第四十五話 公開処刑
大聖堂の地下牢に、月明かりが差し込んでいた。
高窓から見える夜空は、嫌になるほど澄み渡っている。満月があまりにも綺麗で逆に腹立たしい。
俺とお嬢様は、石造りの牢獄に座っていた。腰掛けているのは藁を敷いただけの固い床。壁には湿気が滲み、空気は冷たく澱んでいる。こんな場所に無実の少女を閉じ込めておいて、よくも女神の名を騙れるものだ。
手枷は外されていた。どうせ逃げられないという判断なのだろう。聖騎士たちは牢の外で見張っているが、その数は五人。全員、腰に剣を下げている。
俺は頭の中で何度も何度も脱出をシミュレーションした。母から学んだ技術を使えば、聖騎士たちを無音で制圧できる。牢の鍵を奪い、地下通路を突破——だが、その先には数百の聖騎士が待ち構えている。お嬢様を連れて逃げ切るにはリスクが大きすぎる。最後の手段だろう。
お嬢様は、俺の隣で月を見上げていた。
白い囚人服を着せられているが、それでもその姿には不思議と気品がある。金色の髪が月光を受けて輝き、碧眼は星のように澄んでいる。
「ルミぽよ…いよいよ明日だよー」
お嬢様が、いつもの軽い調子で何もない空間に話し掛ける。
明日、公開火刑。
王都中央広場で、お嬢様が火あぶりにされる。
そんな状況だというのに、お嬢様の声には緊張の色がない。いつもの天真爛漫な口調だ。
俺は、お嬢様の横顔を見つめた。
「お嬢様」
「んー?」
「依代は、没収されました」
俺の声は、自分でも驚くほど低く沈んでいた。
依代——女神ルミナが降臨するための器。古代神殿から命懸けで持ち帰った、あの光り輝く水晶。大司教ルーカスに取り上げられ、今頃は大聖堂の奥深くに厳重保管されているはずだ。
「女神様は......本当に降臨できるのでしょうか」
問いかけながら、俺は自分の無力さに歯噛みする。
いくらお嬢様に抵抗を制止されたとはいえ、肝心のお嬢様をこんな牢獄に閉じ込められ何もできずにいる。
お嬢様がまっすぐに俺を見据え、淀みなく答える。
「大丈夫」
にっこりと笑う。
「ルミぽよは約束を絶対に守る。そもそも、依代は呼び出すためのものじゃなくて降臨するための器なんよ」
「器......ですか…」
「ルミぽよがこっちで好きに顕現するのに、うちらの信仰が足りてないの。だから、実家のうちの部屋でしか顕現できなかった」
あの日の夜のことを思い出す。
白ギャルの女神。いや、女神の白ギャル………そんなことはどうでもいいか。
「だから、この世界に顕現するために依り代が必要だった。それも、女神の巫女であるうちが祈りを込めたやつ」
そういってお嬢様が自分の胸に手を当てる。女神の巫女……初めて聞く情報だが、そんなのはもう慣れっこだ。わざわざツッコむまでもない。
「で、もう祈りは込め終わってるから、依代は手元になくても大丈夫♪」
俺は、お嬢様の言葉を反芻した。
信仰——それは、お嬢様が誰よりも純粋に女神を想う心。
だが、それだけで本当に女神が降臨するのか。教会は数百年、女神の顕現を見ていない。それなのに、お嬢様一人の信仰で——
「信じて」
お嬢様が俺の手を握った。
その手は、冷たい石牢の冷気が染み込んでいるのに、何故か暖かい。
「明日、みんなが真実を知る。教会が間違ってるって、女神様が証明してくれる」
その声には、揺るぎない確信があった。
俺は、お嬢様の手を握り返した。
「......分かりました」
他に言葉が見つからない。
いや、正確には——言葉にする必要がないのかもしれない。
俺はお嬢様を信じている。それは、幼い頃から変わらない。お嬢様が不可能を可能にしてきたのを、何度も見てきた。
孤児院、医療制度、生活保護、街道整備、塩の製造、トロッコ——全て、常識では考えられないことばかりだ。
だから、きっと今回も。
「ねえ、クラウ」
