第三十三話 執事は我が子を千尋の谷に落とす
リオネール領の山奥。断崖絶壁に建つ古い修行場。目が覚めるとそこに転がされていた。
薄暗い。
まだ朝の五時前だろうか。地面に無造作に放置され身体の痛みで意識を取り戻すと、少し遅れて同じく転がされていたセバスチャンも目覚める。
「……え? あれ? ここは??」
隣でセバスチャンが混乱している。まぁこの反応が普通だろう。
「は? クラウス殿、ここは一体……」
思い出す。昨夜、父上が「まず死ね」と宣告した直後、意識が途切れた。母上が何かをしたのだろう。
「…!? しまった! まずい!」
気付くのが遅かった。いや、気付いたところで結果は変わらないのだが心構えが違う。まぁ奴からすればそれも狙いなのかも知れないが…。
振り向くと既に蹴りのモーションに入っている父親の姿がゆっくりと流れる。走馬灯である。
言葉を紡ぐ暇はなかった。
父親のつま先が俺の腹に突き刺さり崖下に突き落とされる。
「うわああああああ!」
すぐにセバスチャンの悲鳴も続き、二人仲良く闇の中へ落ちていく。
風が耳を切り裂く。身体が浮く。内臓が浮く。
上の方から母上の声が響く。
「地龍がいるから気を付けてね〜♪」
明るい声だ。まるで、遠足に行く子供に注意するような。
父親の声も続く。
「ついでだ」
足元に魔法陣が展開される。
全身に重圧がのしかかる。魔力が、体力が、半分になる感覚。
「エルド印のデバフ魔法の巻物だ。感謝するがいい」
感謝する要素が一切ないのだが。
岩肌が迫る。飛び出した木の枝。身を捻るが、デバフによるステータスの低下の影響で反応が間に合わない。
枝が肩を裂き痛みが走る。
セバスチャンが叫ぶ。
「く、クラウス殿! これは修行ではなく殺人では!?」
「いや、そもそもあの悪魔たちはこんなもの修行とすら思っていない。冷水をぶっかけるくらいの感覚だ」
「…………」
セバスチャンが絶句している。
数百メートル落下しただろうか。
ようやく底が見えてきた。水面だ。川か湖か。
そして——巨大な影が二つ。
地龍だ。
体長十メートルを超える漆黒の鱗に覆われた龍が、こちらを見上げている。低い唸り声。口から溢れる炎の息吹。
最悪だ。
水面に叩きつけられる。
全身に衝撃が走る。水が肺に入る。必死に水面へ浮上し、岸へ這い上がる。時間の猶予は一切ない。
まるで待ち構えていたかのように、同時に地龍二体が近づいてくる。
重い足音。地面が揺れる。
龍の瞳が、俺たちを獲物として捉えている。
「セバスチャン、個別撃破だ」
拳を握る。全身ずぶ濡れ。軽く身体を動かしてみる。感覚的にステータスは半分程度下がっているか。当然無手だ。
セバスチャンが震える声で答える。
「……覚悟を決めるしかないようですね」
俺は右側の龍に向かい、セバスチャンは左側へ。
龍が咆哮する。開戦の合図だ。
すぐに龍の爪が迫り、それを転がって避ける。
「ぐっ!」
避け切れていない。デバフの影響で想定以上に自分の動きが鈍い。
爪が肩を裂き痛みが走る。吹き飛ばされ、転がり、それでもまた立ち上がる。
しばらく防戦が続くと、既に興味が薄れてきたのか龍の口から炎が溢れているのが見える。
刹那、俺の身体以上太い熱線が襲い掛かる。
咄嗟に横に跳ぶが、熱気だけで肌が焼ける。奇跡的に避けられたが、避けているだけでは永遠に終わらない。
幸い炎は連発出来ないのか、先ほどと比べると明らかに動きが鈍い。好機とみて拳を叩き込む——が鱗が硬い。硬すぎて殴った手が痺れる。
その隙を龍の尾が襲う。
今後は避けきれず腹に直撃。吹き飛ばされ岩に叩きつけられる。
視界が霞む。肋骨が折れたかもしれない。
だがそれでも立ち上がる。寝転がっている暇はない。俺はお嬢様を守るために強くならなければならない。
