第十三話 敵に塩を送る
「”荷物運び手伝い【報酬銅貨20枚】”、よし、これにしよう!」
依頼の貼られた掲示板を見ていたお嬢様が一枚の依頼書を引き剥がした。
「……お嬢様、もう少し高額な依頼もありますが」
「ううん、これがいいの。港で働く人たちと話してみたいし」
この辺りは流石貴族令嬢というべきなのか、報酬には一切興味を示さない。
ちなみにお嬢様は旦那様からの援助の申し出を全て断っており、自分の稼ぎで生活をしている状態である。従って金があるに越したことは無いのだが全く気にしない。
当然旦那様からはいざという時のため、と纏まった金は預かっているがお嬢様の今の生活スタイルでは使うことはなさそうだ。
「承知しました」
俺は内心で溜息をつきながら、お嬢様に従って港へ向かった。
港湾地区は潮の香りと人々の怒号で満ちている。筋骨隆々とした男たちが重い荷物を担ぎ、船から船へと運んでいく。
「おい、そこの嬢ちゃん! 荷物運びの依頼受けたのか?」
日焼けした顔に無精髭を生やした男――現場監督のようだ――が大声で呼びかけてきた。
「はい! 精一杯頑張ります!」
お嬢様が元気よく返事をする。
監督は一瞬呆気に取られたが、すぐに大笑いした。
「がっはっはっは! 嬢ちゃん、女だからって区別しねえからな! じゃあこの木箱、あっちの倉庫まで運んでくれ!」
指差された先には、大人の腰ほどの高さの木箱が山積みになっている。
お嬢様が木箱を持ち上げようとして――
「重っ!?」
案の定、持ち上がらない。当たり前だろう。
俺が横から手を差し伸べる。
「お嬢様、私も手伝いましょう」
「ダメ! クラウは自分の仕事してて!」
お嬢様が頬を膨らませる。
そして深呼吸をして、もう一度木箱に挑む。
両手で抱え、全身の力を込めて――
「うんしょ……!」
やっとのことで持ち上げた。
ふらつきながらも、倉庫へ向かって一歩ずつ進む。
心配そうに眺めていた労働者たちから歓声が上がる。
「おお、やるじゃねえか嬢ちゃん!」
「根性あるな!」
お嬢様が倉庫まで運び終えると、労働者たちが拍手をした。
お嬢様は汗を拭いながら満面の笑みを浮かべる。
「次!」
……こうして午前中、お嬢様は黙々と荷物を運び続けた。
当然他の労働者たちと比べると作業効率は悪いが、それでも荷物を持っている時以外は走って移動して少しでもその分を補おうとしていた。
それを分かっているからこそ他の労働者たちは、得体のしれないお嬢様の存在を受け入れたのだろう。
正午過ぎ、監督の男が手を叩いた。
「よーし、飯にするぞ!」
労働者たちが一斉に手を止め、近くの大衆食堂へと向かう。お嬢様も自然とその流れに乗り俺も後に続いた。
食堂は薄暗く、木のテーブルと椅子が雑然と並んでいる。
労働者たちが席に着くと、店主が大鍋から料理を取り分けていく。
野菜と豆の煮込み、黒パン、そして水。
お嬢様の前にも同じものが置かれた。
「いただきます!」
お嬢様がスプーンを手に取り、煮込みを一口。
そして――
一瞬だけ動きが止まった。それは誰にも気付かれないような僅かなものであったが、幼少期からお嬢様を俺の目は誤魔化せない。
しかし、それでもすぐに周囲と同じように黙々と食べ始める。
労働者たちは談笑しながらガツガツと食事を掻き込んでいる。
「嬢ちゃん、今日は良く働いたな!」
「ああ、あんな細い体でよくやったもんだ!」
「こんな根性のあるとは思わなかったぜ!」
それに対しお嬢様も笑顔で応じる。
「いやいや、みんなの方が全然ヤバいよ! あんな重いの何個も運んでるじゃん! 超カッコ良かったよ!!」
「慣れだ慣れ!」
お嬢様の飾りっ気のない素直な誉め言葉に粗暴な男たちは照れ臭そうに笑みを浮かべる。
その後もしばらくお嬢様への質問攻めが続き、ようやく落ち着きを取り戻し始めたとき、お嬢様が俺の耳元に顔を近づけてきた。
「ねえ、クラウ……」
小声で囁く。
「なんでこんなに味薄いの?」
ああ、さっきの表情はそういうことか。俺は静かに答えた。
「塩が高価なため、庶民の食事は薄味が普通です」
「え?」
お嬢様が目を丸くする。
「港町でなんで塩が高価なの?」
俺は首を横に振った。
「この世界では、塩は岩塩からしか採れません」
「この世界?」
「あ、いや...塩の元となる岩塩がルミナス王国では採集できないので、どうしても市場に出回る相場が高くなってしまうんです」
「う~ん...」
俺は声を落とす。
「ちなみに、その岩塩のシェアのほぼ全てを商人ギルドが握っています」
俺の言葉にお嬢様の顔が強張る。
「つまり……独占?」
「その通りです。だから尚更塩は高価になり、益々庶民は気軽にに使えなくなっています」
お嬢様が自分の目の前にある煮込みを真剣な表情で見つめている。
「……ねえ、クラウ。うち、今までずっと塩の効いた料理食べてたよね」
「......そうですね」