お嬢様が、月を見上げたまま呟いた。
「もし、無事終わったら……みんなで、お祭りしよっか」
「......お祭り、ですか」
「うん。うちのパパもママも、クラウのパパさんもママさんも、リオネールのみんなだけじゃなく、国中でバカ騒ぎすんのw 美味しいもの食べて、たくさん笑って」
ポートランドで塩の精製に成功したときのようなイメージだろうか。お嬢様の声が熱を帯びる。
「私ね、みんなの笑顔が見たいの。辛いことも、悲しいことも、全部忘れられるくらい、楽しいお祭り」
俺は、お嬢様の横顔を見つめた。
明日、火刑台に立たされる。民衆の前で、火あぶりにされるかもしれない。
それでも、お嬢様は誰かの幸せを想っている。
自分のことよりも、周りの人たちの笑顔を。
「はい、必ず」
俺は、静かに答えた。
「お嬢様が望むなら、王国中の食材を集めて、盛大な祝宴を開きます」
「ほんと?」
「ええ。約束します」
お嬢様が、俺を見て微笑んだ。
「ありがとう、クラウ」
牢獄の外から、聖騎士たちの足音が聞こえる。交代の時間らしい。
俺は、壁に背中を預けた。
明日に備えて、少しでも体力を温存しなければ。
もし、万が一——女神が降臨しなかったら。
その時は、この命に代えてでもお嬢様を守る。
聖騎士全員をこの手で殺めても、大司教を人質に取ってでも、お嬢様だけは絶対に助ける。絶対に。
月明かりが、牢獄の床に模様を描いていた。
明日、全てが決まる。
―――
翌朝、大聖堂の鐘が鳴り響いた。
低く、重い音が王都全体に響き渡る。処刑の開始を告げる鐘だ。
牢獄の扉が開き、五人の聖騎士が入ってきた。
「時間だ。立て」
先頭の聖騎士が、冷たい声で命じる。
俺とお嬢様は立ち上がった。お嬢様は、相変わらず白い囚人服姿。だが、その背筋はまっすぐ伸びている。
聖騎士たちが、お嬢様と俺の腕を掴んだ。
地下牢の通路を進む。石段を上り、大聖堂の内部へ。ステンドグラスから差し込む朝日が、床に色とりどりの光を落としている。
本来なら美しい光景のはずだが、今は不気味にしか見えない。
大聖堂の正面扉が開かれた。
外から、ざわめきが聞こえてくる。
民衆の声——怒り、悲しみ、困惑が入り混じった、巨大な波のような音。
扉を抜けると、眩しい朝日が俺たちを照らした。
王都中央広場。
目の前には、数万人の民衆が集まっていた。広場を埋め尽くす人、人、人。
その視線が、一斉に俺たちへ向けられる。
広場の中央には、火刑台が設置されていた。
高さ三メートルほどの木製の台。中央に太い柱が立ち、その周囲には薪が山積みにされている。柱には鎖が巻きつけられ、火をつけるための松明が何本も用意されていた。
俺とお嬢様は、聖騎士たちに連行される形で広場へ進む。
民衆の声が、耳に入ってきた。
「レティシア様が魔女だなんて......そんな訳ないだろう」
「あの方のおかげで、我々は美味しい味のあるご飯が食べられるようになったんだ」
「トロッコで物価が下がった。今まで買えなかった食材が手に入るようになった」
「教会がおかしい。レティシア様は何も悪いことをしていない」
民衆の多くがお嬢様を慕い、怒りと悲しみの声が広場中に渦巻いていた。
それを見て、教会の聖職者たちが必死に説教を始める。
「秩序を乱す者には、神の裁きが下る!」
「女神の教えに背く者は、炎で浄化されるのだ!」
「あの罪人は、古代の禁忌を犯し、神の領域を侵した!」
だが、民衆の表情は冷たい。
誰も、教会の言葉を信じていない。
俺は、周囲を観察した。
広場の東側——リオネール家の面々が立っている。騎士たちが整列しいつでも動ける態勢だ。
西側——王宮の騎士たち。国王直属の精鋭部隊。こちらも臨戦態勢。
南側——クロネコ急便の制服を着た人々。エドウィンの指示で配置されたのだろう。
