第三十話 クロネコ急便
お嬢様が新商会設立を宣言してから、二日が経過した。
王宮の会議室。
装飾を抑えた石造りの部屋に、重厚な円卓が鎮座している。壁には歴代国王の肖像画が並び、厳かな空気を醸し出す。
陛下が円卓の上座に座り、その右手にグレゴール卿、左手に旦那様が座る。お嬢様はその向かいに並び、エドウィンは末席で緊張した面持ちだ。
陛下が豪快に笑う。
「エドウィン殿、新商会設立——ルミナス王国が全面的に支援しよう! こうして向かい合うと初めて出会ったあの日を思い出すな」
その声は会議室全体に響き渡り、エドウィンの肩が跳ね上がる。彼は慌てて頭を下げようとするが、陛下が手を振ってそれを制した。
グレゴール卿が、整然と積まれた書類の束を広げる。
「立ち上げ資金として王家から融資、トロッコ運行管理の委託、王都の旧商人ギルド支部の建物の使用許可——関連書類全て準備しました」
淡々とした口調だが、その内容は破格だ。グレゴール卿の読み上げる内容に、エドウィンは驚きを通り越して呆然としている。
王家からの直接融資。これだけで、新商会の信用は一気に跳ね上がる。トロッコ運行管理の委託は、国家プロジェクトの中核を任せるということ。そして旧商人ギルド支部の建物——王都中央市場に面した一等地だ。
何よりも、国が商人ギルドに貸し出していたその物件をそのまま預けるということは、国が商人ギルドから保護するということに他ならない。
当然それに気づいているであろうエドウィンの手が、小刻みに震えている。
彼は口を開こうとするが、言葉にならない。感情が溢れ出して、声帯が機能していないようだった。
俺は、エドウィンの横顔を観察する。
商人ギルド支部長として、本部の命令に従い続けてきた男。国を想う気持ちとの板挟みの中で苦悩し、それでもこの国を愛し続けた男。
その彼が——ようやく、本当にやりたかった商売ができる。
「ありがとう......ございます......」
エドウィンが、ようやく声を絞り出す。
その声は掠れていて、俺は視線を窓の外へ逸らした。男が涙を流す瞬間を、正面から見つめるのは野暮というものだ。
お嬢様が、ぱっと手を叩く。
「胸熱すぎっしょ! マジ神対応じゃん、ロトっち!」
会議室の空気が一瞬で変わる。
厳かな雰囲気が吹き飛び、まるで友人同士の集まりのような軽さになった。陛下が大笑いし、旦那様が頭を抱える。グレゴール卿は相変わらず無表情だが、口元がわずかに緩んでいる。
「レティ、もう少し言葉を選びなさい」
旦那様が自分の娘に苦言を呈するが、その場にいた誰もがそれがお嬢様の優しさであることが分かっているためそれ以上何も言わない。
お嬢様が”てへぺろ”と舌を出す。はしたないことこの上ない。
「でもさ、ブラピの為にここまでしてくれるロトっち、マジ優しいって!」
お嬢様が、きらきらとした目で陛下を見る。
「もうロトっち本当にけ、けん? なんてったっけな? そういう賢い王のこと……」
急に悩みだしたお嬢様に視線が集まる。何かを必死に思い出そうとしている。
「あ! そうだ、賢人! ”森の賢人”だ!!」
それはもうオラウータンのことである。
「レティシア殿の提案は、いつも王国のためになる。ならば支援するのは当然だろう」
俺は無言で俯きながら首を振るが、陛下も満更でもなさそうだなので黙っておこう。
「エドウィン殿。貴殿はギルド商会のルミナス支部長として、本部の命令と自分の信念の間で苦しんできた。だが、もう迷う必要はない」
オラウ…、陛下の声が、低く、力強くなる。
「新しい商会で、君が本当にやりたかった商売をしてくれ。それが、この国のため、国民のためとなる」
エドウィンが、再び深く頭を下げる。
俺は、円卓に広げられた書類を眺める。
融資の詳細、トロッコ運行管理の委託契約書、建物の使用許可証——全てが、日付を見ると数日前から準備されていたものだ。
つまり陛下は、お嬢様が新商会設立を提案することを見越していたのだろう。
お嬢様なら、必ず新しい解決策を見つけ出すと。まさに“賢王”と呼ぶに相応しい。
グレゴール卿が、新しい書類を取り出す。
「商会名の登録も必要ですが——もうお決まりですか?」
お嬢様が、にやりと笑う。
「決まってるよ! クロネコ急便!」
「 」
おいちょっと待て。初耳だぞそれは。
「ちょ、それは色々諸問題が―
「クロネコちゃんって素早いし、夜でも目が見えるし、超クールじゃん! で、急便は早く届けるってことで——完璧でしょ!」
