第三十四話 子の心親知らず
修行四日目の朝。修行場へ向かう足取りは重い。セバスチャンと並んで、互いに言葉を交わす余裕もなくただ黙々と歩く。
到着すると、我が愛しの父親と母上が既に待ち構えていた。初日と全く同じ佇まい、まるで疲れた様子は見えない。化け物どもめ…。
「始めるぞ」
何の飾り気もない必要最低限の会話。ただ淡々と告げるだけ。
「クラウスは私と。セバス君はマリアと」
二日目からこの組み分けが続いている。初日は二人がかりで父親と母親、それぞれに挑んだ。どうやらあれは、組み合わせを判断するためのものだったようだ。
俺は父親の前に立つ。セバスチャンは母上の前へ。
「ルールは変わらん。私たちに一撃でも入れれば終わりだ」
簡単に聞こえる。だが——この四日間、一度たりとも達成できていない。
「始める」
父親の言葉に構えた瞬間、視界が回転していた。
地面に叩きつけられ背中に鈍い衝撃。呼吸が止まる。
「遅い」
父親の声が遠くから聞こえる。
立ち上がろうとするが、身体が言うことを聞かない。骨が軋む音がする。連日の過酷な訓練に筋肉が悲鳴を上げている。
それでも立ち上がる。立ち上がらねばならない。
再び挑む。速度を上げ父親の懐に潜り込もうとする。
が——気付けばまた地面。
「甘い」
今度は横腹に衝撃。肋骨が折れたかもしれない。呼吸するたびに鋭い痛みが走る。
視界の端で、セバスチャンも同じように地面に転がっている。母上の攻撃を避けきれなかったようだ。
「セバス君、ほら避けないと」
母上の声は相変わらず穏やかでメイド服にも一切の乱れがないが、攻撃には一切の容赦を感じられない。
セバスチャンが呻く。
「くっ……!」
立ち上がろうとする彼を、母上が背後から蹴り飛ばす。
「目の前にいたはずなのに、どうして背後から攻撃されるのかしら?」
母上の笑顔。天使のような笑顔で悪魔の所業。
セバスチャンが地面を転がる。
意識が遠のきかけるセバスチャン。だが——
「はい、回復〜♪」
母上の光魔法が二人を包む。
折れた骨が繋がり裂けた筋肉が修復される。気を失う事すら許されない。
肉体的なダメージは回復しても、精神的な消耗は癒されない。
そしてまたすぐに始まる組手。
父親に挑む。拳を振るい蹴りを繰り出す。しかし全て読まれ、全て防がれ、そして反撃される。
「弱い」
地面に叩きつけられる。
立ち上がり挑みまた倒される。そして回復されまた挑む。
地獄だ。終わりが見えない。
いつまで続くのか。いつ終わるのか。
一撃でも入れれば終わるのだが、それが途方もなく遠い。
暗闇の向こうからセバスチャンの悲鳴が聞こえる。母上に翻弄されている。
俺も同じだ。父親にやりたいようにやられている。
気付けば辺りは暗くなり、今が何時なのかもわからない。
「今日はここまでだ」
父の言葉にようやく倒れることが許される。もう動きたくない。
―——
その後、粗末な小屋に移り俺とセバスチャンは向かい合って座っていた。
食事が並んでいる。食欲はないが、それでも食べねばならない。身体を維持するために。
無理矢理、喉に食事を突っ込む。ただ噛んで飲み込むだけの作業。
セバスチャンが呟く。
「……マリア様の攻撃が、全く読めません」
普段なら無視するような泣き言だが、今は責める気にはなれない。俺も同じようなことを考えていた。
「……確かに母上は"毎回"あり得ない所から攻撃してくるな」
目の前にいたはずなのに背後から。右にいたはずなのに左から。上から来ると思ったら下から。
予測不可能。だから避けられない。
セバスチャンが顔を上げて俺を見つめている。男に見つめられて悦ぶ趣味はない。気持ち悪い
「……"毎回"」
そんな俺の悪態に気付かずセバスチャンは何かに気づいたような表情。
セバスチャンがぶつぶつと何か小さく呟いている。
「"毎回"いない所から……」
そういうことか。
予想できないとはいえ、"毎回"予想できない場所から攻撃してくる。
逆に言えば——予想できる場所からは攻撃してこない。
ならば——予想できない場所を"予想"すればいい。
矛盾しているようだが、母上の行動パターンには確かに法則がある。「予想できない場所」という法則が。
セバスチャンが俺を見つめて頬を染め抱き着いて来る。俺は変な悪寒に襲われセバスチャンを躱す。疲れいるのだから無駄な動きをさせないで欲しい。
「クラウス殿……ありがとうございます」
何故か名残惜しそうなセバスチャンに礼をう言われる。
「別に俺は何もしていない」
「いえ、気付かせていただきました」
彼は少し考えた後、口を開く。
「クラウス殿、差し出がましいとは思いますが…一つ指摘させていただきます」
「……聞こう」
