第六十二話 試験結果
幼龍がお嬢様の胸から離れ、フラフラと宙を漂い始める。
「ぴゅい♪」
まだ飛び方も覚束ない様子で、左右に揺れながら洞窟の中を探索している。小さな翼を必死に羽ばたかせているが、浮遊しているのは魔力によるものだろう。
生まれたばかりの幼龍は、警戒心のかけらもない。純粋に、世界を探索しているだけだ。
イグニスがゆっくりと四人を見渡す。
「我が恩人らよ……一つ、頼みがある」
古龍の声が、洞窟全体に静かに響く。
「我が子を、お前たちに託したい」
沈黙。え?
お嬢様が目を丸くする。
「え……託すって……」
オクタヴィア嬢が困惑の表情を浮かべる。
「でも、生まれたてだよ? イグっちゃん、心配じゃないの?」
珍しく動揺を含むお嬢様の問い掛けに、イグニスが静かに首を横に振る。
「我は守護龍として、この地を離れることができぬ。だが、我が子は違う」
幼龍が再びお嬢様の胸に飛び込む。
「ぴゅい♪」
「この子にはまだ役目はない。ならば今のうちに、広い世界を見せてやりたい」
我が子の幼い鳴き声に、イグニスの瞳が優しく揺れる。
「いずれこの子も守護龍となり、この地に縛られる。その前に……自由に生きる時間を与えたい」
古龍の声が、切なさを帯びる。
数千年を生きてきた孤独。
この地を守り続けた誇り。
そして、我が子への深い愛情。
全てがその言葉に込められている。
「お前たちになら、安心して託せる。我が子をよろしく頼む」
イグニスが再び深く頭を下げる。
お嬢様の目に涙が浮かぶ。
「……分かった! 絶対、大切に育てる!」
幼龍がお嬢様の顔を舐める。
「ぴゅいぴゅい♪」
お嬢様が幼龍を抱き上げ、真剣な表情になる。
「この子の名前は……たっつぁん!」
俺は固まる。
「……たっつぁん、ですか」
俺の声が若干引き攣る。
お嬢様がニコッと笑う。
「うん! かわいいでしょ!」
どこがどうかわいいのか、説明していただきたい。
幼龍——もとい”たっつぁん”が嬉しそうに鳴く。
「ぴゅいぴゅい!」
本龍は気に入っているようだ。そうなると俺の知ったところではない。
イグニスが微笑む。
「たっつぁん……良い名だ」
古龍の美的センスを疑う。数千年生きていると感覚が麻痺するのかもしれない。
お嬢様がたっつぁんの頭を撫でる。
「よろしくね、たっつぁん♪」
「ぴゅい!」
たっつぁんがお嬢様の懐に潜り込む。
まるで雛が親鳥に甘えるように。
イグニスが俺たちを見据える。
「ルクシオンの王に伝えてくれ。子が無事生まれた今、すぐにでも炎の加護は元に戻るだろう、と」
なるほど、炉の温度が上がらなかったのはそれが原因か。俺は真剣な表情で頷く。
「承知しました」
イグニスが続ける。
イグニスの声が険しくなる。
「それと侵入者の件も伝えてくれ。追い払ったが、やつらは”一旦引くぞ”と去っていった」
お嬢様が眉を寄せる。
「転移魔法陣……また教会が絡んでるのかな」
「可能性は高いでしょうね」
ルミナス王国で教会の転移魔法陣を停止させたが、他国にはまだ残っている。
エリュシュア聖国本部から、直接ルクシオンへ転移してきた可能性がある。
お嬢様がイグニスに駆け寄り、抱きつく。
「ありがとう! 絶対また会いに来る!」
イグニスが優しく微笑む。
「ああ、待っているぞ」
巨大な龍の鼻先が、お嬢様の頭を優しく撫でる。
「お前たちは、我が一族の友だ。いつでも歓迎する」
お嬢様が涙を拭う。
「うん! たっつぁんも、ちゃんと大きくしてまた連れてくるから!」
「ぴゅい!」
たっつぁんがお嬢様の懐から顔を出し、イグニスに手を振る。
親子の別れ。
イグニスの瞳が、ほんの少しだけ潤んでいる。
だが、その表情は穏やかだ。
我が子の未来を信じているのだろう。
俺たちは炎獄の迷宮を後にする。
ダンジョンから帰還すると、外はすでに夕暮れ時だった。
お嬢様の懐で、たっつぁんが気持ちよさそうに眠っている。
「ぴゅ〜……」
寝息まで可愛らしい。
オクタヴィア嬢が心配そうに覗き込む。
「大丈夫でしょうか……こんな小さな子を、私たちが育てられるのでしょうか」
セバスチャンが答える。
「イグニス殿から託されたのです。我々が責任を持ってお守りしましょう」
お嬢様がニコッと笑う。
「大丈夫だよ♪ みんなで育てれば、絶対うまくいく!」
振り返ると、火山から立ち上る噴煙が夕日に染まっている。
「……急ぎましょう。校長たちも心配しているかもしれません」
ルクシオン王立冒険者学院。
ヴァルト・フレイムハート校長の執務室。
重厚な扉を開けると、校長とドラガ王、ロートニア王、ガルガ副議長が待ち構えていた。
「おお、無事だったか!」
ドラガ王が豪快に笑う。
ロートニア王も安堵の表情を浮かべる。