彼女は、両手でガッツポーズを作る。
「まぁ......、親しみやすい名前ではあるな」
陛下が、困惑しながらも受け入れようとしている。
「民衆への浸透は早いでしょう。覚えやすさは重要です」
グレゴール卿がそれを後押しする。
「いや、そういう問題ではなく商標登録とか…」
「ちょっとクラウ頭固すぎ。マジ老害かよ」
「…!?」
それは酷い。こっちは暴走するお嬢様の問題を取り払いたいだけなのに。
とその時、それまで沈黙を続けていたエドウィンがゆっくりと口を開く。
「......クロネコ急便、ですか」
彼は、その名前を何度か口の中で転がすように呟く。
そして——笑った。
「素晴らしい。親しみやすく、それでいて速さを感じさせる。商人として、これ以上ない名前です」
お嬢様が、ぱあっと表情を輝かせる。
「でしょでしょ! さすがブラピ、分かってるぅ!」
俺は天井を仰ぐ。
——まぁ、いいか。ここでは商標登録も何も関係ない。何よりも紹介立ち上げの一番の功労者であるお嬢様と、これから一番苦労していくであろう当事者が望むのであれば、それが一番正解なのだろう。
ならば——クロネコ急便も、きっと成功する。
グレゴール卿が、書類に『クロネコ急便』と記入する。
「では、正式に登録いたします」
陛下が立ち上がる。
「エドウィン殿。クロネコ急便の”会頭”を任命する! 王国の発展に尽力してくれ」
「必ずや、期待に応えてみせます」
陛下がエドウィンを会頭に任命、会議が終わり俺たちは王宮を後にした。
馬車の中で、お嬢様が上機嫌で鼻歌を歌っている。
「クロネコちゃん、クロネコちゃん~♪」
俺は、窓の外を眺める。
王都の街並み。それまで以上に活気を取り戻した市場。笑顔で行き交う人々。
全て——お嬢様が作り出した光景だ。
近い将来必ず来るであろう商人ギルドからの報復。まだ問題の根本が解決したわけではないが、今はこの光景を胸に刻もう。
馬車が、王都にあるリオネール家の別邸に到着する。
お嬢様が、馬車から飛び降りる。
「クラウ! 明日、ブラピのとこ行こうよ! 看板の設置、見たいし!」
俺は、静かに頷く。
「承知いたしました、お嬢様」
お嬢様が、にっこりと笑う。
その笑顔を守るために——俺は、どこまでも戦う。
数日後。
王都中央市場に面した、旧商人ギルド支部の建物。
三階建ての堂々とした石造りで、正面玄関には大理石の柱が並ぶ。かつては商人ギルドの権威の象徴だった建物が、今日から新しい看板を掲げる。
建物の前に、人だかりができている。
俺とお嬢様は、少し離れた場所からその光景を眺めていた。
エドウィンが、部下たちを前に立っている。
彼の表情は、これまで見たことがないほど晴れやかだった。
「皆、集まってくれてありがとう」
エドウィンの声が、静かに響く。
「私は——新しい商会を立ち上げる」
部下たちが、じっと彼を見つめる。
「先日宣言した通り商人ギルド本部の方針には、従えない。この国を、この国の人々を犠牲にすることは、もうできない」
エドウィンが、深く息を吸う。
「だから、私は新しい道を選ぶ。ついてこなくてもいい。君たちには君たちの人生がある。家族もいるだろう。商人ギルド本部を敵に回すリスクを、君たちに強いるつもりはない」
沈黙。
重く、長い沈黙が流れる。
俺は、部下たちの表情を観察する。
迷い、不安、恐れ——様々な感情が浮かんでは消える。
そして、一人の男が、手を挙げた。
三十代半ばのがっしりとした体格の男だ。
「支部長。一つ、確認させてください」
エドウィンが、頷く。
「何でも聞いてくれ、マルコ」
マルコと呼ばれた男が、真っ直ぐにエドウィンを見る。
「俺たちの好きにしていいんですね?」
エドウィンが、一瞬戸惑う。
そして——笑った。
「ああ。好きにしてくれて構わない。君たちの人生だ」
男が、にやりと笑う。
「ならば——我々全員、支部長についていきます」
その瞬間、全員が手を挙げた。
若い者も、年配の者も、男も女も——全員が、エドウィンについていくと宣言する。
エドウィンの目が、潤む。
「......本当に、いいのか? 商人ギルド本部を敵に回すことの大変さを、自分たちが一番理解しているはずだぞ?」
別の部下が、前に出る。
細身の、知的な雰囲気の男だ。
「支部長がルミナスを想う気持ち、ずっと見てきました」
若い女性が、続ける。
「私たちも、本部のやり方には疑問がありました」
