第四十話 古代神殿の試練 ー前編ー
王都から東へ馬車を三日走らせた先に、その遺跡は聳え立っていた。
古代神殿ー
苔むした石壁は数百年の時を刻み、崩れかけた柱が幾つも散らばる光景は、かつてここに栄えた文明の残骸を物語っている。だが、その威圧感は時を経ても色褪せていない。むしろ、朽ちかけた外観が却って神秘性を増幅させている。
俺たち四人は馬車を降り、神殿の入口へと歩を進める。
「うわー、マジでヤバくない? めっちゃデカいんだけど」
お嬢様が目を輝かせながら神殿を見上げる。その隣でオクタヴィア嬢が緊張した面持ちで佇んでいた。
「レティシア様、本当にこの中に女神様の依代が……?」
「ルミちゃん自身がそう言ってたから間違いなっしょ! もう手に入れたようなもんだね!」
お嬢様の前向きさは相変わらずだ。俺とセバスチャンは互いに頷き合い、警戒態勢を整える。
神殿の入口には、この世界では見慣れぬ文字が刻まれている。複雑な曲線と直線が組み合わさった古代文字だ。オクタヴィア嬢もセバスチャンも首を傾げている。
だが、お嬢様が何の躊躇もなく近づき、その文字をすらすらと読み上げた。
「『四つの魂、四つの道。それぞれが己を知り、共に進むとき、光は手に入る』……って書いてあるね」
三人が一斉にお嬢様を見る。
「お嬢様、読めるのですか?」
「えっ、普通に読めるけど? で、どういう意味なのこれ? 四つの魂って、うちら四人のこと?」
「おそらくは。四人必要という条件に合致します」
「マジか! グレっちの言った通りじゃん! これうちらのためにあるみたいだね!」
グレっち…おそらくグレゴール卿のことか。
「警戒を。魔物が出る可能性もあります」
そう注意を促し、剣の柄に手を掛けながら神殿内部へと足を踏み入れる。
ちなみに、馬車を降りる前からお嬢様が我々にバフを掛けてくれている。今までと比べ明らかに体の動きがスムーズになっている。これがお嬢様の修行の成果なのだろう。
「魔力をそれぞれに留まらせておくから、あたしと離れてもしばらくはバフの効果残るよー」
新しい杖の効果も含めて、レベルアップしたお嬢様の魔法は我々にとって非常に大きなアドバンテージとなりそうだ。
薄暗い廊下が続く。壁には複雑な魔法陣が幾重にも刻まれ、淡い光を放っている。空気は冷たく湿っており、長い間人の手が入っていないことを物語っている。
足音だけが廊下に響く中、俺たちは更に奥へ奥へと進んでいく。
やがて開けた場所に出た。大広間だ。
高さは優に十メートルを超え、天井には幾何学模様の様な複雑な魔法陣が何重も描かれている。そして部屋の中央にも巨大な魔法陣が床一面に広がり、そこから四方に扉が配置されていた。
それぞれの扉には異なるシンボルが刻まれている。グレゴール卿の事前説明の通りだ。
光――純白の輝き。
炎――燃え盛る紅蓮。
影――深い闇色。
水――静かな蒼。
「これって……」
オクタヴィア嬢が呟く。
お嬢様は中央の魔法陣に近づいていく。
「お嬢様、危険かもしれません」
俺が制止しようとした瞬間、お嬢様は既に魔法陣に手を伸ばしていた。
「大丈夫大丈夫! ルミちゃんが危ないことさせるわけないって」
それを言ってしまうと一週間の修業期間が無意味だったのでは?、と一瞬頭を過ぎったが、強くなることに無駄な事などないだろうと自分を納得させる。
お嬢様の指先が魔法陣に触れた瞬間、辺りに光が走る。
魔法陣全体が眩い光に包まれ、広間全体が揺れる。俺は咄嗟にお嬢様を庇う姿勢を取るが、しばし様子を伺うが、攻撃的なものではないと判断し動きを止める。
そして、広間に不思議な声色が響き渡った。
『試練を受ける者よ、それぞれの道を進め。己を知り、仲間を信じるとき、道は開かれる』
荘厳で、どこか温かみのある声。女神ルミナのものとは違うが、神聖な力を感じさせる。
四つの扉が同時にゆっくりと開いていく。
「早速別行動、ですか」
予想はしていたが、いざ目の前にすると心配になる。お嬢様は大丈夫だろうか…。
セバスチャンが中央の魔法陣を調べ始める。彼の魔力感知能力は俺より優れている。
「それぞれ確認しましたが、この神殿の別の部屋への転移装置で、特に危険はないと思われます」
お嬢様が安堵の表情を浮かべる。
「みんな、自分の試練頑張ろ! 絶対クリアして、ルミちゃんの依代取ってくるんだから!」
その言葉に、オクタヴィア嬢とセバスチャンが頷く。
それぞれ事前に決めていた通り、自身に関連した属性の扉の前に立つ。
光の扉――お嬢様。
炎の扉――オクタヴィア嬢。
