第六十話 炎獄の迷宮②
お嬢様が杖をしまい守護龍に向かって向き直り、”敵意はない”と両手を広げて微笑む。
その様子を見て俺は思わず額を押さえる。また始まった。
警戒感を顕わに守護龍が低く唸る。
「我の願いは貴様らがこの場から立ち去ること。それだけだ…さっさと立ち去れ!」
その声には明確な拒絶があった。
だが、お嬢様は構わず一歩前へ出る。
「無理! だって絶対に困ってるでしょ?」
…え?
俺とセバスチャン、オクタヴィア嬢が同時に困惑した表情を浮かべる。
守護龍も明らかに面食らった様子で、瞬きを繰り返す。
「...な、何を言っている、人間よ」
「だってさ」
お嬢様がゆっくりと龍へ近づく。
俺は慌てて前へ出ようとするが、お嬢様が手のひらで制した。
「卵を守るだけでそんな殺気立たないでしょ? これからママになるっていうのにそんな怖い顔にならないでしょ」
自然界はそんな甘いものではない、とお嬢様に伝えたい。外敵は多いだろう。
「え? いや、我に雌雄の概念はなくてだな…」
なんか見当違いの部分で龍が動揺している。
「ねぇ、何か困ってることない? 手伝えることあったら言って」
人の話も龍の話も聞こうとしない、お嬢様の真っ直ぐな瞳が龍を見据える。
溶岩の熱気が肌を焼く中、お嬢様だけが涼しい顔で立っている。いや、額に汗が滲んでいるが、それでも一歩も引かない。
守護龍が長い沈黙の後、ゆっくりと警戒を緩めた。
「...人間が、我を助ける、だと?」
荒い息遣いが岩盤に反響する。
だが、その声には先ほどまでの殺気こそ薄れていたが、強い怒りが感じ取れた。
「自分達で"心核"を持ち出そうとしておきながら、よくもぬけぬけと!」
心核?
俺は眉をひそめた。ガルガ副議長の講義資料に、その単語は無かった。
お嬢様が優しく微笑む。
「大丈夫、あなたも分かってるでしょ? あなたの大切なものを持ち出そうとしたのが私達ではない、ということを」
守護龍の巨大な瞳が揺れる。
紅蓮の鱗が僅かに震え、翼が畳まれる。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「すまなかった人の子よ...主の言う通りだ。…実は我が子が、孵化寸前なのだ」
守護龍の声が、岩盤に静かに響く。
「だが...生まれて来るには”火山の心核”が必要になる」
俺は卵を見た。
真っ白な殻が、微かに脈動している。生命の鼓動が、確かにそこにある。
「...何者かが我が卵を狙い、当然守ろうと応戦した我の隙をつき、”心核”を持ち出されてしまった。狙いは最初から”心核”だったのだろう」
守護龍が、自らの後方に広がる溶岩の湖を見下ろす。
「ブレスでなんとか侵入者が持ち出すことは防げたが、その拍子に奴らの手から落ちた”心核”が深いマグマだまりに沈んでしまった…。我ならば取りにいけない事もないが、僅かでも卵の元を離れてしまえばこの卵は孵らぬ…」
ドラガ王やロートニア王にも引けを取らない守護龍に喧嘩を売る人間……一体どこのどいつらだ? このタイミングで、非常に迷惑な話だ。
それにしても絶望的な状況である。
卵を守るために魔力を注ぎ続ければ心核を取り戻せない。心核を取り戻しに行けば卵が孵らぬ。
八方塞がり……だった。先程までは―—。
この守護龍は運が良い。このタイミングでお嬢様と出会えるたのだから。
「取ってくる!」
まぁお嬢様ならそう言いますわな。
「な!? む、無理だ人間には」
「大丈夫! 何とかなるって! だってうちら人間だもん」
お嬢様のまったく根拠のない自信。
いつものことではあるが、結局なんとかなってしまうのもまた事実。
守護龍が驚愕の表情を浮かべる。
「人間よ...本気か? 無理だ、死ぬぞ。溶岩の温度は千度を超える。貴様らの魔法防御では、数秒と持たぬ」
「やってみなきゃ分かんないじゃん! それに、うちらじゃないとはいっても人間のケツは人間で拭くよw」
お嬢様の真っ直ぐな瞳が、守護龍の心を射抜く。
守護龍が言葉を失う。
数秒の沈黙の後、巨大な頭がゆっくりと下げられた。
「...頼む。お主らを同じ人間というだけで先程の奴らと重ね敵視し、あまつさえ手を出したにも関わらずその親切…。都合が良いのは百も承知、どうか手を貸してほしい」
誇り高き生物の代表格ともいえる龍が、人間に頭を下げた。
きっと二度とこんな経験をすることはないだろう。
お嬢様がニコッと笑う。
「固いこと言いっこなしっしょ☆ 気にすんなし」
恐らく、すでにお嬢様の中には”特別入学試験”のことなど存在しないことだろう。
困っている者を見過ごせない、ただそれだけのこと。自分のことは二の次三の次。……これだからお嬢様の執事はやめられない。
オクタヴィア嬢もセバスチャンも苦笑いを浮かべつつも、すでに覚悟を決めている。
「であるならば、我が”心核”までの道を切り開く。現在力の殆どを我が子に与えており、僅かな時間しか作れないのが申し訳ないが…」
どうやって道を切り開くというのか、想像も付かない。
端からお嬢様二人に任せる選択肢はないので、俺かセバスチャンのどちらかという事になるが、そこはスピードに勝る俺が対応すべきだろう。
ということで俺が返答する。
「いや、お嬢様がそう望んでおられるので、守護龍殿は気にする必要はない」
「イグニス…我は守護龍イグニス。この地を守る龍である。…人間の友人らよ、主らであれば名で呼んでくれて構わない」
なんか知らないが、お嬢様のせいで全員龍と友達になった。




