第三十九話 出発前夜
お嬢様達を乗せた馬車が、王都のリオネール邸に到着したのは夕暮れ時のことだった。
俺は玄関の石段に立ち、執事として主の帰還を待つ。隣には身体中包帯だらけのセバスチャンが、背筋を伸ばして佇んでいる。六日間の地獄の修行は終わったが、その代償は身体のあちこちに刻まれていた。
包帯が巻かれた左腕、打撲の痕が残る頬、それでも俺たちは執事としての矜持を保ち、主人を出迎える準備を整えていた。
回復魔法を使えば完治する傷ばかりだが、回復魔法は使えば使うほど効果が薄くなるため、動ける程度の傷であれば自然治癒に任せることの方が多い。
馬車の扉が開き、最初に降りてきたのは我が家のお嬢様だった。相変わらずの金髪巻き髪である。その後ろからオクタヴィア嬢が続く。二人とも見慣れぬ新しい装備を携え、意気揚々とした表情で馬車から降りてくる。
「ただいまー! クラウお久ー!!」
お嬢様の軽い口調が懐かしい。だが次の瞬間、その表情が凍りつく。
「……ちょ、クラウ!? 何その姿!?」
絶句するお嬢様の視線が、俺とセバスチャンを交互に見る。確かに俺たちの姿は、お世辞にも無事とは言えないだろう。包帯だらけ、あちこちに打撲の痕、セバスチャンに至っては右目の周りが青黒く腫れている。
「…修行の成果です」
俺は淡々と答える。父親に殆ど手も足も出なかったとは言いたくない。
「問題ありません、お嬢様」
セバスチャンも同じ気持ちらしい。
「セバス、貴方も……」
オクタヴィア嬢が心配そうに執事を見つめる。
お嬢様が慌てて駆け寄ってくるが、大丈夫なものは大丈夫なのである。
「ちょっと、大丈夫なの!? アーロンさんとマリアさん、何したの!?」
「一週間、みっちり鍛え直していただきました」
俺の口元に邪悪な笑みが浮かぶ。あの地獄を思い出すと、自然と表情が歪む。地龍との戦い、数百メートルの崖登り、デバフ魔法を掛けられた状態での組手、そして母上の容赦ない暗殺術の実地訓練。どれも二度と経験したくない代物だが……確実に俺たちは強くなった。
「うわ……その顔、マジでヤバいことあったっぽいんだけど……」
お嬢様が引き気味に呟く。
「お嬢様、室内でお話ししましょう」
俺は姿勢を正し、主を屋敷へと促す。
王都のリオネール邸会議室は、装飾を抑えた実用的な空間だった。大きな円卓が中央に据えられ、壁には王国全土の地図が掛けられている。俺たちは四人でテーブルを囲んで座った。
「じゃあまずはうちらから! グリちゃんとセリちゃんが作ってくれた装備、見て見て!」
お嬢様が目を輝かせながら、背負っていた布包みから杖を取り出す。
白銀の柄に螺旋状の装飾が施され、先端には魔光石が埋め込まれている。淡い光を放つその杖は、明らかに尋常ではない魔力の流れを感じさせる。俺は包帯越しに杖を手に取り、その構造を確認する。
「見事な出来です。魔力の循環システムが組み込まれている……ドワーフとエルフの技術が完璧に融合していますね」
杖の内部には、魔力を増幅し循環させる魔法陣が幾重にも重なっている。グリムの精密な金属加工技術と、セリオスの高度な魔法陣設計が見事に調和した傑作だ。
「でしょでしょ! しかもこれ、回復魔法も強化されるんだよ! エルにゃんが監修したって!」
お嬢様が得意げに語る。
「こちらもグリム様とセリオス様が……」
「こ、これは……」
オクタヴィア嬢が、何故かやや恥ずかしそうに大剣を取り出す。”ルミナス・ヴァルキリア”と名付けられたその剣は、刀身に複雑な魔法陣が刻まれている。
お嬢様の杖も見ただけでその性能が伝わってくる一品だが、オクタ嬢の大剣は率直にいって次元が違う。底知れぬ力を感じさせる…。
「お嬢様方も強くなられたんですね」
セバスチャンが感心したように呟く。
「武器だけじゃないよー!! エルにゃんとバルにゃんにめっちゃ特訓されたもん!」
お嬢様が胸を張る。その表情には、確かに以前とは違う自信が宿っていた。
「五十キロ走らされたり、魔力を全身に均等に流す訓練したり、マジで地獄だったんだから!」
「……五十キロ、ですか」
俺は思わず眉を上げる。運動不足のお嬢様が五十キロ。バルド師匠の容赦のなさが窺える。
「うん! でもおかげで、バフの精度めっちゃ上がったよ! 楽しみにしててね♪」
そしてお嬢様の視線が、俺たちに向けられる。
「で、クラウたちはどうだったの? その包帯だらけの姿、説得力ありすぎなんだけど」
俺とセバスチャンは視線を交わす。あの六日間をどう説明したものか。
「……一応、執事長とメイド長からは合格をいただくことはできました」
俺は淡々と答える。最終日、父親の頬に拳を届けた瞬間を思い出す。あれは確かに、俺の成長の証だった。
お嬢様が目を見開く。
「マジで!? あの二人が合格を!?」
「ええ、執事長はまだ不満げではありましたが一応……」