「アーロン殿とクラウス殿は、戦い方が非常に似ている。いや、むしろ瓜二つです」
それは——わかっている。
父親は俺の師だ。特に体術は全て父親から学んだ。
だから——戦い方が似るのは当然だ。
「であるならば、真正面の勝負では経験とフィジカル差は簡単には覆せない。少なくとも現時点では」
セバスチャンの言葉が胸に刺さる。
その通りだ。真正面から挑んでも、父親には勝てない。経験も技術も、全てにおいて上回られている。
「不本意でしょうが、搦め手も考慮すべきです。クラウス殿の本懐のためにも」
搦め手。正々堂々とは言えない手段。だが——
俺は僅かに目を見開く。
そうだ。その通りだろう。
俺の本懐は——父親に勝つことではない。
お嬢様を守ることだ。
そのためならば、自らのプライドなど捨て去らなければならないことだってある。正々堂々も、卑怯も関係ない。
ただ——お嬢様を守れるかどうか。それだけだ。
「……感謝する」
セバスチャンが気持ち悪く微笑む。
「言葉は結構です。宜しければ一緒に湯浴みでも―
「気持ち悪い。こちらを見るな」
「……………」
互いに一筋の光明が見えた。
一撃を入れる。そのために——あらゆる手段を使う。
修行五日目。
父親と母上に、それぞれ対峙する俺とセバスチャン。
昨日までと同じ光景だが、昨日までとは明らかに自分達の目つきが変わっているのが分かる。
それを感じ取ったのかは分からないが、今日は珍しく父親から仕掛けて来る。
俺はそれを避けながら頭の中では別のことを考えている。
(ここで足を払えば……いや、単純すぎるか)
父親の攻撃を受け流し反撃する。
だが——それは囮だ。
本命は別にある。
(ならば……体術を捨て不意打ち気味に剣に切り替えるか? いや、それも父親なら対応できる)
そんなことを考えながら、今日も地面に叩きつけられる。
「遅い」
父親の声。
だが——俺は諦めない。
立ち上がり再び挑む。そして頭の中でイメージを重ねていく。
(右から攻撃して、避けられた瞬間に左足で蹴る? いや、それも読まれる)
(ならば——魔法を使うか? だが父親は魔法も使える。魔力量でも負けている)
(待て。魔法……そうだ、母上から学んだ"あれ"なら)
地面に叩きつけられる。
「甘い」
イメージを重ねる。何度も。何度も。
視界の端で、セバスチャンも同じことをしているのがわかる。
母上の攻撃を喰らいながらもパターンを分析している。
(三撃目の後、必ず右に移動する……)
反撃に出ずただひたすらに観察している。そう、ただ一撃を浴びせるためだけに。
気を取り直して目の前の父親に集中し直す。
(最初の一撃は必ず上段から。二撃目は中段。三撃目は……下段か? いや、違う。三撃目は"見せかけ"だ)
(本命は四撃目。そこで決めにくる)
(ならば——三撃目の後、一瞬の隙がある。そこを狙う)
(だが——どうやって?)
地面に叩きつけられる。
「弱い」
イメージを重ねる。
(三撃目の後。四撃目の前。一瞬の隙)
(そこに——"あれ"を使う)
(母上から学んだ、暗殺術の"あれ")
(気配を消す。存在を消す。そして——)
また地面に叩きつけられる。
だが——もう絶望はない。
何度倒されても、何度地面に叩きつけられても——俺には目標がある。
お嬢様を守る。そのために強くなる。
一撃を入れる。そのために——あらゆる手段を使う。
「ふむ…目つきが変わったな」
初めて——父親が俺を評価する言葉を口にした。
俺は答えない。会話している余裕なんてない。
父親が、他人が見れば表情の変化に気付かないレベルで僅かに微笑む。
「ならば——もっと厳しくいくぞ」
次の瞬間、父親の速度が3段階上がる。
今までとは比較にならない速さ。
避けられない。受け流せない。
地面に叩きつけられる。
だが——俺は笑っていた。
父親が本気を出し始めた。
それは——俺を認めたということだ。ならば——俺も応えねばならない。
立ち上がる。構える。頭の中でイメージを重ねる。
何度も。何度も。
一撃を入れる。そのために——全てを懸ける。
その日の訓練が終わる頃には、昨日までと同様二人とも地面に倒れ込んでいた。
だが——昨日までとは違う。そこに絶望も諦めもない。
ただ——明確な目標がある。
父親が俺を見下ろす。
「ふむ、明日の最終日期待てしているぞ。せいぜい父を楽しませて欲しいものだ」
母上がセバスチャンを見下ろす。
「セバス君も、期待しているわよ」
二人、満足そうに微笑む。
そして——
「明日はもっと厳しくするぞ」
「私ももっと痛くするわね」
二人の声が重なる。
俺とセバスチャンは顔を見合わせ、そして小さく頷く。
お嬢様を守るために、俺はどこまでも強くなる。




