第五十二話(閑話) とある女神の日常 ‐後編‐
平和が戻った世界。
魔王討伐から三年の月日が流れていた。
ロートニアは小さな島に王国を築き、ルミナス王国と名付けた。仲間たちもそれぞれの道を歩み始めている。レオンは伯爵となり領地を統治し、セシリアと結婚した。バルドは騎士団長として王国を守り、エルドは宮廷魔術師として研究に没頭している。
皆、それぞれの幸せを掴んでいた。
でも——ロートニアだけは違った。
あたしは神界から彼を見守り続けていた。見守るしかできなかった。
ある日の午後、真新しい小さな教会の扉が開く音が聞こえた。
誰もいない静寂に包まれた空間に、ロートニアが一人入ってくる。
彼は祭壇の前に跪き、手を組んで祈り始めた。
「ルミナ...」
彼の声が教会内に響く。
「どうか姿を見せてくれ」
必死な祈り。あたしの心が痛んだ。
彼はそれから無言で祈り続けた。十分、二十分、一時間——。
あたしは迷った。降臨すべきか。でも会えば、また辛い思いをさせてしまう。
でも——。
彼の純粋な祈りが、あたしを引き寄せる。
気づけば、あたしの身体が光の粒子となって教会の祭壇に降り立っていた。
ロートニアがゆっくりと目を開ける。
あたしの姿を認めると、彼の瞳が大きく見開かれた。
「ルミナ...!」
立ち上がり、真っ直ぐにあたしを見つめる。その目には、迷いがなかった。
「俺は——」
ロートニアが一歩踏み出す。
「俺はお前と一緒に生きたい!」
心臓が跳ねた。
「お前以外の女は考えられん!」
ガサツで不器用だけど、真摯で真っ直ぐな愛の告白。
あたしの心が激しく揺れる。
嬉しい——でも。
あたしは優しく微笑んだ。それしかできなかった。
ロートニアがさらに言葉を続ける。
「俺はずっと考えてた。魔王を倒した後、何をして生きていくのかって」
彼の声が震える。
「王になって、国を作って、民を守る。それは確かに大事なことだ」
「でも——それだけじゃ足りねえんだ」
一歩、また一歩と近づいてくる。
「お前と話したい。お前と笑いたい。お前と泣きたい」
「お前と——一緒に生きたいんだ」
あたしは無言でロートニアの言葉を聞き続けた。
立場の違い。神と人間。
生きる時間の違い。あたしは永遠で、彼の命は有限。
子を成せるかも分からない。神と人間の間に子供ができた例は聞いたことがない。
何よりも——愛した人に先立たれる悲しみに、あたしは耐えられるだろうか。
そんな胸の内を、伝えられる訳がなかった。
ただ静かに聞くだけ。
ロートニアの告白が一通り終わると、あたしは優しく微笑んだ。
「ロートニア...」
声が震えそうになるのを必死に堪える。
「人間の女性と子を成して、幸せに暮らしてください」
彼の顔が歪む。
「貴方を見守れたこの数年——私は本当に幸せでした」
あたしの足元から光の粒子が舞い上がり始める。
消えていく。また神界へ戻っていく。
ロートニアが手を伸ばす。
「待ってくれ! ルミナ!」
彼の叫びが教会に響く。
「俺は絶対に諦めねえぞ!」
あたしの姿が完全に消える。
神界に戻ったあたしは、一人膝を抱えて座り込んだ。
涙が溢れた。
「私が——間違っていたのだろうか...」
でも——。
「これで良かったのだ」
自分に言い聞かせる。
彼には幸せになってほしい。人間の女性と家族を作り、笑顔に囲まれて生きてほしい。
あたしと一緒にいたら、きっと彼は苦しむことになる。
周囲からの視線。神と人間という立場。子供が生まれないかもしれないという不安。
そして何よりも——あたしが彼の死を看取らなければいけない未来。
だから——これで良かったのだ。
後悔と自己正当化の日々が始まった。
☆☆☆☆☆
”絶対に諦めない”
ロートニアはその言葉通り、いかなる浮いた話もなかった。
縁談の話も全て拒否し続けた。
レオンやセシリアが心配して何度も話をしたらしいが、彼は頑として首を縦に振らなかった。
時折、誰もいない教会で女神の像に向かって口説き続ける。
「ルミナ、今日も良い天気だぜ」
「お前が好きそうな花が咲いてた。持ってきてやりたかったけど、お前に触れる術がねえんだよな」
「俺は諦めねえからな。絶対にお前を振り向かせてやる」
あたしは遠くからその様子を見守った。
心が痛んだ。
彼の人生を縛り付けている。あたしのせいで、彼は幸せになれない。
「私が——間違っていたのだろうか」
何度も何度も自問した。
でも——答えは出なかった。
あれから、あたしは上位神からアスタリア以外にも三つの世界を任された。
任された、と言っても今回は"創造"ではなく、あくまでも今ある世界をそのまま前任の神から引き継ぐ形になる。
基本的には見守るだけ。介入は最小限に留める。
その中の一つが、"地球"という世界だった。
科学技術が発達した、魔法の存在しない不思議な世界。
人々は神の存在を疑い、それでも必死に生きている。
あたしはその世界を興味深く観察していた。
そして——ある日。
交通事故の現場を目撃した。
歩道を歩いていた子供の前に、制御を失った車が突っ込んでくる。
その瞬間、近くにいた若い女性が飛び出した。
子供を突き飛ばし——自分が車に轢かれる。
即死だった。
女性の魂が肉体から離れ、神界へ呼ばれる。
