる気がした。

 でも、薄れるどころか――耳だけが、世界の全部を拾い始める。


 ぐちゅ。

 ぴちゃ。

 骨が、擦れるみたいな。


「――ッ」


 歯が鳴りそうになるのを噛み殺した、そのときだった。


「おらぁ! どんくせえんだよバケモンが!」


 聞き慣れた、野太い声。

 直後、草むらが爆ぜるように揺れて――


 金髪が飛び出した。


「……ダイキ!?」


 普段からイキり散らして、飲み会のコールも一番うるさい。陽キャの王。

 そのダイキが、胸を張って立っていた。肩で息をしてるくせに、顔だけは勝ち誇ってる。


 そして。


 その手には、何かの“首”があった。


 俺たちを襲ってきた異形――あの、目が多すぎる、顔の輪郭が定まらない、アレ。

 それの首を、まるで戦利品みたいに掲げている。


「ダイキ……お前、それ……」


 声が震えて、情けなく裏返った。

 ダイキはニヤッと笑って、首をぶらんと揺らす。首から先があるはずの部分は、闇に溶けてよく見えない。見えないのに、見たくない。


「おう。なんか落ちてた鉄パイプでフルスイングしたら、もげたわ」

「も……げた……?」


 現実感が追いつかない。

 ダイキの手が少し震えてるのを、俺は見逃さなかった。強がってるだけだ。たぶん、こいつも怖い。


「それより見ろよ!」


 ダイキが、森の斜面の下を指さした。


 最初、何が見えてるのかわからなかった。

 暗闇の底で、光の点がいくつも動いている。蛍みたいに、でも規則正しく。列になって、這い上がってくる。


 赤い光。

 回転灯――赤色灯だ。


 次に、音が来た。腹の底に響く、低い唸り。エンジン音。

 そして、けたたましいサイレン。


「……嘘だろ」


 無線の声が、夜気を切り裂いた。


『こちら県警本部! 対象を完全に捕捉した! 逃げ遅れた民間人を保護せよ!』


 県警“本部”?

 現場に本部が出てくるのか? そんなツッコミが頭をよぎる。でも、それどころじゃない。


 光が増えていく。車両が止まる音。ドアが開く音。

 黒い影が、機械みたいな動きで降り立ち、森へ散っていく。


 ――機動隊。


 盾。ヘルメット。防護服。長い警棒。

 特殊車両から次々と隊員が出てきて、あっという間に“森の中の戦場”を作り上げていく。


「え、え、え……」

 俺の喉から、情けない音しか出ない。


「タカシだよ」ダイキが言った。「あいつ、マジで町まで走ったんだと。根性だけはあるんだな」


 そうだ。序盤で逃げ出した、あのタカシ。

 置いていったことを責める暇もない。今は、ありがとうと言いたい。泣きそうだ。


 サーチライトが点く。

 白い光が森を薙ぎ払って、夜が一気に“昼”になる。木々の影が伸び、短くなり、また伸びる。

 俺は眩しさに目を細めた。


 その光の中で、別の仲間たちが見つかった。

 泣きながら座り込んでるやつ。泥だらけで呆然としてるやつ。肩を抱え合って震えてるやつ。


「民間人発見! 確保!」

「負傷者確認、搬送準備!」

「第三小隊、左翼展開、死角潰せ!」


 声が飛ぶ。動きが速い。速すぎる。

 混乱の中でありがたいはずなのに、どこか不気味なほど整いすぎている。


「第3小隊、包囲網完了しました!」

「よし、対象を逃すな! 一歩も外へ出すな!」


 包囲網。

 その言葉が、胸の奥にストンと落ちた。


 ああ――終わったんだ。助かったんだ。

 俺は安心のあまり、足から力が抜けて、その場にへたり込んだ。土が湿って冷たい。膝が泥で汚れるのも構わなかった。


「……よかった……ほんとに……」


 涙が出そうになる。いや、もう出てたかもしれない。


 そのとき、影が俺の前に立った。


「いやぁ、皆様ご無事で本当によかった」


 穏やかな声。年配の男。

 ライトに照らされたその顔は、いかにも現場指揮官って感じの貫禄があった。肩章。無線機。落ち着いた眼差し。


「ありがとうございます……本当に、助かりました……」


 俺が言うと、男――警部は、にこりと微笑んだ。


「ええ。これでやっと……」


 その“笑顔”が、途中で止まった。


 メキ。

 メキメキ。


 音がした。

 歯ぎしりじゃない。顎の関節が鳴る音でもない。もっと、硬いものが割れていくみたいな。


 警部の口角が、ゆっくり、ゆっくり持ち上がる。

 上がるというより――裂ける。


 耳の付け根まで。皮膚が耐えきれずに、線が伸びる。

 裂けた口の奥が、サーチライトに照らされて――赤い。


「――対象、確保」


 その瞬間、サイレンの音が止んだ。


 森は、最初から何もなかったみたいに静かだった。

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