第二十九話 商人ギルドへの宣戦布告
応接室に夕陽が差し込んでいる。
斜めに切り取られた光が、埃の粒子を浮かび上がらせていた。部屋の空気は静謐で、外から聞こえる鳥の囀りだけが、妙に耳に残る。
まるで時間が止まったような——そんな静けさと緊張感に部屋の中は包まれていた。
商人ギルドルミナス支部長だった男、エドウィン・カーライルが深々と頭を下げている。
「この度は、商人ギルドの一員として、レティシア様の活動を妨害しようとしたこと——心よりお詫び申し上げます」
その声には、確かな決意が込められていた。
俺は、ソファの肘掛けに手を置いたまま、二人を観察する。
お嬢様は貴族令嬢の顔で、背筋を伸ばして座っている。
久方ぶりの自宅で羽を伸ばしていたところ、予想していなかったエドウィンの来訪に慌てて準備していた面影は一切感じさせない。貴族令嬢を完璧に演じている。いや、本物なんだけど。
二人きりの時の軽い口調は影を潜め、完璧な令嬢としての口調と佇まい。
アメジスト色の瞳が、エドウィンを静かに見つめている。
表情からは、何も読み取れない。
長い謝罪のあと、ようやくエドウィンが顔を上げる。
その目は、真摯だった。
濁りのない、まっすぐな光が宿っている。
「本部からの命令とはいえ、私は貴女の理想を潰そうとした」
彼は一語一語、噛み締めるように言葉を紡ぐ。
「許されないことです」
俺は内心で、ふむ、と呟く。
この男、本気だ。今までの鉄仮面のような無表情から一転、今日は表情を感じる。表面的な謝罪ではない。
商人ギルド支部長という立場を捨ててまでここに来たという。最初は何かの罠かとも思ったが…。
お嬢様は——まだ、何も言わない。
ただ静かに、エドウィンの言葉を受け止めている。
エドウィンが、語り始める。
十年前、ルミナス支部長に志願したこと。
ロートニア王への憧れ。
この国への想い。
そして——本部の方針との板挟みで、苦悩してきた日々。
「私は......貴女を止めようとした」
彼の声が、わずかに震える。
「でもそれは、歪んだ形でのルミナスへの想いだった」
窓の外で、風が木々を揺らす。葉擦れの音が、応接室にも届く。
俺は、その音を聞きながら、エドウィンの言葉を記憶に刻む。
組織の論理と、個人の想い。
その狭間で苦しんできた男の告白。
エドウィンが、もう一度深く息を吸う。
「レティシア様——貴女は、私に大切なものを思い出させてくれました」
お嬢様が、初めて表情を緩め、瞳に柔らかさが宿る。
エドウィンは続ける。
「『必要な物を、必要な場所に届ける』——それが商人の本分だと」
彼の目に、光が戻っている。
十年間、見失っていたであろう光。
「利益ではなく、人々の笑顔こそが商人の誇りだと」
俺は、エドウィンの横顔を見る。
整った顔立ちに、疲労の色は残っている。
だが——それ以上に、生気が満ちていた。
組織の歯車として動いていた頃の、死んだ目ではない。
自分の意志で生きることを選んだ者の、目だ。
「本当に、ありがとうございました」
エドウィンが、再び頭を下げる。
お嬢様は、ゆっくりと頷く。
「お顔を上げてください、エドウィン支部長」
丁寧な、慈愛に包まれた優しい口調。
「貴方の想い、確かにいただきました」
エドウィンが顔を上げると、お嬢様は穏やかに微笑んでいた。
お嬢様の表情とは逆に、エドウィンが表情を引き締める。
「一つ、お伝えしておかねばなりません」
空気が、変わる。
先ほどまでの告白とは違う、緊迫した雰囲気。
俺は、無意識のうちに姿勢を正す。
「ルミナス王国の”塩精製”と”トロッコによる物流網”、私の裏切り含め商人ギルド本部は、絶対に黙っていないでしょう」
エドウィンの声が低くなる。
「私が支部長の座を放棄し、部下全員を連れて抜けたことを知れば——必ず次の手を打ってきます」
お嬢様がわずかに眉を寄せる。
俺は口を挟む。
「具体的には?」
エドウィンが、俺を見る。
「他国への圧力です」
その言葉に、俺は内心で舌打ちする。
やはり、そう来るか。
「『ルミナスと取引する国には、商人ギルドの流通網を使わせない』と。商人ギルドの常套手段です」
エドウィンが、淡々と説明を続ける。
「商人ギルドは四大陸全てに支部を持つ、世界規模の組織。その影響力は——一国の王を凌ぐこともある」
お嬢様の表情が、曇る。
俺は、彼女の横顔を見る。
責任感。
自分の行動が引き起こした事態への、重圧。
その全てが、あの小さな肩にのしかかっている。
エドウィンが、再び頭を下げる。
「本部からの最後通告——それは、一ヶ月以内にトロッコシステムを破壊し、塩の製造権を買い上げろ、というものでした」
お嬢様が、息を呑む。
「私はその命令を無視し、このままギルドを去ります。それに気づいた瞬間、すぐにでも商人ギルドは必ず動く」
エドウィンが顔を上げ、お嬢様を真っ直ぐ見つめる。
「せめてもの罪滅ぼしに、この情報を」
彼は立ち上がる。
俺も、反射的に立ち上がりかける——が、お嬢様の視線に気づいて止まる。
彼女は、まだエドウィンを見ている。
「そして——改めて、申し訳ございませんでした」
エドウィンが、深々と頭を下げる。
「これからのレティシア嬢の輝かしい未来を、影ながら見守っております」
