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僕はなぜ、わざわざ教会なんかに行ったのだろう。
確かに幼稚園よりも、教会の方が公園からは近いけど、そこまで距離は変わらなかったはずだ。
いや、当時は小さかったから、その距離すら遠く感じたのか?
……行けば、思い出せるだろうか。
すっくと立ち上がり、あの日走った道を歩く。
道中あった公衆電話は撤去され、駄菓子屋だった場所はコンビニになっていた。
何屋だったかな。
思い出せない利用したことのない店は潰れ、シャッターによって固く閉ざされ、看板が取り外されていた。
部活帰りの中学生だろうか。
自販機前でたむろする、すれ違うと恐怖を感じたはずの学生服の大人たちを見下ろしながら、随分遠くまで来てしまった気分になる。
距離的な問題ではなく。
心情的な話だ。
あの子のことを思い出すために訪れたはずなのに、自分自身が遠い昔に置き忘れてしまった、大切な何か。
それを必死になって、手繰り寄せようとしている。
そんな感覚に陥る。
抜け落ちた記憶を取り戻そうと。
自分の中にある空虚を満たそうと。
あの子のためと言いながらその実、自分のためだけに動いているのではないかと言う、疑問が浮かぶ。
当時の純粋な自分を思い出すと、面映くて、目を背けたくなる。
そんな感覚に支配される。
ただあの子に好かれたかった、あの頃の自分。
ただひたすら純粋で必死だった、当時の自分。
……今の自分は、どうだろう。
彼女に好かれたいのか。
そう問われたら、疑問が生じる。
十年以上経過している上に、僕はあの子が死んだものだと思っていた。
久しぶりに再会したからと言って、当時のような恋愛感情を持っているのかと聞かれたら……否。
少し迷うが、そう答える。
彼女に惹かれる理由が、五歳の頃の恋愛感情以外に、見当たらない。
幼稚で拙い、当時抱いていた愛情以上のものを、感じない。
正直な所……もう、過去の話だ。
もう終わったことなのだと、感じてる。
なにせ彼女は、突然僕の前に現れ、いきなり呪いだとか言い出す子だし。
そんな非常識で薄気味悪いことを言う子とは、関わりを持ちたくないとすら思う。
息子は何故か反応した。
見目を可愛いとも思う。
だが、それだけだ。
冷静に考えれば、引く理由はあれども、惹かれる理由がない。
思い出をいくら振り返った所で、この十年以上の時間の穴は、埋められない。
女性至上主義を掲げ、本音を隠し、体面を取り繕うことに慣れすぎてしまったせいで、僕の本心を見落としていた。
いや。
謝罪をすることは、勿論大事だと思う。
だが罪滅ぼしをすることが、僕の目的ではない。
許して怒りを鎮めて貰い、呪いというものが本当にあるのなら、それを解いてもらうこと。
それが僕の、本当の目的なのだろう。
体裁を整えて理由をこじつけた所で、彼女のためといった所で、その事実は変わらない。
……最低だな。
先回りして言い訳して、責任を他者に押し付けて。
自分と向き合う時間を作ると、己の狭量さ加減を、嫌でも自覚する事になる。
再開の熱に浮かされていた心が、急速に冷えていく。
学校でも、自分が忘れていたことに対して言い訳を散々して、彼女が手紙を出さなかったことを責めたしなぁ……
後から無理矢理形成した僕の人間性なんて、こんなもんだ。
一枚剥がせば、王子とは程遠い。
あの子との想い出と対峙することが憚られるくらいに、矮小な存在だ。
昔の僕の方が余程できた人間じゃないか。
打算的な事を考えず、愚かなまでに、ただただひたすら実直だった。
いつのまにかたどり着いた教会の前で、懺悔するかのように思考を巡らせる。
自分の本心に気付いてしまった今、この後どうすれば良いのかが、分からない。
思惑通り、思い出を振り返り、記憶を辿ることは出来ている。
眩いほどに尊い、忘れてしまっていた長い時間を惜しいと思うほどに、大切なものばかりだ。
でも結局、彼女の言う‘’盟約‘’は思い出せないまま。
約束事を多く、しすぎたのだ。
彼女がその中のどれを指して‘’盟約‘’と称しているのかが、正直、分からない。
元気になったらしたいことを挙げ列ねられれば「それじゃあ、いつかしよう!」と約束した。
将来の夢を語られれば「僕が叶えるよ!」と誓いを立てた。
そんなことが、十や二十じゃ足りない。
……できもしないのに。
馬鹿か。
当時の僕よ。
いや。
愚かだが、打算も何もない、ただ好いた子のためにできることをしたいと思う気持ちは、今の僕にはない、尊いものだ。
それに、本当にあの時は全て叶えられると、そう信じていたのだ。
その気持ちに、嘘はない。
当時は約束をするだけして、何一つ叶えられなかったけれど……
今の僕なら、それらの中から、幾つかでも、叶えることができるのだろうか。
叶える理由は?
そのメリットは??
どうしてもソレを考えてしまうあたり、嫌な大人になってしまったものだと、ため息をつきたくなる。
大人と言っても、当時と比較したら、というだけで、今も未成年者。
子供だけどね。
日も落ちてきた。
一旦、帰るか。
それとも、もう少し足を延ばして幼稚舎だけでも見ておくか……
「おや、礼拝か罪の告白をご希望ですか?」
ズボンのポケットに親指をひっかけ、ガラ悪く斜に構えながら、どうしようか考えていると、不意に教会の扉が開かれ、詰襟を着た熟年の男性から声をかけられた。
服装的にも、雰囲気的にも、教会の関係者かな?
長い時間、前でうろうろしていたために、不振がられたのだろうか。
「いえ……」
「まぁまぁ、そう言わず。
営業終了までまだ少し時間もありますし。
お茶でも飲んでおいきなさい」
営業て。
お茶て。
否定をしたのにも関わらず、来い来いと手招きをしてくるにこやかな笑みに抗うことが出来ず、困惑をしながらも、僕は十数年ぶりに、教会へと足を踏み入れた。




