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四十代後半か、もう五十代に乗ってるか。
招き入れてくれた男性は、記憶の中にいる神父様とは、随分出で立ちが違う。
僕の記憶の中の神父様は、こんなに頭頂部は薄くなかったし、もっと細身だった。
はっきり言ってこんなハゲデブのオッサンじゃない。
十年の月日とはこんなにも残酷なのか!?
まぁ僕も、天使と称されていたあの頃とは、だいぶ違う。
……なにせ、おっぱい王子だし。
それを抜きにしても、髪色は濃くなり、背も随分と伸び、外見はかけ離れている。
全くの別人という可能性もあるけどな。
教会って責任者が変わったりすんのかな?
もし当時のことを知らないのなら、本当に茶をしばいて終わるだけになる。
それなら、家族を心配させたらいけない。
早く帰りたいのだけれど。
「あの……神父さ「牧師です」
神父と牧師の差はイマイチよくわからないけれど、食い気味に否定する程度には、間違われたくないということなのだろう。
顔面に張り付いている笑顔も、心なしか怒りを含んでいるように見える。
きっとマンガなら、十字の怒りマークが頬や頭に付いている所だろう。
「牧師は教え、導くもの。
神父のような聖職者とは異なります。
私は、先生と呼ばれることが多いですね」
聞いてもやっぱりよくわからないけれど、牧師と神父は全然違う役職で、この人は牧師だから間違えんなよってことね。
聖書の内容を教える人だから、教育者的な立場にあるのかな。
だから先生って呼ばれているとか。
もしくは、裏の幼稚園の関係者でもあるとか。
幼稚園の教諭も、牧師のような恰好をして、みんなで祈りを捧げる時間があったし。
ん?
そういえば……記憶の中の”神父様”が、卒園式の時に、賞状を渡してくれた覚えがあるな。
そういうのって、通常は園長先生が行うものなんじゃないのだろうか。
園長先生と教会の責任者が同じってことは、あり得るのか?
宗教やっている人の兼業って、良いのだろうか??
招き入れられた教会の中は、記憶の中と同じで、随分簡素だ。
よく教会と聞いてイメージするような、マリアの像も、キリストが磔られている十字架もない。
いや、十字架自体はある。
とてもシンプルな、ばってんのやつが。
照明は年代を感じさせるもので……悪く言うと、随分古ぼけている。
手入れはしっかりされているからか、ボロいとは思わないが。
てっきり、懺悔室と言うものに入れられるのかと思ったのだが、腰を下ろすように指定されたのは、綺麗に並べられた長椅子の一つだ。
「キリスト教と聞いて大衆がイメージされるものは、カトリックが殆どですからねぇ。
ここはプロテスタントの教会です。
懺悔室もなければ、聖母像も、絢爛豪華な十字架や装飾もありません。
……父なる神は、常に私たちと共におわせられます。
なので罪の告白などは、心の中で行えば神は聞き届けて下さいます。
特別、他者に懺悔をする必要はありません」
カトリックやらプロテスタントやら、そういえば歴史で習ったっけか?
宗教革命とか、宗教戦争とか。
戦争を起こすくらいだもんな。
同一視されたら、そりゃ怒るか。
同じ神様をあがめている宗教でも、随分と違うもんなんだな。
テレビで見たことのあるビッグ・ベンやサン・ピエトロ大聖堂なんかを思い浮かべながら、眼前に広がるしょぼい内装を見上げる。
仏教でも浄土宗とか真言宗とか色々派閥もあるし、質素な寺もあれば豪華な所もある。
感覚的にはそんな感じか?
宗教系の幼稚園に通ってはいたが洗礼? だっけ?? を受けてクリスチャン・ネームを貰うということもしていない。
家に神棚も仏壇もない身としては、いまいちピンとこない感覚だ。
「……と言う建前こそありますが、人間は誰かに口で紡いだ文句を聞いて貰いたいと言う欲求が、多かれ少なかれあります。
話したいことがあればお聞きしますし、対面してでは憚られるような内容でしたら、懺悔室もどきならありますよ」
いや、もどきって。
この人、さっきから神父の持つイメージらしからぬ発言ばかりするな。
神父じゃなく牧師、か。
間違えたら、チクリと刺すようなお小言を言われそうだ。
教会の奥の方を指さされるが、そんな長居をするつもりはない。
それにこの人が、あの牧師だったとして、僕のことやあの子のことを覚えているとは限らない。
十年以上前、裏にある幼稚園に、たった二、三年通っただけの子供を覚えている人なんて、そうそういないだろう。
例え幼稚園の関係者だったとしても、だ。
この辺は独身世帯が少ない。
そのため毎年、あの幼稚園では何十人と卒園して行っているだろう。
その全てを覚えていられる人なんて、そうそういない。
僕も、当時あの子以外に仲良くしていた人ですら、名前や顔を思い出すことは困難だ。
特に、あの子なんて登園が出来ないことも多かったし……途中で、いなくなっている。
有益な話を聞くことが叶わないのなら、早々に帰るつもりでいる。
誰か他にいる訳でもないし、ここで充分だ。
「いえ、こちらで大丈夫です」
言いながら、勧められた席に座った。
牧師のオッサンはにっこり微笑むと、奥へ一度引っ込み、両手に湯呑みを持って戻ってきた。
……まぢで茶飲み仲間が欲しかっただけだったりするのか?
お礼を言って湯呑みを受け取ると、中身はコーヒーで、湯気を立てていた。
教会で。
湯呑みで。
コーヒー。
なかなかにシュールである。
これで番茶だったら、違和感にめまいでも起こしそうだな。
いや、湯呑みには合っているか。
教会には、微塵もそぐわないけれど。