「私は光と慈悲の女神、エル・デルアニア・ルミナ」
あたしはその魂と対面した。
「貴方は他者のために自らの命を犠牲にしました」
女性の魂が周囲を見回す。混乱している様子。
「神界法第1068条『他者救出の為の死』に該当する為、別の世界へ転生する権利を有します」
女性の魂がゆっくりと状況を理解していく。
そして——第一声が。
「あの子大丈夫だった!?」
自分の死より、救った子供の安否。
あたしは微笑んだ。
「はい。貴方のおかげで無傷です」
「マジで!? 良かった~!」
女性が心から安堵の表情を浮かべる。
次に心配したのは、残された弟と妹たちのこと。
「あたし死んじゃったら、弟と妹どうなるんだろ...」
自分より他者を思いやる心。
あたしはその懸念も晴らした。
「非常に良い里親と出会うことができ、幸せな人生を送ることになっております。貴方の御兄弟らしく、非常に綺麗な魂です」
「本当!? ありがとう! 自慢の弟と妹だからねw」
女性が初めて心からの笑顔を見せる。
その笑顔は——余りにも眩しかった。
あたしは複数の転生先を提示した。
「幸福確定の王族」「魔法の才能に恵まれた貴族」「商人として成功する運命」——。
どれも幸せが約束された人生。
でも女性は、どれもしっくりこない様子で首を傾げる。
「ん~、なんか違うんだよね~」
そして——選択肢の一つに目を留めた。
「これ、なに? 『魂が消えかけてる女の子』って」
ここでそこに目を止めるか。ロートニアの親友、レオンの娘。
「——レティシア・リオネールと言います」
「本来の魂がありますが、魔神の手により魔に染まった魂で人格を上書きされかけています」
女性の表情が真剣になる。
手先の魔王をロートニアたちに倒され、その代償としてレオンの子にかけられた魔神の呪い。
気付いた時には既に手の付けられない状況だった。
「本当のレティシアの魂が必死に抗っていますが...そろそろそれも限界に近い」
その女性が迷わずに答えた。
「それ! うちそれがいい!」
「え?」
「救えるならその子を救いたい」
即答だった。
「どうすれば救えるの?」
自分の幸福より、消えかけてる魂を救うことを迷わず選ぶ。
あたしは驚愕した。
「貴方——自分の幸せよりも?」
「うん! だってその子困ってるんでしょ? だったらまず助けたいじゃん」
当たり前のように言う。あたしの胸が熱くなった。
「方法はあります。貴方の魂でレティシアの本来の魂を補強し、魔に染まった部分を浄化する。ただし——本来異なる人格の魂を融合した際、魂同士の反発が予想されます」
女性が少し考える。
そして——。
「ん~余裕っしょw うち人見知りしないしww」
「え?」
「レティちゃんと仲良くするから気にすんなw」
あたしは言葉を失った。
「細かいこと気にし過ぎw 皺増えるよ」
失礼な発言は置いておいて、彼女はあまりに軽く考え過ぎている。
「で、でもそれは...」
「やってみよ! 案ずるより産むが易しって言うじゃん!」
一切迷いのないその女性に、あたしは思っていることをそのまま尋ねた。
「なんで貴方はそんなに前向きになれるの?」
女性がキョトンとする。
「えw だってうちギャルだもんww」
「…は?」
「やらない理由探すの考えるより、やってから出来る方法考えた方がカッコいいっしょw」
あたしは衝撃を受けた。余りにも前向きすぎる。
自分のように”できない理由”を探さない。
逆に”どうすればいいのか”を考える。
かつて自分が拒絶したロートニア、彼も前を向いて生きていた。
でもあたしは現実から逃げた。
失敗を恐れて。傷つくことを恐れて。
この魂は——全く違う。
「これがギャル...」
あたしが失ったもの。持てなかったもの。
この魂は全てを持っている。
前に進む勇気を。
他者のために自分を犠牲にする優しさを。
そして何よりも——恐れない心を。
余りにも眩しい。
あたしの心が、完全に奪われた。
「分かりました」
あたしは微笑んだ。
「貴方とレティシアの魂を融合させます」
「マジで!? やった~!」
女性が両手を上げて喜ぶ。
「ただし、、、一つだけお願いがあります」
「なに?」
「貴方が転生した後、私と友達になってください」
女性がキョトンとする。
そして——満面の笑みを浮かべた。
「もちろん! ”ルミぽよ”よろしくね!」
「ル、ルミぽよ...?」
「だめ?」
「いえ...嬉しいです」
光が女性の魂を包み始める。
転生の時が来た。
彼女の進むその先に何が待っているのか、あたしにも分からない。
でも確信できる。
この魂なら——レティシアの魂を救ってあげられる。
誰かを幸せにできる。
そして何よりも——。
あたしに、もう一度前を向く勇気をくれるかもしれない。
光の中で女性が手を振る。
「じゃあね、ルミぽよ! また向こうで会おうね!」
あたしも手を振り返した。
「はい——必ず」
光が消える。
女性の魂は、アスタリアのレティシア・リオネールへと転生していった。
あたしは一人、神界に残る。
でも——心は温かかった。さっきまで感じていた孤独はもうどこにもない。
久しぶりに感じる、希望という名の光。
そうして新たな物語が紡がれていく。