お嬢様がそういって唇を噛む。
「当たり前だと思ってた」
周囲の労働者たちは相変わらず談笑しながら薄味の煮込みを掻き込んでいる。誰一人として文句を言わない。当たり前である、それが日常だから。
「商人ギルドが独占してるってことは……」
「価格を自由に操作できるということです」
俺の言葉にお嬢様の拳がテーブルの下で握りしめられた。
「それって……」
「搾取、とも言えますね」
お嬢様が俯く。しばらく沈黙が続いた後、お嬢様が顔を上げた。その瞳には決意が宿っている。
「じゃあそんなもん変えちゃおう」
小さな、しかし確固たる声。
俺は内心で苦笑した。また始まった。この人の無茶振りが。
「お嬢様、塩の独占を崩すのは容易ではありません」
「分かってる」
お嬢様が真っ直ぐ俺を見つめる。
「でもね、クラウ。毎日殆ど味のしないご飯食べてる人がいて、一方で贅沢三昧に美味しいものばかり食べて、飽きたら気軽に捨てるような人種もいるんだよ? それっておかしくない?」
「貴族と平民の差は――」
「差じゃない」
お嬢様が強く俺の言葉を遮る。
「搾取だよ。商人ギルドが勝手に値段吊り上げて、人々の選択肢を奪ってるんだよ?」
正論だ。全くもって正しい。
だが、商人ギルドは世界全体に影響力を持つ巨大組織。特にその影響の大きい東の大陸において、ルミナス王国単独で対抗するのは難しい。
「お嬢様の仰る通りです。ですが――」
「方法はある」
お嬢様がニヤリと笑う。
「大量の塩を確保する」
俺は思わず目を見開いた。
「……お嬢様、まさか」
「うん。海水煮詰めれば塩になるんよ。港町なんだし、海なんてすぐそこ。なんでやってないのかな~って思ってたんだけど」
海水から塩を採る? この世界には存在しない概念であるが、お嬢様は当然のように言ってのける。まるでそれが常識であるかのように。
「お嬢様、海水から塩を作るというのは……」
「え? だって海ってしょっぱいじゃん。煮詰めたら塩になるっしょ?」
問題は塩の精製だけではない。塩の精製、つまりそれは商人ギルドを敵に回すということでもある。
「お嬢様、仮に海水から塩が作れたとして……それは商人ギルドとの全面戦争を意味します」
「別に戦争するつもりないけど?」
お嬢様が首を傾げる。
「ただ塩作るだけじゃん。誰にも迷惑かけてないし」
「商人ギルドにとっては大迷惑です」
「知らんがな」
まるでなんでもない些細なことのように、あっさりと切り捨てられた。
「なんなら大量に作って商人ギルドに分けてあげたっていいよ」
「文字通り”敵に塩を送る”訳ですね」
「独占して値段釣り上げてる方が悪いもん。うちはただ、みんなが美味しいもの食べられるようにしたいだけ」
その瞳に迷いはない。俺はお嬢様の横顔を見つめた。
薄味の煮込みを平然と食べている労働者たち。彼らは文句一つ言わず、当たり前のように受け入れている。それが日常だから。
だが、お嬢様はそれを受け入れられない。受け入れるべきではない、と考えているのだろう。
「……分かりました」
俺は静かに頷いた。
「では今日の任務が終わったら、海岸へ行きましょう」
「マジ!?」
お嬢様の顔がパッと明るくなる。
「クラウ、超好き!」
周囲の労働者たちが一斉にこちらを見た。
「おいおい、嬢ちゃん大胆だな」
「いいねえ、若いっていいな」
お嬢様は気付いていないようだが、俺は内心で動揺を押し殺す。この人は本当に、自分の言葉の破壊力を理解していない。いい迷惑である。
午後の作業が終わり、報酬の銅貨二十枚を受け取った俺たちは海岸へと向かった。夕暮れの海は穏やかで、波の音だけが静かに響いている。お嬢様が砂浜にしゃがみ込み、海水を手ですくって舐めた。
「うん、しょっぱい。これなら絶対いける」
「お嬢様、本当にやるのですか」
俺の問いかけに、お嬢様が振り返る。
夕日に照らされたその横顔は、どこか神々しささえ感じさせた。
「クラウは……反対?」
「いえ」
俺は首を横に振る。
「ただ、これは世界のパワーバランスを崩すことになるかもしれません。それでも、やりますか?」
お嬢様は一瞬も迷わず答えた。
「当たり前」
その瞳に揺るぎはない。
「難しいことはよく分かんないけどさ、みんな美味しいもの食べたいじゃん」
シンプルな理由。
だがそのシンプルさこそが、お嬢様の本質だ。
人々の幸せを願う、ただそれだけ。俺は静かに笑みを浮かべた。
「承知しました。では明日から、塩作りの準備を始めましょう」
「そうこなくっちゃ!」
お嬢様が飛び上がって喜ぶ。
その姿を見ながら、俺は改めて思う。
この人の起こす変革は、いつも世界を揺るがす。そしてその度に、俺はこの人を守り抜くと誓うのだ。
たとえ相手が商人ギルドであろうと教会であろうと。
そして予想通り、今回のお嬢様の行動は世界のパワーバランスを大きく変える事になるのだが、それはまた少し先の話である。