影の扉――俺。
水の扉――セバスチャン。
「じゃあ、張り切っていってみよー!」
お嬢様の掛け声と共に、四人はそれぞれの扉へと足を踏み入れる。
扉が閉まる音が背後で響いた。
―――
影の廊下。
それが、俺の試練の場だった。
松明の光すら届かない、完全なる闇。いや、正確には松明を灯しても光が闇に吸い込まれていく。通常の暗闇とは質が違う。これは魔法的な闇だ。
俺は剣を抜き、警戒態勢を取る。
足音が闇に吸い込まれ、何の反響も返ってこない。距離感が掴めない。視覚に頼れない状況で、俺は聴覚と気配を研ぎ澄ませる。
母から学んだ暗殺術が、こんなところで役立つとは。
前方に、何かの気配。
人の形をした影が、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
その影が、光の中に姿を現した。
お嬢様だ。
いや、違う。お嬢様に似ているが、どこか冷たい雰囲気を纏っている。
「クラウス」
その声は確かにお嬢様のものだった。だが、温かみが欠けている。
「……お嬢様?」
俺は警戒を緩めない。これが試練である以上、何らかの罠だろう。
影のお嬢様が、真っ直ぐ俺を見つめる。
「私のために死ねる?」
その問いに、俺は一瞬沈黙した。
執事として、お嬢様のために命を捧げる覚悟はある。それは間違いない。
だが――
「いいえ」
俺は静かに答えた。
影のお嬢様が、僅かに目を見開く。
「……何故?」
「お嬢様のために"生き"ます。死んでは、お嬢様を守れませんから」
それが、俺の答えだ。
確かに忠誠は命を捧げることかもしれない。だが、それは最後の手段であるべきだ。生きて、お嬢様を守り続けること。それこそが真の忠誠ではないのか。
死ぬのは簡単だ。だが、生き抜くことの方が遥かに難しい。
影のお嬢様が、ふっと微笑んだ。そして光の粒子となって消えていく。
広間に声が響く。
『忠誠とは命を捧げることにあらず。生き抜くことにあり』
その言葉と共に、闇が晴れていく。廊下が淡い光に包まれ、奥に扉が現れた。
俺は剣を鞘に収め、扉へと向かう。
試練、突破だ。
―――
扉を抜けると、不思議なことに入ったはずの扉から再び大広間に戻っていた。
ほぼ同時に、他の三人も各々の扉から現れる。
「みんな! 無事だった!?」
お嬢様が真っ先に駆け寄ってくる。その表情に疲労の色はあるが、怪我はないようだ。
「ええ、問題ありません」
「皆様もご無事で……」
オクタヴィア嬢も安堵の表情を浮かべる。その手には大剣が握られており、汗が額に滲んでいる。戦闘があったのだろうか。
「試練、突破できました」
セバスチャンがそう告げた瞬間、俺を見つめる彼の頬が僅かに紅潮しているのに気づく。
何があったのかは聞かないでおこう。最近あいつが俺を見る目が気持ち悪いのは気のせいだろうか。
俺は真実から目を逸らすように、先へと視線を向ける。
中央の魔法陣が、先ほどより遥かに強く輝いている。そして大広間の奥、今まで何もなかった空間に扉が現れ、ゆっくりと開いていく。
『先へ進め』
先程の声が再び響く。
「次いってみよー!」
お嬢様が元気に叫び、奥の扉へと駆け出す。
俺たちも後に続く。
扉の先には、螺旋階段が続いていた。下へ、さらに深く。
「うわ、まだ下があるんだ」
「おそらく、依代は最深部に安置されているのでしょう」
俺がそう答えると、お嬢様が頷く。
階段を降りていく。壁には青白い光を放つ魔法陣が無数に刻まれており、足元を照らしている。
どれほど降りただろうか。
やがて階段が終わり、再び広間に出た。
だが、先ほどの大広間とは比べ物にならない広さだ。天井は見えないほど高く、柱が何本も立ち並んでいる。そして中央には、巨大な祭壇が鎮座していた。
祭壇の上には、光り輝く水晶が安置されている。
「あれが……依代?」
オクタヴィア嬢が呟く。
「おそらくは」
セバスチャンが頷く。
俺たちは警戒しながら祭壇へと近づく。
だが、その瞬間――祭壇の前に、巨大な石像が置かれていることに気付く。
全身を漆黒の鎧で覆った人型の何か。”依り代”最後の番人、守護者だ。
その手には巨大な剣が握られており、俺たちを威圧するように立ち塞がる。
「守護者……!」
オクタヴィア嬢が剣を構える。
「やっぱダンジョンと言えばボス戦だよねー! よっしゃ、いっくよー!」
お嬢様が杖を構え、俺たちに支援魔法を掛け始める。
俺とセバスチャンは互いに頷き合い、愛刀を抜く。
先程の試練だけで終わる訳がない。古代神殿の試練は、これからが本番である。