年配の男が、静かに言う。
「一緒に、新しい商売を始めましょう」
エドウィンが、顔を覆う。
その肩が、小刻みに震えている。
部下たちが、黙って彼を見守る。
俺は、その光景を静かに眺める。
——これが、エドウィン・カーライルという男の積み上げてきたものだ。
部下たちの信頼。
それは、一朝一夕で得られるものではない。
長年の誠実な行動、困難な状況でも部下を守り続けた姿勢——それらが、この瞬間に結実している。
お嬢様が、俺の袖を引く。
「クラウ......ブラピ、泣いてる」
彼女の声も、少し潤んでいる。
俺は、静かに頷く。
「ええ。嬉しい涙です」
お嬢様が、目元を拭い彼女が、建物を見上げる。
「ブラピみたいな人が、もっと増えたらいいのにね」
俺は、お嬢様の横顔を見る。
——お嬢様がいれば、これからもこういった救われる人間はもっと増える。
エドウィン、もっと言えばグリムやセリオス、ドワーフとエルフらもお嬢様に出会って変わっていった。
いや、正確には——変わったのではなく、本来の自分を取り戻したのだろう。自分たちよりも自分たちを信じる”お嬢様”という存在に触れることで。
エドウィンが、顔を上げる。
涙の跡が残る顔で、彼は笑っていた。
「ありがとう。これからも馬車馬のように働いてもらうから覚悟してくれ」
彼が、建物を指差す。
「さあ、始めよう。クロネコ急便を」
部下たちが、歓声を上げる。
そして——建物の正面に、新しい看板が掲げられる。
黒地に、金色で描かれた猫のシルエット。
その下に、『クロネコ急便』の文字。
ふざけた看板——と思う者もいるだろう。
だが、その看板が掲げられた瞬間、周囲の空気が変わった。
市場の人々が、集まってくる。
「新しい商会か?」
「クロネコ急便? 可愛い名前だな」
「商人ギルドじゃないのか?」
エドウィンが、集まった人々に向かって声を上げる。
「皆さん! 本日より、クロネコ急便として営業を開始します!」
彼の声は、力強く、明瞭だ。
「我々の理念は——人々の暮らしを豊かにすること。必要な物を、必要な場所に、適正な価格で届けること。それだけです!」
人々が、ざわめく。
「初仕事は、ポートランドの塩と海産物を、王都へ運びます! トロッコを使い、新鮮なまま、皆さんのもとへ!」
歓声が上がる。
お嬢様が、ぱちぱちと拍手する。
「ブラピ、かっこいい~!」
俺は、静かに微笑む。
——これが、始まりだ。まだまだ終わりではない。
商人ギルドに頼らない、新しい流通の形。
お嬢様の理想が、また一つ形になろうとしていた。
―——
夜。
クロネコ急便の執務室に、エドウィン一人が残っていた。
机の上には山積みの書類。トロッコの運行スケジュール、ポートランドからの仕入れリスト、各地の商人との契約書——新しい商会の立ち上げは、想像以上に忙しい。
だが、彼の表情は充実感に満ちている。
窓の外を眺めると、王都の夜景が広がる。灯りが点々と輝き、まるで星空のようだ。
——これが、自分のやりたかった商売だ。
エドウィンが、書類の束を整理し始める。
その時——窓の外に、人影が映った。
「誰だ!」
エドウィンが立ち上がる。
しかし人影は一瞬で消え、後には何も残っていない。気のせいか、とエドウィンが首を傾げた瞬間——机の上に、一通の手紙が置かれていることに気づく。
さっきまで、間違いなく存在しなかったはずだ。
エドウィンが、恐る恐る手紙を手に取る。
封蝋には、見覚えのある紋章。ルミナ教会の象徴——光輪を抱く両手だ。
手紙を開くと、達筆な文字で一文だけ記されている。
『異端の技術を広める者よ。神の裁きは近い』
商人ギルドとは別、この世界に君臨するもう一つの巨大な組織——ルミナ教会。
彼らは、教義に反する技術革新を異端として排除してきた歴史がある。特に、新たに力を付けようとする、既存の権威を脅かすものには容赦がない。
ルミナス王国を取り巻く世界の情勢は、まだしばらく落ち着きそうにはない。
第2章、完結しました!
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
次の第3章では教会との戦いが始まります。
シリアスな展開でもけっしてギャルマインドを忘れないお嬢様。そんなお嬢様のギャル友達が登場します。
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