北側——冒険者ギルドの連中。ポートランドで知り合った面々も混じっている。
教会以外の全てが、お嬢様の味方だ。
だが、警戒しているのか教会の警備も想像以上に厳重である。
大聖堂の周囲には、純白の鎧に身を包む数百の聖騎士が配置されている。当然のように全員が武装している。
俺は、火刑台へ向かいながら視線を巡らせた。
その時——大聖堂の貴賓席、最上段の特別な席に、見慣れぬ二人の人物を発見した。
金糸で刺繍された豪華な法衣。胸には六翼の聖光に王冠を重ねた特別な紋章——あれは、エル・ルミナ大聖堂の紋章だ。
王都の大司教ルーカスが、彼らの前で深々と頭を下げている。
その周囲には、見たこともない装飾の聖騎士たち。鎧の輝きが、王都の聖騎士たちとは明らかに違う。
エル・ルミナ教の総本山、西の大国エリュシュア聖国の中央教会のお偉いさんだろうか。
警戒を強めると同時に、俺は違和感を覚えた。
処刑が決まったのは二日前。それにも関わらず、エリュシュアからの来賓が到着している。
西大陸から王都までは、最速の船でも一週間はかかるはずだ。
つまり——もっと前から処刑は決まっていたというのだろうか。
お嬢様を火刑台に送ることが最初から計画されていたとしたら………
俺の中で怒りが膨れ上がりそうになるが、瞬時に深く呼吸し心を落ち着かせる。今は冷静にならなければならない。
疑問に蓋をして、すぐに目の前のことに集中する。
火刑台へ到着。
聖騎士がお嬢様の腕を掴み、階段を上らせようとする。
その時——聖騎士の手が、お嬢様の腕を乱暴に引っ張った。
それを見た瞬間、俺の視界が赤く染まる。
殺意——それは、生まれて初めて感じる純粋な衝動。直前に取り戻した冷静な思考がすぐに吹き飛ぶ。
この手枷を引きちぎり、あの聖騎士を張り倒し、大司教も、本部から来た連中も、この教会の人間全てを——
筋肉が膨張する。手枷が、ミシリと音を立てた。
周囲の聖騎士たちが、俺の変化に気づいて剣に手をかける。
殺せ。
全員、この場で——
「クラウ!!」
「…………!?」
遠くからお嬢様の声が聞こえた。
「大丈夫だってばw」
笑顔—いつもの、あの天真爛漫な笑顔。
その笑顔が、俺の怒りを静める。
視界から赤い霧が晴れる。膨張していた筋肉が、元に戻る。
俺は、深く息を吐いた。
「......はい」
短く答える。
冷静さを取り戻す。
お嬢様を信じろ。
それが、俺の役目だ。
お嬢様は、聖騎士に連れられて火刑台の階段を上る。
柱の前に立たされ、鎖で縛り付けられた。
民衆から、悲鳴が上がる。
「やめろ!」
「レティシア様は無実だ!」
「教会が間違ってる!」
怒号が、広場を揺らした。
そん民衆の声を一切無視して、処刑は進んでいく。
俺は、火刑台から十メートルほど離れた場所に連れて行かれ、両腕を聖騎士二人に押さえつけられた。
手枷をつけられたままだが、本気を出せば引きちぎれる。だが、今はまだその時ではない。
お嬢様が俺を見て、俺にしか分からない程度の頷きを見せる。
その瞳は穏やかで、大丈夫——そう語りかけているようだった。
俺は信じる。
お嬢様を、女神を、そして——この先に待つ未来を。
―――
広場の北側、とある建物の屋上。
人影が二つ、身を潜めていた。
ドワーフのグリムと、エルフのセリオスだ。
「お嬢ちゃんからの依頼、いよいよだな」
グリムが、足元に描かれた魔法陣を確認する。
「あいかわらず無駄の一切ない絵画のような魔法陣じゃ」
「お主の生み出す彫刻の様な繊細な器があってこそだ」
複雑に入り組んだ紋様。ドワーフの技術とエルフの魔術が融合した、特別な魔法陣だ。
互いに一通り称え合ったあと、セリオスが隣に設置された魔導装置に手を置く。
装置の中心には魔光石が嵌め込まれており、あとはボタン一つで全てが動き出す。
二人は静かにその時を待つ。