このまま避けていてばかりでは、いずれジリ貧となる。この戦い、初めて攻勢に打って出ることにする。
噛み付き、爪、ブレス、それらの攻撃の合間に近付き、首の裏に飛び乗る。ここにいれば攻撃される心配は少ないだろう。
取りあえず殴ってみる。何度も。何度も。全力で殴る。
ダメージを与えている感触はないが、虫を払うようなものだろうか、それでも龍が暴れる。
振り払われて地面に叩きつけられると、すぐに熱線が襲い来る。
転がって避ける。熱気で髪が焦げる。
全身傷だらけだ。対して地龍はといえば……
「!?」
龍の首の裏側、そこから血が流れている。
やっと突破口を見つけた。首の裏側の鱗の隙間。そこが弱点だ。
再び隙を見つけて龍に飛びかかる。
今度は狙いを持って、鱗の隙間に拳を叩き込む。出来る限り深く強く。
龍が悲鳴を上げ暴れる。振り落とされてはよじ登り、また殴りつける。
気の遠くなりそうな程同じ動作を繰り返し……
——気が付くと龍は動かなくなり俺は返り血に塗れて立ち尽くしていた。
そういえば、、、セバスチャンの方を見る。
セバスチャンの戦いはまだ続いている。いや、戦いというより——一方的に嬲られているといった方が正確だろうか。
龍の爪が迫り、セバスチャンが転がって避ける。拳を振るうが弾かれる。龍の尾が襲い、腕に直撃する。骨が軋む音が聞こえた。
「ああああ!」
セバスチャンの悲鳴が谷間に響く。
あのままでは遠からず命を落とすだろう。デバフの影響下で地龍と戦うのがどれほど過酷か、身に染みて理解している。
だが——セバスチャンは立ち上がった。
「オクタお嬢様の…ために……」
懸命に戦い続けるその姿は、王都で会ったときの堅物執事とは思えないほど必死だった。意外だったが、ああ見えて執事としてのプライドを持っているようだ。
俺は声を張り上げる。
「首の裏に鱗のない隙間がある! そこを狙え!!」
セバスチャンが一瞬こちらを見る。血だらけの顔に、しかし理解の色が浮かぶ。
俺の横に倒れ伏す”仲間”を見たのか、龍が再び咆哮をあげセバスチャンに飛びかかる。
セバスチャンは必死に龍の首に飛びつき、魔力を纏わせた拳を鱗の隙間へ叩き込む。
「うおおおお!」
ドゴォォォォォォン
一撃。悔しいが一撃だけの威力であれば圧倒的に奴の方が上だ。
セバスチャンはその場に崩れ落ちる。
セバスチャンのもとへ向かう。全身が悲鳴を上げている。骨も筋肉も、限界を超えている。
「……生きてる、のか?」
セバスチャンが弱々しく問いかけてくる。
「ああ、問題ない」
嘘だ。問題しかない。全身傷だらけで、肋骨も折れている可能性がある。だがそれでも——これが俺の日常だ。
セバスチャンが俺を見上げ若干引いている気がする。
俺はそれを無視して深呼吸、崖を見上げる。
「さあ、登るぞ」
セバスチャンの顔から血の気が引いた。
見上げた先、崖の上は遥か彼方にある。数百メートル。垂直に近い岩肌。手がかりも少ない。
「……冗談、ですよね?せ、せめてもう少しだけでも休憩を…」
「残念ながら本気だ。そしてそんな悠長な時間はない。仲間の血の臭いで集まってくる地龍と戦いたいなら別だが」
「すぐに準備しましょう」
俺はそう言って岩肌に手をかける。全身が悲鳴を上げるが、無視する。
「くっ」
俺に続くセバスチャンが小さな悲鳴を上げる。そんなセバスチャンを俺は励ます。
「大丈夫、辛いのはすぐに慣れる」
「それは励ましなのでしょうか……」
だがセバスチャンも岩肌に手をかけた。この男、根性だけは認めてやる。
そういえば父親に蹴り落されてから俺に対する敵視が無くなっている気がする。
当然敵対するよりも協力した方が生存率が高まるので賢明な判断である。根っからの馬鹿ではないのだろう。
