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忘れこそしていたが、彼女のおかげで、僕はご近所や家族の周囲の人間関係からも、好い息子・兄弟だと評価されている。
学校生活だって、フィッティングの呼び出しこそ時間に追われ大変であるのは事実だが、紳士的に対応できているため、頼ってもらい、学年を問わず、教師からも信頼を勝ち得ることができている。
その結果、僕の人生はとても充実していると言える。
やりたいと思えることもなく、惰性による怠惰な時間をただ過ごし、暇だと言うのが口癖になるような、そんな生活とは無縁な日常を過ごせているのは、あの子が僕の根幹を作ってくれたからなのだ。
だからと言って、お礼を先に言うのも何か違う。
それは、自己満足するための行為だ。
彼女は怒っていたか? と問われれば、そうだと断言することができず微妙だが、悲しませたことは事実だ。
自分のための言葉よりも、感謝しているからこそ、彼女のための言葉を、何よりも先に述べたい。
そのためにも、謝罪は必須だ。
かと言って、十数年ぶりに互いをそうだと認知して交わす会話が、謝罪からと言うのも、なんだか哀しい。
もっと気軽に「元気だった?」とかで良いのだろうか。
いや、彼女の治っているかも分からない病気に関することは、迂闊に口にすべきではない。
保健室に残っていた記録のことを考慮に入れると、彼女の口から聞かずとも、決して”元気”だとは言えない状況だと判断できる。
そんな配慮の無い言葉を、言ってはいけない。
だからと言って、今までどこで何をしていたのか、質問から始まるのもどうなのだろう。
「病院のベッドで過ごしていました」なんて言われてしまっては、空気が重くなりすぎて、会話を続けられる自信がない。
すっかり冷めてしまった湯呑に視線を落とすと、八の字眉の顔が、コーヒーに映されている。
心の準備ができていないうちに、再び会話をする機会を与えられてしまったこともあり、なんとも情けない、水面に映し出された、今の僕。
あの子がかつて僕に望んだ、‘’王子‘’の姿とは、程遠い見た目になってしまった。
……そうだよ。
今更気付いた。
同じ幼稚園に通っていたのだ。
近所に住んでいることを想定し、偶然ばったり逢う可能性を考慮に入れておくべきだった。
こんなラフな格好ではなく、王子然とした盛装……とは言わなくても、清潔感のある、もっと小洒落た服だって、一応持っていなくはないのに。
……失敗した。
私服ダセェとか、内心思われていたら、どうしよう。
「……そんな、あからさまに溜息を吐かなくても、良いんじゃないですか?」
自分の不甲斐なさに思わず出てしまった深い溜息を、別の意味のものと勘違いしてしまったのだろう。
いつの間にか祈ることを辞めた彼女が、刺々しい口調で言い放った。
う~ん。
頭では分かっているのだが、未だに、あの子と彼女が同一人物であるとイコールで繋げられずにいるな。
≒までは持っていけているのだけど。
ここまで敵意をむき出しにして来なくても、いいんじゃないか?
昔は朗らかな笑みを絶やさない、あんなにも誰よりも愛らしい子だったというのに。
それこそ、おとぎ話に出てくるお姫さまのように、可憐で癒し系な子だった。
……思い出補正が働いているのだろうか。
しかし、父親に言われたのだとしても、ここに自らの意志で残ったということは、彼女も僕との対話を望んでいるという意味だろう。
ちょっと、心狭くムッとなることもあるかもしれないが、そこはなるべくスルーしよう。
真摯たるもの、女性には寛容でいなければ。
そういえば、そもそも僕は、彼女のことを何と呼べば良いのだろうか。
かつては‘’さくら‘’、‘’しすかくん‘’と名前で呼び合っていた。
しかし自分を忘却の彼方に追いやっていた人物に、突然名前で、しかも呼び捨てにされたら、流石にキモイと思われるのではないか?
馴れ馴れしいと、怒るかもしれない。
だけど、苗字だと他人行儀すぎるし「僕は貴女のことを覚えていません」と拒絶しているように聞こえてしまうのではないだろうか?
少なくとも学校でのやり取りで、彼女は僕が自分のことを忘れているままだと思っているだろう。
彼女は、僕が自分のことを忘れているからと、苗字に先輩を付けて呼んでいたが、敬ってと言うよりは、嫌味を含んでいるようだった。
少なくとも、僕にはそう聞こえた。
やはり、苗字呼びはダメだな。
……ダメだ。
彼女のこととなると、つい悪い方に考えすぎてしまう傾向にあるらしい。
悶々と考えた所で、意味をなさない。
他人行儀と言えば、丁寧語で話すのも癖になってしまっているせいで、ずっとこの調子で喋っているが、他人行儀に聞こえそうだ。
どういう口調で話していたっけ……
意識して喋ろうとすると、空回りしそうだ。
母や姉に対する感じだと、口調に畏れが入ってしまいそうだ。
妹に話し掛けるようにすれば、いいだろうか。
「ごめんね。
君に対して吐いたわけじゃなくて、自分に対してのものだったんだ。
不快にさせてしまったのなら、謝罪するよ」
結局、謝罪から始まる会話になってしまったな。
何と呼べばいいか解らず‘’君‘’と言ったが、これこそ他人行儀な言い方だな……
どうすれば良いのか。
「えっと……何から話せばいいかとか、全然、考えていなくて。
本当、情けないんだけどさ。
君とどう接すればいいのかが、判らないんだ」
彼女は僕の言葉に、ダランと無気力に下げた両腕の先に、ワナワナと震わせた握りこぶしを作りながら、ぶっきらぼうに「そうですか」と、そっぽを向きながら答えた。
怒っているのだろうか。
ちょっと、怖い。
女性は怒らせると、ホント怖いんだから……!
「うん、だから、さ。
……まずは、久しぶりに再会した婚約者を何て呼べば良いか、教えてくれないかな?」