「三日以内に戻ってくるとは思っていたが……無事で何よりだ」
俺は一礼する。
「申し訳ございません。守護龍の討伐には……失敗しました」
沈黙。
ドラガ王とロートニア王が顔を見合わせる。
そして——
「ま、そりゃそうだわな」
「イグニスはさすがにな」
二人とも全く気にしていない様子だ。
ガルガ副議長も頷く。
「討伐できなくても仕方ありません。あのイグニス相手に生きて帰ってきただけでも上出来です」
ヴァルト校長も優しく頷いている。と、
「ぴゅい!」
たっつぁんがお嬢様の懐から顔を出す。
大人たちが全員固まる。
「「「……龍?」」」
空気が凍る。
ヴァルト校長が静かに問う。
「……そ、それは一体?」
俺は深呼吸して、経緯を説明し始める。
イグニスの卵のこと。
転移魔法陣を使った何者かが、火山の心核を奪おうとしたこと。
心核が深いマグマだまりに沈んでしまったこと。
俺たちがマグマに飛び込んで心核を回収したこと。
たっつぁんが無事に孵化したこと。
そして、イグニスに託されたことを順を追って伝え、最後にイグニスからの伝言も。
説明を聞き終えた後、長い沈黙が流れる。
「「「「…………………」」」」
そして——
ドラガ王が吹き出す。
「ぶはっ! ガハハハハ! 大したもんだw」
ロートニア王も大笑いする。
「お前ら規格外過ぎるだろ!」
ガルガ副議長も呆れ顔で笑っている。
「兄上たちを完全に超えましたね」
お嬢様がキョトンとしている。
「え? 何がそんなにおかしいの?」
ドラガ王が涙を拭う。
「俺たちはイグニスに挑んで、命からがら逃げ帰ったんだぞ」
ロートニア王が続ける。
「お前たちは討伐どころか、イグニスの子供を託されて帰ってきた」
「しかも守護龍直々の友認定付きだ」
ガルガ副議長が肩を竦める。
「もはや比較にもなりません」
ヴァルト校長が立ち上がる。
「文句なしの合格です」
「え? で、でも討伐できてないよ? 特別扱いはやだよ?」
校長が真剣な表情になる。
「話を聞く限り、むしろイグニスは弱っており討伐のチャンスはこれまでよりも高かっただろう。だが君たちは、討伐ではなく救済を選んだ」
「その気高い精神と、実際に救済を成し遂げたその実力。なんの文句があろうか!」
予想外の結果に俺たちは一瞬言葉を失う。
「ほれw 取りあえず校長にお礼をいいなさい」
「「「「ありがとうございます!!!」」」」
お嬢様がたっつぁんを抱きしめる。
「やった! 合格!」
たっつぁんが嬉しそうに鳴く。
「ぴゅい♪」
俺も安堵の息をつく。
別に俺が学生に憧れている訳ではないが、あまりお嬢様は友人と過ごしてきた経験がない。
例え僅かな時間であっても、お嬢様には少しでも青春時代を満喫してもらいたい。
ドラガ王が俺たちに近づく。
「来週からは学院生活だ。しっかり学べよ」
ロートニア王が微笑む。
「お前たちなら、きっと優秀な冒険者にもなれる」
ガルガ副議長が資料を手渡す。
お嬢様が目を輝かせる。
「楽しみ!」
ヴァルト校長が手を叩く。
「では、今日はゆっくり休め。宿舎への案内は職員に任せる」
俺たちは執務室を後にする。
廊下を歩きながら、お嬢様がたっつぁんに話しかける。
「明日から学校だよ、たっつぁん♪」
「ぴゅい!」
たっつぁんが嬉しそうに鳴く。
新しい生活が始まる。
その夜、王宮の一室。
ドラガ王、ロートニア王、ガルガ副議長の三人。
先ほどまでの和やかな雰囲気は消え失せ、重苦しい緊張が場を支配する。
「転移魔法陣……恐らく教会の仕業か……」
ロートニア王が険しい表情で呟く。
ドラガ王が拳を握る。
「まさか、四大陸の龍の秘宝を集める気か?」
ガルガ副議長が地図を広げる。
「それ以外考えられないでしょう」
四つの大陸が描かれた古い地図だ。
それぞれの大陸に、龍のマークが記されている。
「北大陸の氷龍フロスト」
「西大陸の風龍シルフィード」
「東大陸の森龍ヴェルダンディ」
「そして南大陸の炎龍イグニス」
ガルガ副議長が指で四つのマークをなぞる。
「四大陸の守護龍それぞれが秘宝を守っている」
ロートニア王が続ける。
「氷龍の『永遠の氷晶』」
「風龍の『天空の羽根』」
「森龍の『生命の樹液』」
「炎龍の『火山の心核』」
ドラガ王が苦い表情を浮かべる。
「四つの秘宝を集めれば……伝説の『龍神の玉座』が開くと言われている」
ガルガ副議長が頷く。
「龍神の玉座……全ての龍を従える絶対的な力」
沈黙。
三人とも、その意味を理解している。
もし教会がその力を手に入れたら、確実に世界のパワーバランスが崩壊する。
ロートニア王が立ち上がる。
「各大陸の守護龍に警告を送ろう」
ドラガ王も頷く。
「ああ。のんびりしている暇はない」
若者たちの知らぬところで、世界崩壊の足音が近づいていた。