登り始める。一歩、また一歩。指先が岩を掴む。爪が剥がれそうな痛みが走る。
デバフの影響で魔力も体力も半分だ。普段なら何でもない高さでも、今は地獄に等しい。
途中、セバスチャンが手を滑らせる。
咄嗟に片手で岩を掴んだまま、もう片方の手でセバスチャンの腕を掴む。
「す、すみません!」
「黙って登れ」
そうして三時間後——やっと崖を登り切った。
全身血だらけ。服はボロボロ。爪は半分以上剥がれている。久しぶりに命の危機を感じた。
登りきると、崖の上には父親が待っていた。
俺たち二人の姿を確認すると軽く舌打ちをする。
「無事に戻ってきたか。つまらん」
セバスチャンが信じられないものを見るかのような表情を浮かべる。
我が最愛の父親はそんなもの一切気にする様子も見せず話を続ける。
「では組手だ」
実の息子である俺にはわかる。これは本気だ。そもそもうちの父親は冗談など言わない。
二人がかりで父親に挑む——が、デバフ魔法陣は継続中だ。身体が思うように動かない。そもそもデバフが無くても勝負にならない程実力差は大きい。
一瞬で地面に叩きつけられた。
「遅い」
立ち上がりまた挑む。そしてまた叩きつけられる。
「弱い」
何度も。何度も。
日が傾き始める頃には、二人とも満身創痍だった。地面に這いつくばり、指先すら動かせない。
セバスチャンが呻く。
「も、もう指先すら動かせません……」
父親が答える前に、別の声が響いた。
「では次は私の番ね」
母上だ。
姿が消える。次の瞬間、背後から首筋にナイフの感触。
咄嗟に身を捻り飛び退く。セバスチャンも何とか身を交わす。
母上が笑顔で言う。
「ほら、動けたじゃない笑 今ので二人とも死んでるけどね♪」
穏やかな笑顔。だがその瞳には容赦というものが一切ない。
母上が続ける。
「次は私から逃げ切ってね。ナイフで切り刻んでいくから♪」
セバスチャンが震える声で呟く。
「……悪魔だ」
珍しく気が合う。同感だ。
二人、ボロボロの身体で森を駆けるが、母上に一切の容赦はない。木の影から、崖の上から、川の中から——どこからでも現れる。
ナイフが肉を裂く。致命傷にならないギリギリを狙っている。ギリギリか?本当にギリギリなのか?
足を斬られる。痛みが走る。転がって避ける。立ち上がる。走る。
セバスチャンの悲鳴が聞こえる。振り向くと、腕を斬られている。
「もう少し本気出して?」
母上の笑顔。天使のような笑顔で悪魔の所業。
セバスチャンは涙目だ。俺はなんとか冷静を保つ。保たねば正気を失う。
日が沈む。
二人、地面に倒れ込む。もう一歩も動けない。
母上が穏やかに言う。
「セバス君はまだしも、うちの息子もだいぶトレーニングをサボっていたようね」
サボってない。サボってないつもりだった。だが——この地獄に比べれば、日々のトレーニングなど遊びだったのかもしれない。
セバスチャンが震えながら呟く。
「……悪魔だ」
二度目だ。だが訂正する気にはなれない。
夜、修行場の客室。
二人とも死んだように眠る——厳密にいうと目を閉じる。確実に身体は休息を求めているのだが、眼が冴えて中々眠れない。
母上が応急処置をしてくれたが、痛みは引かない。骨の軋む音が聞こえる。筋肉が引き攣る。
セバスチャンが小声で問いかけてくる。
「……クラウス殿、明日も、この地獄が……?」
「違う」
「……え?」
「明日からが地獄だ」
セバスチャンの顔から血の気が引く。
「大丈夫、しつこいようだが辛いのはすぐに慣れる」
「慣れたくありません……」
俺は目を閉じる。
「お嬢様を守るためだ」
そういうとセバスチャンも黙るしかない。お互いのお嬢様を守るためなら、二人とも地獄の底まで堕ちる覚悟がある。
古代神殿の攻略まで、あと六日——俺は絶対に強くなる。