彼は踵を返し、扉へ向かう。
情報を伝え、謝罪を済ませ——そして去っていく。
それが、彼なりの誠意なのだろう。
エドウィンの手が、扉の取っ手にかかる。
その瞬間——。
「エドウィン支部長!いや…」
空気が、一変した。
お嬢様の声が、完全に変わっている。
貴族令嬢の丁寧な口調が消え失せ——いつもの軽い口調。
エドウィンが、お嬢様の変わり様に驚いたのか無言で振り返る。
その顔には、明確な困惑が浮かんでいた。
お嬢様は、ソファから立ち上がる。
さっきまでの静謐な令嬢の佇まいは、跡形もない。
「ブラピ、どこ行くの?」
ブラピ………。
エドウィン⇒ジーンズ⇒昔のCM…。実に短絡的で、致命的に古い。
エドウィンが、呆然としている。
無理もない。きっと自分に付けられたあだ名とすら思っていないだろう。
さっきまで完璧な貴族令嬢だった少女が、突然その辺の町娘より軽い感じで話しかけてきたのだから。
お嬢様は、にやりと笑う。
その笑顔には、悪戯っぽさと、確信的な何かが混ざっている。
「謝罪して、警告して、はいさよならー?」
お嬢様が、エドウィンに近づく。
俺は、ソファの肘掛けに寄りかかったまま、事態を観察する。
やれやれ、と。
「それで終わりとか、マジダサくない?」
お嬢様の言葉に、エドウィンが目を白黒させている。
ダサい。
貴族令嬢の口から出る言葉ではない。
だが——お嬢様には、通常の貴族令嬢としての常識など、最初から存在しない。
お嬢様が、エドウィンの目の前まで来る。
「そもそも、謝罪する相手はあたしじゃなくて国民」
距離、約一メートル。
アメジスト色の瞳が、エドウィンを見上げている。
「そこに対して本当に申し訳ないと考えているのなら言葉ではなく行動で示すべき」
お嬢様の迫力に押されたエドウィンがゆっくりと頷く。
「ブラピら、全員商人ギルド辞めたんでしょ?」
お嬢様の笑顔が、さらに輝く。
「じゃあさ、新しい商会作ろうよ。あたしと一緒に」
——は? いや、まぁうん。 合理的ではあるな。
エドウィンの表情が、完全に固まる。
新しい商会、お嬢様と一緒に。
つまり——。
「......え?」
エドウィンが、ようやく声を絞り出す。
お嬢様は、満面の笑みで続ける。
「ルミナスのための商会。本部に縛られない、本当に人の役に立つ商会!」
彼女の目が、きらきらと輝いている。
まるで、新しいおもちゃを見つけた子供のように。
「やろうよブラピ!」
お嬢様がエドウィンの手を取る。
エドウィンは、完全に思考が追いついていない顔をしている。
俺は、深く、深く息を吐く。
商人ギルドとの対立。
新しい商会の設立、これは怒っている相手を更に挑発していると受け取られかねない。というか受け取られるのは間違いない。
が、いつまでも自由市場の状態ではそれ以上の経済発展は見込めない。成長の為には、取り仕切る船頭も必要となるのは自明の理である。
この国で暮らす人々。
お嬢様が守りたいと願う、全てのもの。
彼らの笑顔のために——お嬢様は、また新しい一歩を踏み出そうとしている。
エドウィンが、ゆっくりと口を開く。
「レティシア様......本気で、仰っているのですか?」
お嬢様が、ぐっと拳を握る。
「マジのマジ! うち、ブラピの『必要な物を、必要な場所に届ける』って言葉、超刺さったし!」
ギャル言葉で真剣な話題を話し合う、アンバランスを口にするものはこの世界には誰もいない。
「商人ギルドがダメなら、うちらで新しいの作ればいいじゃん。ルミナスの人たちのための、本当の商会」
お嬢様が、エドウィンを見上げる。
「ブラピの経験とクラウの実行力があれば——絶対できるって! ロトっちとかパパも超頼りになるし」
何気なく話に巻き込まれている俺。いつものことだけど。
エドウィンの目が、揺れる。
迷い、希望、不安——様々な感情が交錯している。
「しかし......商人ギルド本部を敵に回すことに——」
「もう回ってるじゃん」
お嬢様が、あっさりと切り捨てる。
「ブラピが辞めた時点で、向こうは敵認定してるでしょ? だったら、堂々と戦おうよ」
彼女は、にっこりと笑う。
「うち、逃げるの嫌いなんだよね。やるなら、ちゃんとやる。中途半端が一番ダサい。そもそも正義はこっちにあり…っしょw?」
俺は、お嬢様の横顔を見る。
十七歳の少女。華奢な体躯。
だが——その内側には、鋼のような意志がある。
エドウィンが、長い沈黙の後——笑った。
「......参りました」
彼は、深々と頭を下げる。
「レティシア様。どうか、この古い商人を、お使いください」
お嬢様が、ぱあっと表情を輝かせる。
「マジ!? やったー!」
彼女は、エドウィンの手を両手で握る。
「じゃあ早速、商会の名前考えよ! あ、でもその前に、ブラピの部下の人たちにも会いたいし——」
お嬢様が、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
エドウィンは、その勢いに圧倒されている。
俺は、ソファに深く腰を下ろす。
新しい商会。
商人ギルド本部との全面対決。
そして——お嬢様の理想を、また一つ実現させるための戦い。
俺は考える。執事の仕事って何だろう、と。