それは事実だった。デバフ魔法を掛けられた状態でも、地龍を倒し、崖を登り、父上と母上の猛攻に耐えた。
「すごっ……クラウ、マジでレベルアップしてんじゃん」
「お嬢様のためですから」
俺は微笑む。包帯越しでも、その想いは変わらない。
会議室の扉が開く。
「話は聞かせてもらったぞ」
陛下が、旦那様と奥様、そして俺の両親を伴って入ってくる。父上と母上は修行場から一緒に王都へ戻ってきた。
俺たちは慌てて立ち上がり、一礼する。
「陛下」
「まあまあ、堅苦しいのは抜きだ。今日は作戦会議だからな」
堅苦しいのは抜きにしても、いくら旧友といえど部下の家を訪れるのはやめて欲しい。心臓に悪い。
旦那様が王国全土の地図を広げる。
「古代神殿はここです。王都から東へ馬車で三日の距離になります」
地図上の印を指差す。王都から東、山岳地帯の奥深く。そこに光の依代が眠る古代神殿がある。
「準備は整たようだな」
陛下が俺たち四人を見渡す。
「完璧! いつでも行けるよ!」
お嬢様が元気よく答える。その隣でオクタヴィア嬢も頷く。
「レティシア……無茶はしないでね」
セシリア夫人が心配そうに娘を見つめる。母親としての愛情が、その瞳に溢れている。
「大丈夫だよママ! クラウがいるもん!」
お嬢様が屈託なく笑う。
旦那様の視線が俺に向けられる。その目には、執事への信頼と、娘を守れという無言の圧力に加え、娘に手を出したらただじゃ済まさん、という決意が込められていた。
「クラウ、娘を頼む」
「必ずお守りいたします。そして指一方触れません」
俺が即座に答えると旦那様は満足そうに頷いていた。要求が多い気がする。
父上が歩み寄ってくる。その表情は厳しいが、目の奥には息子への期待が宿っている。
「命に代えてもお嬢様をお守りしてきなさい」
「はい、父上」
母上が柔らかく微笑む。
「クラウ、セバスくん、二人も気をつけてね♡」
その笑顔の裏に狂気が隠されていることを知ったセバスチャンが隣で震えている。
陛下が真剣な表情で告げる。
「レティシア嬢、オクタヴィア嬢。クラウスもセバスチャンも必ず無事戻って来い――その上で、依代は王国の未来に関わる。慎重に、だが確実に手に入れてくれ」
「任せて! ルミちゃんのためにも、絶対成功させるから!」
お嬢様の決意に満ちた言葉が、会議室に響く。
―——
リオネール邸の執務室で、俺は最終確認の書類に目を通していた。古代神殿の情報、必要な装備品のリスト、緊急時の連絡手段。全てを頭に叩き込む。
コンコン、とノックの音。
「クラウ、入っていい?」
お嬢様の声だ。
「どうぞ」
扉を開きお嬢様を招き入れる。旦那様対策として扉は開け放っておく。
夜会服ではなく、シンプルな室内着姿のお嬢様。その表情には、昼間の明るさとは違う、どこか不安げな色が浮かんでいた。
「本当に大丈夫? まだ包帯取れてないけど」
「問題ありません。むしろ、この一週間の修行の成果を早く試したいくらいです」
俺は微笑む。確かに身体はまだ完全には回復していないが、戦闘には支障ない。
お嬢様が窓辺に歩み寄り、夜空を見上げる。月明かりが彼女の金髪を淡く照らす。
「……ルミちゃん、待っててね。必ず依代取ってくるから」
その横顔には、女神への友情と、民を守るという使命感が混ざり合っていた。
「お嬢様なら、必ず成功させます」
俺は静かに告げると、お嬢様が振り返りいつもの優しい笑みを浮かべる。そしてふと、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ねぇクラウ、修行でマジでどんなことあったの? その包帯の下、絶対ヤバいことなってるでしょ」
離れていた約一週間、お嬢様は俺とセバスチャンの修行に興味があるようだ。
「親父…執事長に崖下に蹴り落されて、地龍と戦いました」
「は!? 崖下? 地龍!? あの超デカい奴!?」
「ええ。デバフ魔法を掛けられた状態で、二体と」
「二体!? マジで死ぬやつじゃん! アーロンさんとマリアさん、何考えてんの!?」
お嬢様が素で驚く。
「まあ、生きて帰ってきましたから、問題ないかと」
「問題ありすぎでしょ!」
それから少しの間、お嬢様と俺は離れていた間の報告をし合う。
途中、オクタ嬢の大剣による変形とか巨大ロボとかよく分からない話もあったが、他愛もない話で大分気が楽になった気がする。気が付かないうちに緊張していたのかもしれない。
「お嬢様、明日は早朝出発です。そろそろお休みになられた方が」
「あー、そだね。じゃ、おやすみクラウ」
「おやすみなさいませ、お嬢様」
お嬢様が部屋を出ていく。その背中を見送りながら、俺は明日からの旅路に想いを馳せる。
古代神殿。光の依代。女神ルミナの願い。
窓の外、月が静かに輝いている。明日から始まる新たな冒険に向けて、俺は静かに目を閉じた。




